第2話『盗賊の人と取り引きします』

「だって、あなたがいるから」



 少女は男を見つめる。射抜くように、ただ鋭く見つめる。

 男は僅かに息を呑んだ。


「あなたは調べずともこの台座に魔法がかかっていることを見抜いた。この聖堂にも、数々の罠を潜り抜けて立ち入ることに成功している。……その傷を負ってしまったことは誤算だったんだろうけど、それでも王家の墓という大舞台に挑戦するためにそれなりの『勝算』を用意していたはず。違う?」

「この罠を解除する方法を知っていると?」

「中身の正体は分からないにしろ、この箱は明らかに〝大物〟よ。盗賊にとっては絶対に逃してはならないお宝のはず。何も用意してないとは思えない」

「……なるほど、意外に頭のキレる小娘だ」


 男は短い沈黙ののち、笑みを浮かべる。


「確かに俺は、その魔法の解除方法を知っている。特殊な呪文を唱えることで、その魔法陣は効力を失って一時的に箱に触れられるようになるわけだ。こいつを習得するのには相当手間と金をかけたもんさ。何せ門外不出の呪文、ばれれば即座にギロチン行きよ」

「だったら……」

「おっと、安堵するにはまだ早いんじゃないか? 誰がお前のために唱えてやるなんて言ったよ」


 笑みをこぼしかけた少女にピシャリと声を被せる

 そうだ、死にかけであろうと彼は盗賊。無償の施しを期待しようなどと虫が良すぎるというものだ。


「さあ、お前は俺のために何が出来る? 呪文の代償に何を支払えるんだ?」

「……私が支払えるものなんてない。見ての通り身体一つだけだし、何よりあなたもうすぐ死ぬじゃない。一体どんなものがあなたにとって価値あるって言うの?」

「さあな。思いつかないんだったら諦めることだな」

「……それは、嫌。諦めることだけは絶対にしたくない」


 その言葉は、持たざる者として放り出された少女にとっての、せめてもの矜持だった。

 けして諦めない。誰がどう見ても潰えるのを待つだけになってしまった自分の人生を、けして諦めないこと。

 現在の自分には何もない。過去と呼べる記憶だって失われてしまった。

 それでも、未来だけは辛うじて残っているのだ。


「あなたにあげられる私の持ち物は、未来だけよ。もしもここから外に出たら、何をするかという未来だけ」


 男は思わず吹き出したようだった。真顔でそんな言う少女のことがよほど面白かったらしい。


「出世払いってわけか。それで、具体的には何をしてくれるんだ?」

「あなたを弔ってあげるのよ、おじさん」

「……何?」

「あなたの遺体を外に運び出し、墓を用意する。盗賊が天国に行けるのかは分からないけど、必要なら神父さんを呼んで祈ってもらう」


 一瞬、男は虚をつかれたような顔をする。

 少女も、突飛なことを言っているのは分かっていた。だが、それを表情には出さない。余裕を張りつける。


「……くだらない!」


 男はすぐに、吐き捨てるように呟く。表情は苦々しく、不快感をあらわにしていた。

 だがその表情にうっすらと動揺の色が覗くのを、少女は見逃さない。


「これでは釣り合わなかった?」

「ああ釣り合わんとも! 第一俺は弔いなんて必要としてない。盗賊は人知れずいなくなるのが本望だ」

「当人であるあなたがよくても、他のみんなは違うんじゃないかな。あなた、仲間がいるんでしょ?」

「……!」


『こんなことなら黙って一人で来るんじゃなくって、部下どもも呼ぶべきだったぜ』

 男が何気なくつぶやいた言葉を、少女はしっかりと覚えていた。


「勿論みんなが悲しむから、なんて言いたいわけじゃないからね? あなたはこの仕事のことを誰にも伝えずにここに来た。盗賊団を率いているなら、頭目がずっと不在でいることはいらぬ不和をもたらすことになる」

「けっ、勝手な想像だろ」

「どんな人が盗賊になるかを考えたら自明でしょ? もともと食い詰め者か社会不適合者。ちゃんと死を伝えて後継者を立てさせないと、野心で暴走する人だって出てくるんじゃない?」

「……っ」


 偏見ともいえる少女の言葉を、しかし男は否定しない。荒くれ者たちを取りまとめる苦労は、他ならぬ彼がよく知っているからだ。


「そしてもう一つ、私には気になるところがある。そもそもなんで自分一人だけでここまで来たのかということ。腕前を見せてもう一度力を誇示する必要があったんだろうけど、仲間との関係に問題がないなら……何に対して?」


 問うようにまなざしを向ける。男は僅かに目線を下げた。

たったそれだけのことだが、少女にとっては確信を得るのに十分だ。


「子ども、ね」

「! なんで……」

「子どもを持つということはいわば権威の象徴だもの。あなたは集団のリーダーで、つまり地位のある人間だった。侍らせる相手だっていたはずよ」

「……抱いた女の子どもじゃねえよ、ただの養子だ」


 せめてもの口答えのつもりなのか、男はそんなことを言った。


「いずれにせよあなたには子どもがいた。そして何らの理由で父親として力を示す必要があった。……盗掘には失敗したわけだけど、私ならその子に遺言を届けるぐらいはできると思うよ」

「……」

「盗賊としては人知れずいなくなるのも本望でも、父としてはどう? 子どもに何も残せず死んでいくのは、悔いが残らない?」


 男は尚も無言だったが、少女もこれ以上言葉を重ねようとはしなかった。

 会話した感じだと、男はそれなりに冷静な思考ができる人間という印象だった。死の恐怖に晒されているというのに声には震えがない。まだ比較的意識がはっきりしているからというのもあるのだろうが、それでも精神力はかなりのものだ。

 彼女の提案は結局のところ、己の死に何も思うところがない相手には意味をなさないもの。自らの命に対するに対する軽薄さが本心なら、殆ど価値などない。

 やがて男はゆっくりと口を開く。


「お前の言ってることは、正直的を射ている」

「そう。それで、どうする?」

「ああ、的を射ているが……信用に足る提案じゃない」


 冷や水を浴びせられて気分だった。

 硬直した自分を横目に、男は言葉を続ける。


「まずお前が約束を守るという保証がない。そして仮に守るつもりがあったとしても、お前が生きて出られるかどうかは不確定だ」

「……それは、勿論そうよ。私たちは初対面で、しかもお互いに遭難中という状況を鑑みればどうしようもないこと。けどだからこそ、これはリスクじゃなくて利益で考えるべき交渉じゃない?」

「悪党はな、まず何においても自分が騙されていないかを考えるもんなのさ。散々騙す側に回ったもんだから、どうあってもリスクを度外視できない。これは理屈じゃなくて性分でな」

「……っ、そう」


 何か言い返そうとして、結局返す言葉は思いつかなかった。

 性分だと言われてしまえば、それはもう交渉を打ち切られたも同然だ。結局のところ自分はここでゲームオーバー、そういうことなのだろう。

 少女は俯いた。残された道は自力でここを脱出することだが、それだけの気力が残っているのか自分でも分からない。


「……おい、話はまだ終わってねえぞ」


 突然男が言う。

 えっ、と顔を上げた少女は、自分のほうへ何かを投げつけられたことに気づく。

 慌ててそれを受け取り、その正体を見てキョトンとした。

 それはどうやら、ペンダントのようだった。中心に大きな赤い宝石をつけた、高価そうな装飾品。


「これは?」

「形見だと思え、俺のな。細かい要求はしねえ、これを俺の息子に届けろ。それ以外のことは一切気にしなくていい。これを約束するならお前の要求も呑んでやるよ」

「えっ、だって交渉決裂なんじゃ……」


 思わず呆けてしまう少女に男は「けっ」と悪態を吐いた。


「そもそも、俺の死体を外に運び出すなんてのがナンセンスなんだよ。小娘の腕で? ここを出るだけでも大変なのに? 絶対途中で面倒になって諦めるに決まってる」

「し、しないよそんなこと!」

「かもしれねえが、そこまで信じられん。だから俺が望むのは最低限のことだけだ。ちょっとした手間で済む程度の、態々約束を破ろうとは思わない程度のことだけ。俺らのアジトに向かうのも危険だろうし、後継者云々のことも気にしなくていい。ここから東の街に行って、『うたた寝の灰犬亭』って酒場で掲示板を借りろ。そこに俺が死んだってことと形見を預かってることだけ書いておいてくれればいい。俺の息子ならきっと気づく。――名前はニコラだ、しっかり覚えとけ」


 テキパキと要求を説明する男の言葉に少女はしばし呆けてしまって、一息吐いたところでようやく質問することができた。


「それはつまり……あの魔法を解いてくれるってこと?」


 男はそれを聞くと懐から紙状のものを取り出した。ぐいっと突きつけて、にやりと笑う。


「それはお前がやるんだ。これは解呪のタリスマン、こいつを魔法陣に押し当てれば魔法ごと消えてなくなるのさ」

「解除の方法は呪文を唱える事じゃなかったの?」

「俺は魔法の心得なんてないんでな。もし道具を使うだけで済むなんて知れたら、交渉の余地はないだろ」


 つまり男は、自分が死んだあとに懐を探られる恐れがあるから黙っていたのだ。

 少女からすれば別にそんなつもりはなかったが、『リスクを警戒する』という点で男の行動は一貫していたということだろう。

 少女はタリスマンをしっかりと受け取った。これで、少なくとも可能性を拓くことができた。

 自然と少女は地べたにしゃがむ。張りつめていた緊張の糸が途切れ、大きく息を吐いた。

 あまりにも濃密な駆け引きで、今なお頭がぼんやりしている。それは男のほうも同じなのか、だらりした姿勢で頭上を見上げていた。

「あー」と不意に男が呟く。


「何?」

「ようやく意識が薄れてきた……へっ、死ぬ前に大した余興だったよ」


 へらりと笑いながらそう言う。

 未だに軽薄さを崩さない男の姿に少女は呆れ、そして少しだけ寂しさを感じた。


「ほんとはさ、できれば死んでほしくないんだけど」

「惚れたか? 残念だったな」

「冗談! ……けど、この世界に来てファーストコンタクトがおじさんで、そのおじさんがあっさり死んじゃうのって、なんだか寂しい」

「別にショックを受けているようには見えないけどな。さっきだって俺の死んだ後のことを交渉の材料にしやがっただろ」

「そりゃそうだよ。生憎だけど私、おじさんと違って生きる気満々だから。そのためならなんだってやってやるもんね」


 半ば無理やり、しかし力いっぱい笑ってやった。男はその笑みに満足そうな笑い声を上げる。


「それだけ元気ならなおさら大丈夫さ。だが、そうだな……お前の新たな人生の第一登場人物として、一つ箴言をくれてやる」

「箴言?」


 男は軽く頷く。そしてゆっくりと腕をもたげ、人差し指を少女に突き付けた。


「『目的がないのなら、まず友を作れ』。記憶として残っていない前の世界も、何一つ持たず飛ばされたこの世界も、お前にとっては心休まるところじゃないだろ。なら人の心の中に居場所を作るしかない」

「……それは多くの部下を持つ盗賊団の頭目としての言葉?」

「いや……これは一人の男としての言葉だ」

「……」

「勇者アリスにも多くの仲間がいたと言われている。……靴職人から王様、賢者から罪人まで数限りなくだ。お前もそれに負けないぐらい友を見つけろ。お前に与えられた人生は過酷だが……何、酒の席でなら笑い話に変わるだろうさ。だから前を向いて……強く……強く生き……」


 だらんと腕が下がる。

 強かに地面に打ちつけ、しかし痛がる様子は見せなかった。

 俯いた彼の表情に生気はない。事切れたのだ。


「おじさん……」


 少女は亡骸のそばに寄り、両手を合わせて短く黙祷を捧げた。

 彼はきっと悪党だったのだろうけれど、せめて死後は安らかに、と。

 それが終わるとすぐに台座の裏へ回り、一瞬だけ躊躇したが魔法陣にタリスマンを押し付けた。

 ジュッという何かが焼けるような音が響いたと思うと、もう次の瞬間には魔法陣は影も形もなくなっていた。

 少女はそっと箱を持ち上げ、地べたに置きなおす。


「これが、アリスの遺産……」


 手をかけようとして、一度止まる。

 少女はけして、これが自分を救ってくれるのだとは思っていない。これはあくまでここでは一番価値があるというだけで、ここから脱出するために何の役にも立たない可能性もある。

 それでもなりふり構わずこれを手に入れようとしたのは、自分が生きるために全力になろうと決めたからだ。

 例えそれがか細い光明であっても、自分の可能性を信じ、全てを賭してでも掴み取ろうとすること。


「私は、絶対に諦めないんだから……!」


 弱気になる自分に発破をかけ、勢いよく箱のふたを開ける。

 ヒヤッとする冷気が箱から漏れ、少女はそののちに中身を覗き込んだ。


「これは……?」

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