アリスとシオンの『異世界で友達百人できるかな?』

ゾウノスケ

第1話『異世界に遭難しました』

「おい……お前……」


 少女はまどろみの底で、うっすらと呼びかける声を聞いて目を覚ました。

 目の前には人相の悪い男が一人で座っている。


「起きたか、小娘。一体どうやってここに来た?」

「えっ……」


 見知らぬ男からの突然の問いに、戸惑って辺りを見回す。

 四方は薄汚れた石造りの壁に囲まれていて、蝋燭の明かりだけがぼんやりと周囲を照らしている。地面はかろうじて平らであるというだけの土の床で、どうやらここは古い地下施設のようなものだと予想できた。

 全て、少女にとっては身に覚えのないものだ。


「おい、キョロキョロするんじゃねえ!」


 目の前の男が痺れを切らしたように怒鳴りつける。懐に手を入れたかと思うと、ナイフを取り出し少女に突きつけた。


「わっ!」


 眼前に切っ先が迫る。その刃は不思議なことに、赤く光るもやのようなものを纏わせていた。おまけに火の気配なんてないのに、焼けた鉄のそばに寄ったかのような熱を感じる。


「騒ぐな! 火霊を纏わせた短剣だ。お前が何者だろうと、これで火達磨にしてやることだってできるんだぞ!」


 言っている意味は分からないが、男の表情はとにかく険しい。警戒心をあらわにしているという様子だ。

 彼は西洋人の顔つきをしていた。身なりはどこか時代錯誤的で、ボロ切れのようなフードを被り、腰には道具袋のようなものがぶら下がっている。はっきり言ってしまうと、ファンタジーの中の野盗か盗掘者、というような姿だ。

 現代日本においては相応しくない姿といえるだろう。だがこの場所――ゲームの中のダンジョンを思わせる空間には、ある意味非常にマッチした存在だった。

 少女は恐る恐る問い返す。


「あの、ここはどこですか?」

「ああ? 自分で入ってきたんだろうが」

「いえ、全然覚えてなくて……何がなんやら」

「覚えてない、だと?」


 男はより一層不審そうに少女を見つめる。


「じゃあ名前は。出身地はどこだ」

「出身はその、日本です。名前は……」


 そこまで言って、少女はようやく違和感に気付いた。自分の名前が出てこないのだ。

 出身も日本、ということだけは分かるのだが、それ以上の地名は出てこない。

 流石に危機感を覚えて、ポケットなどに手を入れ持ち物を探す。しかし身元が分かるものどころか、何一つ持ち物はなかった。精々身につけている服だけだ。

 男はごそごそと動く少女のことは気付かず、ただ首をかしげた。


「ニホン……聞いたことねえな」

「あの、ここがどこか教えてもらえないなら、地域名とかの国名だけでも教えてくれますか? あと今が何年なのかも」

「ああ? ここはユグドライア王国の南部地方だぞ。 年は竜帝暦で言うと1036年……そんなことも分からないのか」

「やっぱり全然知らない……ていうか私の世界にはそんな国絶対ない。竜帝暦なんて年号も……」


 奇妙なことだが、それははっきりと断言できた。

 記憶喪失という症状は、どんな記憶を失うのかによって分けることができる。少女の場合『思い出』は綺麗に忘れていたが『意味記憶』などと呼ばれる知識に関する記憶は、少々いびつなぐらい明晰だった。歴代総理大臣なら十人ぐらいそらで言えそうだ。

 失った記憶以前にここがまったくの別世界であることも、直感で理解していた。しかし、そうはいっても自分がそんなところにいる不可解さまで受け止められるわけではない。

 異世界に来たなどというあまりに馬鹿馬鹿しい発想に、少女は目を回した。

 男は頭を抱える彼女をしばらくの間不思議そうに見つめていたが、やがて合点がいったという風に頷いた。


「なるほど。ニホンってのは違う世界で、お前はそこからのこっちに『遭難』したってところか。そりゃ面白いな」


 くっくっくと皮肉げに笑う。

 なんとなくその様子が癪で、少女は眉をよせる。


「……日本は世界じゃなくて国の名前です。ていうか信じてるんですか?」

「いや、与太話だと思ってる。ただ異世界から召還された人間なんてありがちじゃねえか。たとえばそいつみたいによ」


 言いながら顎で頭上を指す。

 見上げて振り返ると、少女の背後には大きな石像が建てられていた。

 鎧を着て剣を佩いた、凛々しい女性の像だ。


「異邦の勇者アリス。初代国王とともに、かつて呪われた土地と呼ばれていたこの地を浄化した建国の英雄だ。彼女も元々は記憶喪失だったが、本来は別世界から神によって召喚されたのだと伝えられている」

「アリス……?」

「ここはユグドライアの王族が眠る地下墓地内の聖堂区画さ。王家の守護英霊たるアリスに祈りをささげるためのな。そんで俺はそこから金目のものを貰いに来た盗人ってわけだ。それがまさか、聖堂の最奥で異世界から来たなんて言う女を見つけるとはな。おい、これは一体何の冗談だ?」


 男はさも愉快そうに笑う。しかし少女は、その憎たらしい声よりも像から目を離せないでいた。

 石像は非常に精巧に作られていて、しかしながらその顔の輪郭は彼のような西洋的のものではなく、どちらかといえば少女自身と同じ日本人のそれに似ているような気がした。

 そして何よりその名前だ。記憶喪失であるというのなら、アリスというのはこの地で新たに名乗ったものなのだろう。


「私……やっぱりこの人と同じ境遇なのかも」

「まだ言うか」

「だってこの人……アリスっていうんでしょ? 私の知っている世界では、アリスって名前はこの人や私の状況にピッタリの〝由来〟があるんです」


 それは、異世界ファンタジーという物語の分野でも古典中の古典、もっとも偉大でよく知られている主人公の名前だ。

 すなわち、『不思議の国のアリス』。

 この像の人物が少女と同じように記憶をなくしてここに来たのなら、新たな名前としてはこれ以上ないものだろう。


「……私、本当に異世界に来てるんだ」


 少女は驚きつつも、少しずつ自分の状況が受け入れられるようになってきた。

 ここが地下墓地だと言うのなら、まずは外だ。外に出ないと話にならない。彼女はくるりと振り返り、盗賊の男に言った。


「おじさん、ここまで一人で来たんだよね、それならもう一人ぐらい連れて帰れる?」

「ついてくる気か? 残念だったな、他をあたれ」

「他の人が来る前に干乾びちゃうよ。私、何でもするから。やれというなら盗賊だって頑張るよ」

「へっ、元気なこった。だがなそういう問題じゃねえんだよ」


 言いながら、男はおもむろに服の裾をめくる。むき出しになったわき腹には包帯とは呼べないような布切れが巻いてあり、そこからおびただしい量の血が滲んでいた。


「これって……!」

「流石は王家の墓、盗賊撃退の罠もたっぷり設置してあったぜ。殆どは回避できたが、まあ全部とはいかなくてな」


 素人目にも分かる、これは命に関わる量の出血だ。

 さっきまでは自分の境遇を受け入れるだけで精一杯だったが、よくよく見てみれば部屋の入り口から男の座っている地点まで血が点々と滴っていた。


「……おじさん、死ぬの?」


 少女は恐る恐る言った。


「へっ、残念ながらな。そこそこの人生の、そこそこの幕引きだ」


 虚勢か諦観か、彼は自嘲気味に笑った。

 少女としても目の前で死にゆく人物に思うところがないではないが、もっと厄介な問題がある。もし彼が死んだ後、自分は外に出られるのかということだ。経験ある盗掘者であろうこの男が致命傷を負った道を、自分も逆順して出口を目指さねばならない。何一つ特別な技術のない彼女には、あまりにも無謀なことだった。

 男は苦笑し、そしてふと部屋の一点に目を向ける。

 目線の先には黄金で出来た台座があり、その上に一つ、きれいな箱が乗っていた。


「あーあ、折角目の前にお宝があるってのによ。こんなことなら黙って一人で来るんじゃなく、部下どもも呼ぶべきだったぜ」

「それは……?」

「魔封棺っていう魔道具さ。何百何千年もの間、風化や腐食にさらされることなく中身を保存するために使われる」


 魔道具、という言葉が当然のように飛び出すが、少女は聞き返さない。すでにそれぐらいはすんなりと受け入れられるようになっていた。


「ここに来るまでに金貨やら宝石やらの財宝はたくさん見つけたが、ここまで丁寧に保存されているのはこれ一つだけ。おそらくただカネになるものとは別の、純粋な力としての価値がある代物だ。勇者アリスの使っていた魔道具か、あるいは彼女とその仲間が作り出したものか……どっちにしろ俺にとっちゃ、もう価値のないもんだけどな」


 純粋な力、その言葉は少女の耳によく響いた。彼女が身は起こし、ゆっくりとその箱に手を伸ばす。

 あるいはその魔道具なら、脱出のために利用できるのではないかと――


「触るな!」


 すぐに、男の鋭い声が飛んだ。


「どうして?」

「そりゃこっちの台詞だ。俺が罠に引っかかって死にかけてるってのに、どうしてその箱に罠がかかってないなんて思える。……台座の裏を見てみな」


 言われた通り覗き見ると、魔法陣ようなものが刻まれているのが分かる。

 これが罠、というわけなのだろうか。


「箱に触れた途端、部屋全体に致死の呪詛が撒かれて俺もお前もお陀仏さ。お前にとっちゃ唯一の頼みの綱かもしれないが、まあ運がなかったと思って諦めな」

「運がなかったって、そんな理由で……」

「今更ってもんだろ。突然こんなところに放り出された時点で、お前さんは相当不幸だよ。まあ天運ってやつだな」


 男は笑いながら肩をすくめる。

 冗談じゃない、と少女は思った。

 突然見知らぬ場所で目が覚めて、自分が何者かも分からない。何一つ拠り所がない状態で取り残されている。普通なら恐怖や不安を感じていい境遇で少女が抱いたのは、怒りの感情だった。

 ひどいじゃないか、理不尽じゃないか。神様に文句の一つでも言ってやらないことには、死んでも死に切れない。そういう気持ちだった。


「……いや、運はむしろ良かったよ」

「あん?」

「だって、あなたがいるから」

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