第6話

 透は自宅に戻る。それほど広くはないが狭くもない。そんな一軒家だった。二階建てで自分の部屋もある。リビングの明かりがついていた。一階の駐車場に止めてある自家用車の隣に自分の自転車を差し込むようにして置く。

 早川に呼び出されて家を出たのが十時過ぎだったと思う。携帯を開くとそれから二時間以上の時間が過ぎていた。その間に二人の女性を泣かして、一人とはキスをした。振り返るとそれまでの自分の乾いた生活からはあまりにも外れた濡れた時間を過ごしたと思う。

 ジーンズから鍵を取り出し、深夜だということにも構うことなく遠慮なしに彼は扉を開ける。玄関には父と母の靴が置いてある。

「どうしていつもいつもいつもいつも! いつもいつもいつもいつも!」

 半狂乱の母親の声がした。リビングの明かりが廊下に漏れ、そこにそのシルエットが写っていた。叫んでも何一つ解決はしない。母はただひたすらに呪う様に自らの夫へ叫び続けていた。

 毎夜のことである。その泣き狂う声を聞く度に透は喉を強く掴まれたように呼吸が重く熱くなった。

「ただいま」

 言っても無駄なのはわかっていた。自分が出て行ったことにすら気づいていないのだろうだから。もちろん返事はない。

 この家で透を待つべき二人の関心は彼にないのだから。喧嘩を繰り返す二人にとっては末っ子の息子よりも、目の前の火を消すことが大事なのである。

 さっさと離婚をすれば良い、透はそう思う。もう何年もこんな事の繰り返しだった。

 誰が悪いのかははっきりと明言されていないが、喧嘩の最中の罵詈雑言や、ついこの前まで一緒に住んでいた父方の祖母が出て行ったことを考えれば嫁姑問題なのは明らかだった。

 溜め息が、漏れる。

 父はそんな母に一切言い返したりはしない。

「鬱病なんだよ、母さん」

 そう父に告白された夜のことを思い出した。約三年前だろうか。精神的に不安定で突然泣いたり、叫んだり、そういうことが確かに多くなっていた時期のことだった。

 不思議とそれを聞いたとき、可哀想とは思わなかった。ただ原因がはっきりして良かった、そう思った。病気ならしょうがない。これから一切の無関心を装える、彼女が何をして何を言っても病気なのだから自分のせいでもないし、医者ではない自分が治癒に貢献できない。

 透は本能的にそう考え、それまで母親の苦しむ姿を見て責任を感じて同じく苦しめられていた自分の重荷を卸した。だがそれがまた新たに愛の渇きという問題を起こすことにもなった。

 現実に引き戻された透はそのまま再び家を出た。苦しい胸の内をどうにか忘れようと、言い合う両親の言葉が聞こえないところへ向けて彼は動き出す。

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