15.
「考えが足りなさすぎる」なんて口を聞いたのは誰だっただろうか。
「矛盾している」などと偉そうな意見をどの口が言うのだろうか。
「怖い」などと、一体どんな厚かましい面をしてほざけるのだろうか。
自分が犯したことの大きさを。その重みを。表面だけでは理解した気でいて、結局はきっかけがないと気づけない自分。
闇が広がる。無音が辺りを支配する。
犯した罪が、背中に圧し掛かる。
なにが、「馬鹿」だ。なにが、「横暴」だ。身勝手なのは、自分だ。
自分は何を見て、そんなことを思えたのだろうか。自分だって、似たようなものなのに。いや、自分のことは省みず、他人にそんな意見を吠えていた分、更に質が悪い。
結局は口だけだ。上辺だけだ。
「助けたい」などと大層なことを宣って、結局自分では何もしない。何もできない。誰も、助けられやしない。
自分はいつだって誰かを頼って、「迷惑はかけないようにする」などと不明瞭なことを言って、遠くからぼさっと唯、眺めている。頼むだけ頼んで、最後には人任せにしている。
――最低だ。
人のことなど言えない。結局、一番どうしようもないのは――自分だ。
僅かな月明りしか差さないその場所で、少年は思った。
――こんな自分、死んでしまえば良い。
かつり、と相対する男が靴音を鳴らした。
ゆらりと、煙草の煙が揺れる。
「――なるほどな……」
顔に乗るのは、嘲りか、ただのやけくそか。
刑事の顰められた眉が、少なくとも少年が歓迎されていないことを物語っていた。
「片瀬くん――君、最悪だわ」
♢♢♢
夕暮れ。裏新宿入り口。薄暗い路地裏を一人と一匹がどこか疲れた様子で歩いていた。
万葉との密会もどきが終わり、一旦解散することになった桐人とからかさだ。
「結局、何も出てきませんでしたね。腕輪に関しても、蟲に関しても」
「初日だしな……もう少し探し回れば何か出てくるよ、多分。あとで、たぬまさんたちにも聞きまわってみよう」
嘆息を零すからかさの隣で桐人が次の行き先を決める。それに対してからかさが物憂げな顔を見せた。
「ですが、片瀬殿。もうすぐで逢魔ヶ時です。これ以上の行動は――」
「分かってるよ。先輩とも勝手な行動はしないって約束したしな……」
本来なら既に帰宅している時間のはずが、外でなにやら散策を続けていた桐人。危険な行動はしていないが、出来るだけ早く事態が進展するように自分で『蟲』や『腕輪』に関する情報収集を行っていた。
元から一人で情報を嗅ぎまわることを命じられていたからかさも一緒だ。
「まあ、あとは私がやりますので」
「悪い。助かる」
「いえ、元は私に非がありますので」
その言葉に桐人ははたりと足を止め、隣の唐傘を驚いたように見た。
「ちゃんと、自覚あったんだな。お前」
「な! わ、わたくしだって罪悪感ぐらいは持ってますよ!」
「にしちゃあ、先輩にすげぇ反感抱いているように見えんだけど」
目下、桐人が少し問題に思っていた案件だ。表立っては――いや、偶に直球で万葉に不満を吐いたりしようとしていたが――なるべく何も言わず、裏でぐちぐちと文句を零している唐傘をどうしようかと悩んでいた。
反省しているのか、していないのか。自分も他人のことは言えないが、一度この唐傘を怒った方が良いのかしもれない。
「いや、そ、それは。本当に、申し訳ないと」
つ、と視線を泳がせるからかさを桐人は胡乱げな瞳で黙視した。相手の
少年はぽつりと、疑問が零した。
「……お前さ、異様に先輩のこと敵視してないか?」
「え、いや、敵視というか。だって蟲食いですし……私たちにとっちゃ天敵です」
「天敵つったってなぁ」
それを聞いても桐人にはぴんと来なかった。
そういえば、と以前の土御門の『蟲喰い』に対する評価を思い出す。『蟲』などの下等妖怪や、死骸を喰らう妖怪――其処にからかさたちのような妖怪が怖れる理由があるのかもしれない。恐らく『蟲喰い』は普通の妖怪とは違う枠組みに入っているのだろう。
「けどそれにしたって、何かされたわけじゃねぇのにアレはねぇだろ。それ以前に迷惑をかけてんだからさ……俺も、だけど」
「だって、なんか怖いんですもん」
口を窄めながら、足元に視線を落とす唐傘に桐人の眼が白くなる。
「その言い方、気もち悪いからやめろ」
一気に冷たくなった桐人の態度が堪えたのか、からかさが声を上げる。
「わ、私だって分かってますよ! ただ、いざあの人を前にすると、何故か、つい、威嚇してしまうというか」
「ついって……」
途切れ途切れに話す唐傘に桐人はついに深い溜息を吐いた。
――それじゃあ、理由にならないだろ。
♢
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様ー。お風呂湧いてるから入っちゃって」
午後八時。食事を終わらせ、行儀よく手を合わせれば、母からの指示が台所のカウンター越しに飛んでくる。
空になった茶碗や皿を重ね、そのまま彼女に手渡すと、桐人は着替えを取りに二階へと上がった。
今日も色々なことがあったためか、身体が疲労を訴えている。一風呂浴びたら、そのまま寝落ちしてしまいそうだな、と少年の口から独り言が零れでた。少しだけ、部活動をしている風間たちの気持ちが桐人は分かった気がした。といっても、あちらの方が相当の疲労感を感じているのであろうが。
つらつらとどうでも良いことに思考を回しながら、扉の取っ手を掴む。
そして、がちゃりと扉を開けた瞬間、少年は石化した。
「……」
数舜の間が落ちる。桐人の眼前に、寝台の上に腰かけながら煙管を吸う赤い美丈夫が居た。
ばたんと、扉を閉める。そしてもう一度、扉を開けた。
「――いやいや、何やってんのアンタ!?」
現実逃避を起こしそうな思考を引き留めながら、自分の部屋で屯する鬼へと怒鳴りつけた。
すぱぁと、灰色の煙を吐きながら相手が頬杖をついた。
「見りゃ分かんだろ」
「いやいや、わかんないって! いなくなったと思ったらなんで居るの!? なんで、俺の部屋!?」
床に散乱する缶ビールを尻目にしながら、いつもの敬語も忘れて阿魂を罵倒する。
すると階下から母が「桐人くんどうしたのー? 反抗期ー?」と声をかけてきたので慌てて「なんでもない」と言葉を返した。
「そう?
「え?」
母親の思わぬ返しに桐人の思考が一度停止し、瞬時に全ての答えを弾き出す。
「――って、犯人母さんかよ!?」
恐らく堂々と玄関から『人』に化けてやってきた阿魂を母親が、「まあ、いらっしゃーい! どうぞどうぞ。疲れてるでしょう? よかったら桐人の部屋で休んでってー」などと適当なことを言って、そのまま奴を息子の部屋へと上げたのだろう。
部屋に上げるのは百歩譲って良しとする。だが、それをなぜ息子に伝えない。
すっかり阿魂の休憩所と化した自分の部屋を桐人は嘆いた。
だけど、文句を言ったってこの状況が変わらないことは大分前から解っていたので、そのままぶつくさと泣き言を口にしながら箪笥から自分の着替えを取り出す。
すると、背後から前触れもなく暴言を向けられた。
「臭ぇな」
「――え?」
まさか自分の部屋に帰ってきて、そんな言葉を投げかけられるとは予想だにしていなかった桐人が惚けたように後ろを振り返った。
「武具か」
ぎくり、と不可抗力にも肩が強張る。まずい、とは思ったが上手い言い訳が見つからない。
苦し紛れに少年が吐いた答えは、本当に苦しいものだった。
「……ちょっと、色々あって」
はは、と誤魔化すように空笑いをしてみるが、そんなことで誤魔化されてくれる相手ではない。だがやはりというか、『桐人』という存在に興味がないのか、鬼はどうでもよさそうに煙管を口に含んだ。
そうして、脈絡のない言葉を口にする。
「お前――」
「え、」
「あいつに何か言ったか?」
あいつ、とは誰を差すのか。聞かずとも桐人にはすぐに解った。鬼が自分に話しかけるときは、大抵ふざけた要求か、幼馴染が関係している。
昨日と今朝。久しぶりに共に登校した花耶の顔を思い浮かべてみた。そういえば自分が入院した時、確かにいつもと違う様子が違っていた。だが、それに自分が関係しているのかはわからないし、朽木の件以来、お互い口を聞いていなかったから、思い当たる節はない。
「いや、特になにも」
暫しの思考の末、そう答えた。そして気になったので、問いかけてみる。
「何か、あったん、ですか?」
「さぁな」
「は?」
どうやら教えてくれる気はないらしい。少年に見向きもせず、自由気ままに煙管を吸ったりしながら寝台に寛ぐ阿魂。それを「いつものことだ」と、腹を立てることもなく服を手にした桐人は部屋から退出しようと足を進めた。
「……じゃあ、俺、風呂はいってくるんで」
それだけの言葉を残して、扉の取っ手を押して開けた。途端。
「っわあ!?」
「っぅおぅ!?」
予期せぬ存在と耳に飛び込んできた奇声に飛び上がる。
見れば、扉の前で所在無げに立つ幼馴染が居た。はあ、と相手が自分を落ち着かせるように吐息を零す。
制服ではなく、襟シャツに膝丈のスカートを履いている彼女に桐人は戸惑ったように声をかけた。
「なに、やってんのお前」
「え、あ、」
最もな疑問である。それに答えるように白い手が一冊の青いノートを少年の胸へと押し付けた。
「これ」
渡された物を咄嗟に手で受けとって、桐人は相手を当惑した表情で見つめた。
「ノート。もう既に他の人からもらってるんだろうけど、一応当たりそうなヤマ」
「え、まじで?」
どこか照れくさそうに視線を横にずらしながら、気を遣わせてくれた幼馴染に感動したように声を漏らした。
まさかこのような手間をかけてくれていたとは想像にもしてなかったもので、自然と少年の顔が綻ぶ。
「ありがとう。たすかっっ!」
ありがとう、と口にしようとした言葉は虚しくも頭と共に床へと沈んだ。
みしりと木製の床が悲鳴を上げる。
「阿魂!?」
その声だけで、何が起きたのか――桐人は瞬時に理解した。
ぐりぐりと頭部を踏みしめる足の正体はあの、糞鬼だろう。圧し掛かる体重にひりひりと顔面が痛みを訴える。
「よぉ」
「――あんた、ここで何してっ、ていうか、桐人! 血! 血が出てる!」
♢♢♢
一方、同時刻。東八町亭、個室にて。
「――いや、しかし。貴女も、ただでは起きませんね」
はぐりと鱧の天ぷらを口に含みながら土竜は言った。食事を咀嚼するたびに口元を覆う髭が揺れる。
その様をなにげなく眺めながら、万葉は恍けてみることにした。
「なんのことかしら?」
「捜査協力の要請をされれば、自由に動き回れるし、おまけにあの少年と何らかの接触をしてしまっても、手錠のことが公然の秘密として知られているため、怪しまれることもない」
はぐはぐと食事を口へと運ぶ合間合間に、器用に言葉を繋げる小人に万葉は呆れにも感心を覚えた。
「何より、例の『心臓』を堂々と調べられる可能性さえも得られているし、陰察庁とも情報の共有することが出来るから蟲に関する新しい情報も自然と手に入り放題」
最後の一口を頬袋に詰めて、ウーロンハイのコップを仰ぐ。そして、ぷはりと気持ちよさそうに息を吐いた。
「いやはや、女とは恐ろしいものですな」
「私は、何もしてないわよ」
手前の蛸の刺身をつまみながら万葉が土竜の言葉を否定するが、相手は其れを笑い飛ばした。
豪快なのか控えめなのかわからない笑い声を聞き流しながら、万葉が盃を仰いだ。
実際、万葉はこの件に関しては手を加えていない。したことといえば腕輪が嵌ってしまった際に、丁度よく向かいの廊下で居合わせていた土御門にも聞こえるように、声をいつもより大きく、
「それに、そんなに都合の良い話ではないわよ。相手もそれなりの意図があって私を指名したんだろうし。下手には動けない」
「そうですかな――私には、貴女の理想通りに事が進んでいるように見えますが」
含みのある言い方をする土竜に万葉の眼が細まる。確かに多少、動きやすくはなったが。
「理想、ね」
果たして理想通りに事を進めているのは、誰だろうか。
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