14.

「先輩、」

「ごめんなさい、待たせてしまって」

「あ。いえ!」


 遅れてやってきた待ち人に桐人は慌てて立ち上がった。すると、万葉の視線が隣の老人へと移る。


「こちらは?」

「あ、えと。この人は周防――」


 周防の紹介をしようと桐人が口を開くが、そういえば彼の下の名前を知らないことに気付いて一瞬の間が空いた。それを即座に察した周防が自分から名乗る。


「――周防、純一郎と申します」


 軽く会釈をして柔和な笑みを浮かべる老体に、万葉も微笑み返す。


「佐々木、万葉と言います。どうやら連れがお世話になったみたいで――」


 すっと優美な動作でこうべを垂れながら、こちらもまた自己紹介を済ませて顔を再び上げた。


「いえいえ、世話になったのは寧ろ私の方です。こんな年寄りの長話を聞かせてしまって」

「いや、そんなことは――。すごく為になりましたし。俺も結構話を聞いてもらって」

「あら。私の愚痴かしら?」

「え、」


 爽やかな笑みと共に見事に彼等の話題を当てた万葉に、桐人の表情が固まる。たらり、と桐人の頬に冷や汗が垂れる。

 本人は愚痴を零したつもりはなかったが、傍から見たらそう見えるかもしれないと思ったからだ。

 二人の間に落ちた沈黙。それを破ったのは老人の笑い声だ。


「いや、すみません。あまりにも仲がよろしいもので」

「いえ、あの、えと」

「短い付き合いですけどね」


 苦笑しながら答える万葉。それにはたりと目を瞬かせながら周防が小首を傾げる。


「そうなのですか?」


 確かめるように問う周防に、万葉は困ったように笑った。


「ええ、まあ……ところで、そこの傘」


 ぎくり。万葉の矛先が自分へと向かった途端、唐傘は身体を強張らせた。三人の視線が奴へと集中する。


「さっきから、なぜ、動いているのかしら?」

「いえ、あの。周防殿は元は私の友人でして」


 やましいことがある故に、からかさが目を泳がせる。まずい。このままでは自分のことを棚に上げて、佐々木万葉の悪口を吐きまくっていたことがバレる。

 自分に非が最大にあることは、どうやらからかさも自覚していたらしい。


「今、まだ昼なんだけど。人前でそんなに動いて良いのかしら?」

「え……あ!」


 その言葉に最初に反応したのは桐人だった。万葉の指摘する問題に、今になって気づいたらしい。すぐに周囲へと視線を走らせ、誰も自分たちに驚いていないか確かめようとした。

 だが、その心配もすぐに杞憂へと変わる。


「――ああ、それなら大丈夫ですよ」

「え?」


 のほほんと周防が少年の焦りを吹き飛ばす。


「からかさくん、今じゃあ大橋病院の非公認ゆるキャラになってるから」

「え?」

「は?」


 静寂が彼らを支配した。先に我に返ったのは万葉だ。


「あの。ごめんなさい、今、なんて?」


 自分の耳が可笑しくなったに違いない。そう信じたい万葉は額を抑えながら、周防に問い返した。だが、返ってきた答えは――。


「何回も私の見舞いに来てくれているうちに誰かに存在を気づかれてしまったみたいでね。でも、日中から居るものだからお化けとは思わなかったみたいで、病院暮らしの私を元気づけるために誰かが着ぐるみを着て遊びに来てると思いこんでいるんですよ」

「それって、いいんですか?」

「ここの人は寛大だから」


 —―いや。そういう問題ではない気がする。

 綿菓子のような笑顔で事を簡単に片づけてしまう周防に桐人は、我が耳を疑った。

 ここは病院だ。許可もなく、こんなものを入れていいのか。と、隣で何やら得意げに仰け反る唐傘を苦い顔で見た。

 普通の傘と比べて背も相当高い。身長百七十センチの桐人の胸元まではある。

 だが、何よりも邪魔臭いのはその顔面の暑苦しさだ。ばっさばさのまつ毛に真っ赤な唇。病人の目に悪いはずだ。絶対に邪魔だろう、こんなもの。子供にも悪影響だ。

 そもそも何をどうしたら、この中に人が入っていると思うのだろう。


「いや、駄目でしょう」


 数秒の黙視の末、桐人がたどり着いた答えはそれだった。

 だが、周防は言う。


「でも、今では子供にも人気だよ」 

「――あ、からかさだ――!」

「――おーい、オカマぁ!」


 言ってる傍から、子供の高い声がする。片方は突っ込みどころのある呼びかけだが。声の根元を振り返れば遠くで寝間着姿の子供たちが手を振っていた。どうやら病院の入院患者らしい。

 ちらりと万葉の方を見れば、桐人同様、複雑な表情をしていた。


「ふふん。私だって、ちゃんと考えてるんですよ」


 隣のからかさが何かを言っている。万葉がゴミ虫を見るような目で唐傘を見た。

 ――うわぁ、うぜぇ。

 彼女の心の内を代弁するなら、こうだろう。桐人も同感である。

 二人の冷視線に気づいたのだろう。ハッと我に返ると、そそくさと唐傘がその場から離脱しようとした。


「――あ、おい待てからかさ!」

「こ、子供たちが呼んでいるのでちょっと行ってきます! ついでにジュースも買ってきますからぁ!」


 ケンケン跳ねながら遠くで手を振っている子供たちの所へと向かう。このまま逃げられそうな気がした桐人は瞬時に奴を捕まえようと走り出した。


「すいません! すぐに捕まえてきますんで!」


 バタバタと走り去ってゆく一匹と一人の背中を見ながら万葉は嘆息を吐いた。どうせすぐに戻ってくるだろう。このまま逃げ去る度胸など奴らには無いのは知っている。無駄に体力を使いたくないので、そのまま放っておくことにした。


「いい子たちですね」

「若干一名に、疑問はありますが」


 小さくなった背中を眺めながら周防がまた笑った。素直に彼の言葉に頷くことができず、目を逸らす。


「佐々木さんは、なぜ今日ここに――?」

「探し物がありまして」

「そうですか――」


 その言葉を聞くと周防はどこか遠くを見るように目を細める。


「見つかると、良いですね」

「もう何百年も経つけどね」


 ポロリとなんてことはないように言葉を零す万葉。そんな彼女の突然の衝撃発言を周防は呆気に取られたように聞き、そして「はは」と嬉しそうに破顔した。


「けど、一人より二人の方がきっと早く見つかりますよ」

「別に彼らはそんなんじゃないわ」


 万葉の視線の先が、遠くで騒ぐ少年たちへと向かう。


「さっき言っていたみたいに、お互いに離れられない理由があるから行動を共にしているだけ。彼らは何の関係もない」

「――立ち聞きは趣味が悪いと、いつだったか誰かが言っていましたね」

「あら、それは初耳ね」


 悪びれなく喋る女に老人が仕方なさそうに笑う。


「貴方は変わりませんね」

「常識外れの、無茶苦茶な女ですから」

「其処まで聞いていらっしゃいましたか」


 「いや、参った」と周防が頭を撫でる。昔を思い出したのか、瞼を伏せたその面差しはほんの少しだけ、寂しげに見えた。


「私は随分と年を取りました」

「良いことね――生きている証だわ」


 今度は万葉が笑った。琥珀色の瞳は優しげに細まり、どこか切ない色を映す。だが、それはほんの一瞬で、曇りのない透き通るような笑顔が彼女の秀麗な面差しを飾った。

 それを周防は眩しげに見つめる。


「――貴方は」

「先輩!」


 上手く子供たちをあしらえたのだろう。桐人が傘を片手に駆け寄ってきた。


「すみません。お待たせしました」

「思ったより、早かったわね」


 帰ってきた一人と一匹を少し意外そうに見ながら、万葉は周防へと向き合った。


「じゃあ、周防さん。ごめんなさい、私たちはこれで――ほんの少しの間だったけど、話せて良かったわ」

「ああ――も、ありがとう」


 心なしか、いつもより柔らかな声で話す彼女に、周防は嬉しそうに頬を緩ませた。


「周防さん、話、聞いてくれてありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げる桐人にも小さく微笑みながら手を振る。


「いえいえ、こちらこそ」

「申し訳ない周防殿。私めも今日はこれで。また、明日。次は角屋の美味い饅頭を」

「うん。僕も栗饅頭、用意して待ってるよ。片瀬くんも、もし気が向いたら年寄りの相手をしておくれ」

「はい、ぜひ」


 朗らかに別れを告げる周防に桐人も快く言葉を返す。短い間ではあったがそれなりに充実した時間を過ごせたらしい。晴れやかな表情をしていた。

 そして――。


「――それじゃあね、泣き虫坊や・・・・・


 微かに呟かれた小さな声。吹いた風によって掠れてしまった言葉を辛うじて拾い上げられたのは、周防だけだった。

 褐色の眼が驚いたように見開き、あるはずのない幻を映す。

 傍らに立つ木々の葉が薄紅色へと染まり変わり、目の前を横切る女の存在感を浮き彫りにさせる。白いブラウスに黒のロングスカート。一瞬だけ見えた横顔には淡い笑みが形作られていた。

 

『――なんだよ純一郎。まぁた、泣いてんのか?』


 聞こえるはずのない呼び声が耳奥で聞こえた。いつかの情景。愛しかった日々。

 自分の片割れが其処で困ったように笑っている姿が見えた気がした。

 

「そういえば、確かによく泣いてたな……」


 記憶の中の幼い自分は、よく泣いていた。その溢れる涙を止めてくれたのは、懐かしい従弟と――。


佐々木・・・さん」


 一人、先に立ち去ろうとしていた女性を呼び止めた。

 相手が答えるように足を止めて、振り返る。

 ゆらゆらと揺れる木漏れ日の中、老人は笑った。ふわりと、風が女の髪を弄ぶ。


「――いつかきっと、見つかり・・・・ますよ・・・


 耳元まで届く声を、そっと心に仕舞って万葉も言葉を返す。


「――ありがとう」


 脈絡のない言葉。それをなんの戸惑いもなく受け取る彼女。

 二人のやりとりを、桐人は不思議そうに見つめていた。




 ♢  ♢

 

「捜査協力!?」


 驚愕したように声を上げる少年を意に介した様子もなく、正面の席に座る女性はのんびりとメロンソーダを口にした。

 からりと、ストローを回した拍子に氷がコップの縁に当たる。


「そう。この手錠のことも承知してくれているから、別に二人で行動しても問題ないって。ただ、場合によっては君の安全をちゃんと確保してから、許可をもらわないと動けないかもしれないけど」

「え、ちょっ、え!? あの、何をどうしたらそんなことに」

「わ、わたくしめも話が全く……」


 話が見えないと、同じテーブルに座る一匹と一人が訴える。

 もう一口、とジュースを啜って、万葉は土御門との間に設けた取引の説明をしてやった。


「蟲喰いが足りないんですって。だから、そこで私が捜査協力をして、同時にあちらさんにこの枷を外す手助けをしてもらう」

「いや、でも、それって—―」

「まあ、貴方を監視するための建前と私を調べる丁度いいきっかけになるわね」

「一番、まずい――むごっ!」


 うるさくなりそうな気配を悟って、桐人の口へと先ほど頼んだ苺のショートケーキを突っ込んだ。

 ここはカフェテリアだが、病院である。あまり騒ぐと周りに迷惑になるし、呪術関係者に聞かれれば問題になりかねない。


「そんなに心配しなくても、あっちはそう下手に動けないわよ。監視といっても、経過報告をする際にこちらの動向を探るだけだろうし。人員不足って言ったでしょう? 本部から助っ人が来るまでは私たちみたいな小物にまで目を回す余裕はあちらさんには無い」


 「だから、問題ない」と残ったケーキをの欠片を口に運ぶ万葉を桐人は不安そうに見た。が、本人は一切取り合わずに別の問題に触れる。


「ああ、そうだ。片瀬君」

「はい?」


 思い出したように桐人の顔を見て、万葉は目を眇めた。


「お願いだから、馬鹿なことは考えないでね」

「え?」

「君が腕を失くしたり、死んだりしたら真っ先に疑いをかけられて捕縛されるのは私だから」

「――え!?」


 心の内を読んだのかのように先に釘を刺してきた彼女に、がたりと椅子を引きずりながら桐人は後ろへと仰け反った。

 その隣で唐傘も瞠目したように、桐人を凝視する。


「しししししし、死ぬって――片瀬殿!?」

「い、いや。あの、別に死のうとかじゃなくって、ただ手錠邪魔だし、だから外すために多少の無理していいかなって思って。な、なにも」

「そう。じゃあ言い方を変えるわ。私に何も言わずに勝手なことはするな」


 そう言った万葉の目はいつに増してきつく、鋭かった。


「君が何をどう思っていようが、私たちが一心同体みたいな状態になっていることには変わりない。つまり。片方が何かすれば、もう片方にも影響が及びかねない。わかるわね?」

「……はい」

「君のその意気込みは買うし、私としても有り難い。だけど、後先を考えないその無鉄砲さはいらない。むしろ、迷惑だ」

「……」

「そんな言い方、」


 何やら口を挟もうとする傘を睨んで黙らせる。そして目の前で俯く少年に、万葉は手を差し出した。おそるおそる。迷子の子供のような表情をした桐人が顔を上げる。


「お互い、大変だろうけど……これから、よろしく。少年」


 にっと八重歯を覗かせながら、一番大変なはずの女が悪戯っぽく笑った。

 それに桐人はなんとも形容しがたい、複雑な感情を覚えながら口を引き結び。申し訳なさと不甲斐なさ。それに苛まれながら自分も手を伸ばす。

 少年の武骨な手と、女の白魚のような手が重なる。


「――よろしく、お願いします」


 それは、恐らく少年にとって人生の大きな転換の始まりであり、女にとっては終焉への旅路の始まり。

 複雑に絡み合う糸。そこに潜むのは遺恨と。情愛と。切望と。策略と。絆。

 偶然か、必然か。


 物陰から自分たちを観察する一対の眼を、彼らはまだ知らない。


 

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