13.
「なるほど。それは、面白そうね」
土御門の依頼を聞いて最初に万葉が口にした一言めが、それだった。
だが、すぐに困ったように首を傾げる。
「けど、ごめんなさい。私、今それどころじゃないの」
「――その呪具か」
「……気づいてたのね」
男の視線が女の手首へと落ちる。そこには
「色は違うが、昨日帰宅した片瀬桐人の腕に見慣れぬ腕輪が付いていたことは聞いている」
「あら。学校でその現場を見てた、の間違いじゃなくて?」
さらさらと言葉を吐く土御門に、万葉は飄々と訂正を入れた。
常日頃ではないが、土御門自身が偶に見張るかのように片瀬桐人を観察していたことに万葉は気付いていた。昨日の騒ぎの時も、万葉たちが居た廊下とは別に、向かい側の廊下に土御門も居合わせていた。多分、あれは偶然だったのだろうが。
じっと、土御門を見つめる万葉。観念したように土御門が溜息を吐いた。
「取引をしよう」
その言葉に万葉が背筋を伸ばす。
「今回の事件の調査に協力をしてもらう代わりに、我が鑑識課、及び情報部が君のその枷を外すための助力をする」
「悪くない……けど、良いの? そんな重要な捜査に得体の知れない蟲喰いが割り込んで?」
「こちらも人手不足なんでね。手段は選んでいられない――だが、もし。君が何かをしようというのならば、その時は喜んで捕縛させてもらうよ」
牽制のつもりか、一際冷たい声で話す土御門に、万葉の口角が上がった。
「――良いわ。乗った」
にっこりと、艶やかな笑みが彼女の顔を飾る。次いで、白い指先がくるりと腕輪を回した。
「私はこの枷を外すこと。其方は蟲の生態、及び『パラダイスシフト』の出処ってところかしら?」
「いや、薬の出処はこちらが探す。君は蟲の生態研究に協力してくれるだけで良い」
「交渉、成立ね」
パン、と音が鳴らしながら万葉は手を叩いた。その声はどこか弾んでいる――。
♢ ♢
「さぁてと……あの二人はちゃんと大人しく待っているかなぁ」
コツコツと靴底が音を鳴らしながら、駅から病院へと向かう。空を閉ざしていた曇も流れ、見事な晴天が続いている。
土御門への応対のせいで桐人たちを三十分以上は待たせることになってしまったが、別に良いだろう。代わりにとって言ってはなんだが、堂々と自由にここらを嗅ぎ回れる権利を得たのだから。
くつり、と万葉の喉が笑う。
(――これで、病院の内部もいけるかな?)
土御門とは既に話を付けている。捜査協力か、腕輪の解除方法を探しているのだと言い訳をすれば、大体の場所は探れるだろう。許可がなくとも潜りこめばいい。後でどうとでも言いくるめられる。
(――ただ、うまい話ではあるがあまり派手な動きはできないな)
土御門の顔がふっと脳裏を過る。今回は捜査協力も目的ではあるのだろうが、実際にはこちらに探りを入れるためのものでもあるはずだ。片瀬桐人に接触した『蟲喰い』だ。例えそれがただの偶然であっても、疑ってかかるのは道理。
だが、万葉がこの取引を受けたのはそうした方が有利だと思ったからだ。これで陰察庁にも堂々と出入りできるし、付け足すならば鑑識課と情報部という大きな特典もある。
鑑識課ならば手錠自体を解除する糸口を見つけられるかもしれないし、そうでなくと情報部がある。隙があれば鍵についての情報以外も引っ張り出せるかもしれない。ただ本当に慎重に、注意していかないと、一瞬でお縄につくことになってしまうが。
この捜査協力は、いわば駆け引きだ。
(――食うか、食われるか)
先のことを想像したのか、猛攻な笑みが女の顔を歪ませる。
緊張と憂鬱とは別に、形容のし難い高揚感が彼女の胸を満たした。その影響か、足音が先程より軽くなっている。
白い建造物が視界の端に映る。大橋病院だ。
緑に囲まれた大きな白い函。その前に、出入り口のように広がる公園に万葉は足を踏み入れた。
きょろりと目的の人物を探すように周囲を見渡す。すると、手前のベンチに腰掛ける少年と一本の傘が見えた。
(あの傘……まだ人目があるのに)
堂々と立っている妖怪に目を顰める。だが、その隣に居る人物にふっと気づき、小首を傾げた。
「あれは――」
♢ ♢
「なんか、その人も色々と無茶苦茶ですね……」
「あっははは!」
感心しているのか、呆れているのか、ボソッと少年が零した一言に老人が声を上げて笑った。
「まぁねぇ……うん、でも救われたことには変わりないよ」
過去の情景へと想いを馳せているのだろう。柔らかく微笑んだ周防はどこか遠い目をしながら言った。
その横顔を見やりながら、桐人もまた思う。
――救われたことには、変わりない。
確かにその通りだ。たとえ、どんなに理不尽でも横暴でも、自分が佐々木万葉に救われたことには変わりない。その事実は、変わりようがないのだ。
恐怖とは別に、胸の奥に仕舞われていた痛みがぶり返し始めた。
「……さっき、離れられない理由があるって言ったんですけど」
ポツリと、小さな声で桐人は独り言のように呟いた。周防の視線が少年へと戻る。
「それ、俺のせいなんです」
足元を見たまま、少年は吐露した。
「いっぱい助けられたのに。返しても返しきれない恩があるのに」
たった一回の頼みごとで散々な面倒をかけてしまった。本当は事件と何の関係もなかった人なのに。
相当嫌だったろうに、それでも自分の我儘に最後まで見捨てずに付き合ってくれた彼女。
「約束、してたんです。もう関わらないって……」
それが桐人が彼女にしてやれる唯一のことだった。陰察庁に目をつけられつつある少年は、力を隠したがる女にとっては厄災でしかない。
「それなのに……俺の不注意で彼女にまた迷惑をかけることになっちゃって」
膝の上で握られた拳が震えた。
考えてみれば酷い話だ。感謝こそすれ、恩人に迷惑をかけ、その上「怖い」などと――。
酷い話だ。失礼な話だ。何様だ、自分は。
今になって改めて自覚する自分の酷い恩の返しように、桐人は自分を殴りたくなった。
苦心する少年に、横で唐傘が何かを訴えようとするが、否定するように首を振られた。
「なんだかんだ言って、多分俺、彼女の言葉をどっかで軽く受け止めてたんです。だから、こうなった」
「接触するわけではないのだから、これくらいなら大丈夫だろう」と足を踏み出した。それがいけなかった。
そのせいで、佐々木万葉は枷を嵌められ、縛られることになってしまった。
これで、もし陰察庁に全てが露見してしまえば万葉は十中八九、捕らわれる。いや、それよりももっと非情な事態になるかもしれない。土御門を通して陰察庁という組織を見てきた桐人には、この状況が最悪なものにしか見えなかった。土御門らは『妖刀』を追っている。それはきっと何かに利用するためだ。優しい目的ではない。
桐人が見てきた土御門はいつだって犯罪者を葬るためなら、手段を選ばなかった。それをよく理解していた桐人は自分の手首に嵌る腕輪を睨んだ。
「……俺、絶対に解放します」
申し訳ないと思っているのなら。罪悪感を抱いているのなら。何が何でも、すぐに彼女をこのくだらない面倒ごとから解放してやるべきだ。
彼女にはこれ以上ないほどの迷惑をかけた。もういい加減にしないと、駄目だ。
「もう手段は選ばない。何が何でも、あの人を自分から解放する」
そうだ、手段を選ぶな。悲観する暇があるなら、動け。くだらないことにうじうじと悩んでいる暇があったら彼女の手錠を外す方法を考えろ。
探せ。見ろ。思い出せ。枷を外す方法は――。
――『切り落としてみるか』
頭の片隅で囁く声に、桐人はふっと意識を奪われた。
「片瀬殿?」
黙ったまま腕輪を凝視する桐人に、不審に思ったからかさが声をかける。だが、反応はない。
桐人は自分の思考を過ぎったいつかの言葉に捕らわれていた。
(………そうだ)
もし手錠を外す方法が見つからないのなら、腕を切り落とすべきは――自分だ。万葉ではない。
どくりどくりと心臓の鼓動が耳奥まで木霊している。ごくりと、桐人の喉が上下した。
(もし、今日中に手錠を外せなかったら――)
その時は、と右腕を見つめる。
騒がれるのは目に見えてるから、誰にも頼めない。自分で全部用意しないとダメだ。包丁と、応急処置のための布と、それから―――。
考えれば考えるほど、想像が現実味を帯びてきて、桐人は右手を強く握る。
途端――ぽん、と何かが頭に乗った。
「――す、おうさん?」
見れば老人の手だった。さらりと、しわしわの手が頭を撫でる。
「……あまり、難しく考えないようにね」
「え、と」
予想もしていなかった相手の行為に戸惑う。おろおろと、どう言葉を返せば良いのか逡巡した。
ベンチに座る高校生の頭を撫でる車椅子の老人と、その隣で迷子のような顔をしているからかさ。何とも奇妙な光景に終止符を打ったのは、女性の声だった。
「片瀬くん」
「――え。あ、」
もはや聴き慣れてしまった声に意識を引きずり戻される。顔を上げれば、少し離れたところに待ち人が静かに佇んでいた。
少年と一緒に、老人も僅かに目を見開く。
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