12.
「――というわけでしてね。あっちこっち情報を嗅ぎ回って、もう疲れるのなんの」
「そうか、それは大変だったね」
――いや、なんだこの状況。
大橋病院前。公園のベンチに座る少年は、眼前の光景を見つめながらそう思った。
車椅子に座りながら缶コーヒーを啜る老人と、興奮したように口を捲したてる唐傘。それを横目に桐人は頭を抱えたくなった。
「もう、私。あの方とはとてもやっていけるとは……」
――いや、付き合うのお前じゃねぇし。つーか、お前の場合は自業自得だろうが。デカイ顔してんじゃねぇぞ、コラ。
老人がうんうんと横槍を入れることもなく奴の愚痴もどきを聞いてやっているせいか、唐傘が段々と偉そうな口を聞きはじめている気がした。ピクッと桐人の米神が引きつく。
(ったく、こいつは……)
ちょっと褒めたりなんなりすると、直ぐに調子づく。どこかでストップを入れてやらないと、この聞き上手な老人も疲れてしまうだろう。
(確か、周防さん、だっけか)
白いブラウスに紅茶色のスラックス。白髪のオールバックがなんとも様になっているお爺さんだ。だが入院患者ということも相まってか、どこか儚げにも見える。なんと言えば良いのか。あの骨董屋の店主とは違う意味で、全体の色が薄いように桐人は感じた。
(しっかし、唐傘にこんな知り合いが居たとはな……)
桐人が病院送りにされた、あの事件の日に知り合ったらしい。「あんなドタバタの中で何時の間に」と思ったが、どうやら唐傘にも色々とあったようだ。「恩人」だと言っていたが、桐人には何のことかさっぱりだ。
「――桐人くんも、その人のことが苦手なのかい?」
「え?」
突然、向けられた水に思考が止まって、思わず保ける。
「え、えと」
その人、というのは恐らく話題の中心である『佐々木万葉』のことだろう。なんと答えれば良いのか分からず、桐人はただ頭に浮かんだことを口にした。
「わ、かりません」
脳裏に浮かぶのは、初めて彼女と会った瞬間。学校の図書館で、花耶に無茶苦茶な暴言を吐き捨てたあの時だ。
「初めは、おっかない人だなぁって思って」
「彼女が怖いのかい?」
その問いに桐人は意表を突かれたように顔を弾きあげた。目の前の老体に自分の本心を見透かされたような心地がしたのだ。
「――いえ、」
老人の深い褐色の瞳子が、少年を射抜く。
その深淵の瞳に吸い寄せられるように、ポロポロと少年の口から混沌としていたはずの感情が零れ落ちた。
「絶対に、関わってはいけない人だと……思ってたんです。でもそんなこと言ってられない状況になって、迷惑だと分かっててもあの人に無理言って助けを求めちまって、」
東八町亭で交わされた会話が、脳裏を過る。
冷たい視線。突き放すような返事。けど、最後には――。
「そしたら、あの人。本当に助けてくれたんだ」
無茶苦茶なことばかりさせられたけど。理不尽な言葉ばかり向けられたけど。
「横暴な、人だけど……悪い人じゃないのかな、て最近思って」
だから、彼女に対する畏怖は無かった。少し危ない匂いはするが、それでも案外まともな女性なのだと桐人は思い始めていた。多大な恩を感じていたのも、あるかもしれない。
「けど、やっぱり」
昨日の光景が目裏に焼きつくように蘇った。躊躇なく振り落とそうとした刃。淡々とした瞳。仄暗く、冷徹で、自然で、不自然で。彼女が——得体の知れないものに見えた。
「俺は、怖いのかもしれません」
くしゃりと、我知らず握っていた制服のズボンに皺が寄った。力の入りすぎた拳に震えが走る。
「何が怖いのか、分からない。分からないから怖いのかもしれない。ただ、側に居ることが怖くなったんです」
そうだ。佐々木万葉が怖いのではない。佐々木万葉の傍にいるのが、怖いのだ。
「すいません……上手く言えなくて」
あと少しで掴めそうだった答えは結局掴めず、桐人は苦笑した。焦りを隠すように首筋に手を当てる。すると、その仕草に目を細めながら、老人が初めて自分の意見を口にした。
「人は人、おれはおれ」
「――え?」
一瞬なにを言われたのか分からなくて、桐人は老人をはたりと振り返った。其処にはニッコリとした朗らかな笑顔があった。
「相手が悪い人であろうが、そうでなかろうが、深く関わらなければ同じ、ということさ」
「え、あの……」
それはつまり佐々木万葉とは深く関わり合うな、ということなのだろうか? 桐人は前触れもなく切り出された言葉に当惑した。
「難しく考えなくても良いんじゃないかな? 怖いなら少し距離を置けば良い。気になるのなら、彼女を見つめ続ければ良い」
「いえ。距離を置くっていっても、今はそれは出来なくて……」
あっけらかんと言ってしまう周防に桐人は事情をどう説明しようかと唸る。すると、相手が心得ているかのように一つ頷いた。
「じゃあ、しょうがないね」
「え?」
「離れることのできない事情があるのなら、しょうがないってことさ」
「え、えぇ?」
なんと、楽観的な。まさに他人事といった口調に桐人の眉尻が下がった。
「それでも嫌なら、今すぐに死に物狂いでその事情を解決して離れるしかない。でも、君はそれをしないね?」
「――あ、」
そうだ。彼女に恐怖を抱いているのなら、不安を感じたのなら、少しでも彼女から距離を置けば良いことだ。実際、桐人は今までそうしてきた。苦手な人物とはそれなりの距離を置いて、それが出来ない理由があったなら、早急に問題を解決していた。万葉のことだって、会いたくないのなら携帯や文通で用事を済ませれば良い。でも、そうしなかったのは。そんな案さえも思い浮かばなかったのは――。
「君はそれ以上に彼女のことを知りたいんだね」
「――っ、」
突き詰めてしまえば、そういうことだ。興味と恐怖は表裏一体。知りたくない、と心に訴えさせる不安も存在すれば——「恐怖」とは言いえて妙で、興味を突き動かすものでもあった。
「君の恐れは、いつかその興味が彼女との関係を壊すかもしれないからかな?」
どうだろうか。そもそも自分と彼女の間に、『関係』と言えるものさえあるのだろうか?
「いや、それとも本当に彼女自身に一種の畏怖を感じているのかな?」
わからない。わからない。けど、一つだけハッキリしてるのは――。
「なにはともあれ、君は彼女にとてつもない興味を抱いている。惹かれている、と言っても良いのかもしれないね」
「え゛?」
「惹かれている」という単語に、からかさが何やらギョッとした顔を見せる。桐人も内心では動揺していた。
惹かれている、とはなんとも誤解を招く言葉ではあるが、桐人には其れを否定することが出来なかった。少年は確かに万葉に対して強い関心を抱き始めていたのだ。良くも悪くも――。
桐人の胸に渦巻く万葉に対する不安は、興味の表れでもある。その事実に初めて気づいた桐人は唖然とした。
ぽっかりと口を開いたままでいる少年の顔を、老人はくすりと笑った。
「――けど、気をつけた方がいい。女性は基本的に詮索をされるのを嫌うから」
「え?」
放心状態から戻れていないのか、穏やかに微笑む周防の注意に、桐人は惚けたような声を返した。
「僕もね、似たような女性に似たような畏怖と興味を抱いたことがあるんだ」
「そう、なんですか」
佐々木万葉のような女性が二人もこの世に居たら、それもそれでどうかと余計なことを思ったが、桐人は黙って相槌を打った。
そんな彼の内心など知らぬ周防は、くすくすと昔を思い出したのか、楽しそうに笑いながら話した。
「桜の精かと見紛うほど……綺麗な女性だったけど、本当に無茶苦茶な人だったなぁ」
「えぇぇぇ!?」
「ぅお!? な、なんだよ、いきなり!?」
唐突に上げられた悲鳴に桐人が飛び上がり、責めるようにからかさを見た。
「さ、桜の精って――に、にににてません! あのような野蛮人と仮面と鞭が似合いそうな方ですよ!? 月とスッポンです!!」
――いや、十分似てんだろ。
からかさの馬鹿みたいな叫びを聞き流しながら、桐人はツッコんだ。
(そもそも、仮面と鞭って何だ。野蛮人とどう違うんだ)
そんなことを思考しながら、「万葉だって絶対に似合うと思うぞ」なんて、本人が聞いたら、確実に嬉しくないだろうフォローをしてみた。
そして、危うくちょっと想像しかけて……やめた。
心なしか少し疲れを感じた桐人は溜息を零しながら、熱り立つからかさを胡乱げに見上げる。
「そもそも、なんでそこでお前が怒るんだよ? 知り合いなのか?」
「周防殿の恩人です!」
「はぁ?」
ますます意味がわからんと、顔を顰める桐人。そんな疑心に満ちた表情をする桐人に答えてやるように、苦笑しながら周防が言葉を挟む。
「少し、昔話をしようか――」
♢ ♢
一方、その頃。
「――それで、聞きたいことって何? この間の蟲怪奇事件?」
校庭の隅。人のいない放課後に、顔を付き合わせる二人の影に甘い空気はなく、かと言って険悪な雰囲気も漂ってはいなかった。まるで世間話をするかのように、あっさりと話の核心を突く万葉に、土御門がふっと息を吐いた。
「知っていたか」
「そりゃあね。『裏』まで被害が広がっていたのは、貴方も知っているでしょう?」
「知っていることは?」
「パラダイスシフト?」
隠す気は無いらしい。莞爾として笑う女の口から飛び出た名前に、土御門が初めて表情を見せた。ピクリと奴の米神が反応する。次いで深い溜息が出た。
「どこまで知っている?」
「隠りの世間様が知っている程度には?」
いけしゃあしゃあと答える万葉。今日は『
「知っているなら話は早い。蟲喰いである君の目から見た、蟲についての意見を聞きたい」
「と、言われてもね。私も初めて見るタイプだったからなんとも」
肩を竦めて惚けてみる。だが、相手はそれを許してくれないらしい。じっと無感情な双眸を向けてくる土御門に万葉は苦笑して、仕方がなさそうに吐いた。
「……人工的に精製された新種。喰らうことに貪欲な分、成長速度も速い。それから、なんとも言えない悪食というか……普通の蟲にはない群れる習性がある」
「それだけか?」
「あの怪奇事件以来、一度も遭遇していないもの。調べたくても、ねぇ?」
確認を繰り返す土御門に、手は全て晒したと両の掌を上げる。すると、土御門は問うた。
「あれを喰らったことは?」
その問いに、万葉は一瞬の間を開けると、目を細める。
「――食わせたの?」
誰に、とは敢えて口にはしなかった。せずとも誰にだって察することができると思ったからだ。少なくとも、陰察官なら――。
土御門は何も答えなかった。その沈黙こそが全ての答えだった。
「そう。随分、危険なことをさせたのね」
何も答えない若い公務員を万葉は嘲り。土御門は無感情に答える。
「――殆どが全滅した」
――であろうな。
いとも簡単に想像できた結果に万葉は静かに笑みを消した。
あの事件の日、総動員した蟲喰いが全滅した。これで、陰察庁子飼いの可愛い蟲喰いたちは使えなくなったわけだ。まだ事件は解決しておらず、もう暫く蟲の駆除は続くというのに。きっと、何とか生き残れた者たちも使い物にならなくなっているのだろう。可哀想に。
土御門は続けた。聞かなくとも分かる蟲喰いたちの行く末を――。
「あの場に居た全ての蟲を殲滅することは出来たが、喰らおうとして逆に霊力を喰らわれたものが多い」
「そうでしょうね。あれを前にしたら、私たちは最早『蟲喰い』とは言えない。食物連鎖が完全に破綻しちゃってるもの」
宿主という殻が無ければ何も出来ない最弱の蟲。そんなちっぽけな蟲を唯一好んで喰らうからこそ、アレらは『蟲喰い』と呼ばれてきたのだ。
「普通の蟲は弱いからこそ、宿主を探して寄生し、其処から養分を貰いながら宿主を操り、時が来れば別の宿主へと乗り換える。だけど、あの蟲は宿主に寄生し、その宿主を通して他者、いや、それどころか大気さえから養分を吸収していた。正になんでも喰らう悪食。あれを前にしたら私たち蟲喰いなんて可愛いものよ。食らえるのは、弱いはずの蟲と死骸だけなのだから」
「……君が、あれを喰らおうとしなかったのも、そのためか」
聞くまでもない。はっ、と万葉はこれ見よがしに相手を小馬鹿にするように笑った。
「一目見ればすぐにその危険性はわかる――それでも、蟲喰いたちを使ったのは、別に使い捨てても良いと思ったからでしょう?」
式神とは言っても、あれは調教されたペットのようにしか万葉には見えなかった。都合の良い時に使いまくる、使い捨ての駒。
「あれが、最善の策だった」
「――そうね」
否定はしない。あの時はああする以外に方法はなかったのだろう。蟲喰い以外に、寄生主を殺さずに蟲だけを取り除く術を陰察庁は持っていなかった。まだやることがあるこんな時に、一番必要な蟲喰いを失ったのは痛いはずだ。
「――それで、噂の妖刀を探し回ってるわけか」
くつりと喉を鳴らせば、鋭い視線を向けられた。
「余程のものなのね、それ」
「知っているのか?」
ぎらつく眼に万葉は答えない。答えてやる必要もない。
『黒い大太刀』は、妖の間でも噂になっていた。誰が吹聴したのか、或いは何処から漏れたのか、陰察庁たちが大太刀のことを嗅ぎ回っていることは少しずつ広まっている。といっても、妖刀については信憑性はなく、ただの都市伝説のような話になっているが。
妖たちは嘲っているのだ。あるかさえも分からぬ幻に、陰察官たちは追い縋るほどに困窮しているのだと。
土御門も、苦々しくも陰の者たちがどう思っているのか知っているのだろう。だからこそ、特に追求もせずに質問を取り下げた。
「まあ、良い」
気を取り直すように眼鏡を押し上げて、ブレザーの内ポケットに手を差し入れた。そして、パラリと一枚の紙を翳す。
「佐々木万葉。君に捜査協力の要請をしたい」
万葉の口角が上がった。
この場合の捜査協力は、証拠提出や現場検証の立会いとは全く違うものを差しているからだ。
「蟲を亡くなった貴女のところの式神の代わりに、蟲を狩れって?」
式神が不足しているのなら他所から調達、或いは正式な手続きを取った上で、陰陽法に則り、霊妖に捜査協力を願い出れば良い。
だが、土御門は万葉の言葉に訂正を入れた。
「――いや。《パラダイスシフト》、及び蟲の生態についての調査協力だ」
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