衝突、

1.

 陰業警察庁おんごうけいさつちょう――《略称》陰察庁おんさつちょう

 現代において、かげに潜む者――つまりは人に仇なす妖の討伐、及び、呪術者を管理・統括している『陰』の行政機関である。


 機関の主の仕事は、陰陽師や祓魔師などの呪術者の各種資格の認定や、術師に纏わる法の制定をはじめ、妖絡みの事件捜査など、『陰の世界』に関わる行政を一手に担うこと。

 国家にとっては重要な機関の一つではあるが、その存在は霊妖同様、おおやけにされることなく、情報は政府によって規制されている。故に御庁の認識は、世間では都市伝説のような存在となっていた。


 しかし機関が有する力は、世間の認識とは比例して非常に大きなものであり、それを証明するかのように機関は京都を拠点とし、支分部局を幾つも日本中に設置していた。


 その一つである関東支局が建設された街――池袋。随分と雄大な高層オフィスビルは、曇天に聳える摩天楼のような偉観を伴いつつも、不思議と街中に溶け込んでいた。


 そんなビルの一角で、青年――土御門春一は一人、頭を悩ませていた。


「……蟲、の大量発生ですか」


 関東管区かんとうかんく陰察局おんさつきょく――鑑識課。

 フロアのスペースをほぼ陣取っている無駄に広い部署は、従業員が居るにも関わらず、皆が仕事に没頭しているせいか、やけに静かだった。そのせいか春一の声は普段より大きく、鮮明に室内に広がって、空気に溶けた。


 落とされた呟きに答えるように、黒いスーツの上に白衣を身に纏った女性――出雲いづもは、ゆっくりと頷いてみせた。きしり、と彼女が座る豪奢なデスクチェアが鳴く。


 短い茶髪を搔きあげながら資料を読み上げる彼女の顔は青白く、疲れが見て取れた。


「そう、この蟲が憑りついた事件、君が出くわした奴以外にも、何件かあったのよ」

「何件、と言いますと?」

「合計、百十二件」

「——は、」


 絶句した。予想を超える数字に春一の目は点になりそうだった。


妖震よしん、ですか」


 『妖震』――大気中に存在する霊気がバランスを崩すことで瘴気へと変じ、それを糧に妖が大量発生、或いは活発化する現象を差す言葉である。


 もし、今回の蟲の大量発生が妖震によるものだとすれば、過去のものと比べて規模が大きすぎる。その事実に春一は一瞬眉を顰めるが、すぐに蟲の発生場所が新宿だと思い返し、緊張を解いた。

 漂う異様な霊気の量から、妖に力を与えることで知られるあの新宿ならば、驚くことではないのかもしれない。


 本来、『妖震』は霊気の均衡を崩す『きっかけ』が無ければ起きるのものではないのだが、新宿はその霊気の濃さからか、自然とバランスを崩してしまうことが多い。

 「災害」と称しても、大抵は子妖怪が瘴気によって増した力で、多少の興奮と喜色に騒ぐだけだ。しかし、活発化した妖の数も常時は二十を満たすか満たさないかで終わるのだが、今回はいささか多すぎる。


 これは、もしかしなくとも自分も駆り出されることになるのか、と春一は少し陰鬱に思った。しかし、その思いもすぐに驚愕で覆される。


「いいえ。これは多分、故意的に起きた事件よ」

「出雲鑑識官……ご冗談を、」

「言っているように、見えるかしら? 土御門捜査官」


 いや、見えない。

 じろりとこちらを見上げる彼女の濡れた眼の下には、大きな隈。相当疲れているであろうに茶化すようなことを言って、申し訳ないことをしてしまった。ふう、と渦巻く己の当惑を吐き出すように、春一は息を溢した。


 陰察庁に属する内部部局である地方機関には、妖に関わる刑事事件の捜査をする『犯罪捜査部』や、隠り世に関わる情報捜査・及び呪術師の情報管理を担当する『情報部』など、多種多様な専門部署が存在する。


 『鑑識課』に属する者は、呪術師の中でも優れたその霊視能力を使って様々な異常現象の原因を検視できることで、信頼も厚い。それが無くとも彼女たちの調査・鑑識能力は常人から逸脱するものがあるのだ。

 故に春一は、出雲の言葉を鼻で笑うことが出来なかった。


「人為的なもの、ですか」

「……人だろうけど、断言はできない。残念ながら、お手上げの状態よ」


 ばさり。資料をデスクの上に投げ捨てて、出雲は椅子の背に盛大に凭れかかった。


「情報部も蟲の出所を調べようとしてくれたけど、駄目。やっと捕獲に成功した蟲に術式まで使って、背後を辿ろうとしたんだけどねー」

「……視えなかったのですか?」

「いや……」


 視線を逸らしながら、言葉を濁らせる出雲。何処か気まずげに目を泳がす彼女を目にして、春一は大体の事情を察した。


のための自害、ですか」


 確信の色を滲ませた声色に、出雲はついに観念したかのように肩を落した。


「いや、まあねぇ……私としたことが、気を緩めすぎてたわ。術式を展開しようとした途端、震動した気に反応したのか、みるみる内に蟲も消滅しちゃって……随分と巧妙なやり方で呪を仕組んでたみたいで、実際に発動するまで分からなかったのよ」


「凄い失態ですね……と言いたい所ですが、情報部も気づけなかったのですか」


「二重に仕込まれてたのよ。捕獲した瞬間に発動する呪とは別の、『覗き視』ようとした時に発動する呪式。捕獲時の呪ばかりに気を取られて、まさか霊視時に起動する奴まであるなんて、想定してなかった……完全に、油断したこっちのミスよ」


 なんとも形容し難い顔で肩を竦ませる出雲。

 その歴然とした答えに、春一は腕を組んだ。


 油断していたとはいえ、鑑識官の目を欺く手腕。

 妖はこのようなコソコソとした手段より、堂々と犯罪を犯す者が多い。この手の入れようはどちらかと言うと人間、それも呪術者の可能性が高い。監視の目を掻い潜る呪式は少なくともランクB、或いはA以上のものと推定できる。


「厄介ですね……」


 唯でさえ、今の新宿区は妖による事件だらけで忙しないと言うのに、この上に呪術犯罪者に関わられると厄介極まりない。

 これ以上、騒ぎが悪化する前に、出来れば早急に犯人を捕えたい。


「本部に連絡は」

「情報局に、既に報告済みよ。今、手口で該当しそうな術者を洗ってくれている。と言っても、相当時間かかるだろうけどね。こっちの情報部も頑張ってくれてるけど、何せ手がかりは少ないし……」


 「まあ、私のせいなんだけど」と、溢す出雲にまったくだと春一は罵りたくなった。

 下がった眉尻から、彼女なりに責任を感じているのは分かるが、此度のような失態は減給ものだ。慎重に動いていれば、蟲に潜んでいた呪にだって気づけたはず。

 そう、鑑識官ならば自害用の小さな呪でさえ見抜けたはずなのだ。……だと言うのに、


「……本当に、全く気づけなかったんですか?」

「こんな恥を曝すような真似、私がすると思う?」

「これっぽっちも?」

「しつこいわよ、土御門くん」


 瞼を半分ほど落とす彼女の瞳には、非難の色が宿っていた。それを確認した春一は、軽い溜息を落とす。

 となれば、やはり相手は非常に手練れた呪術者だ。下手すればSランクの呪術犯罪者の可能性もある。


(沢良宜を狙っている可能性もある。式神の要請も、しておくか……)


 最悪の事態も想定して、視野に入れておかねばなるまい。鼻背がずり落ちそうな眼鏡を押し上げながら、先のことを思考する。


「……ちなみに、出雲鑑識官。お酒は」

「鑑識の三時間前にはやめてるわよ」


 ――いや、勤務中に既に飲んでる時点でアウトだろ。


 春一の眉間に、皺が寄った。先程の思考は訂正した方が良いのかもしれない。

 鑑識の三時間前までは確実にアルコールを口にしていたであろう女性を前にして、頭を抱えそうになった。もしも、アルコールで判断が鈍っていたのなら、呪の察知など出来るはずが無い。


 式神の要請云々よりも、先に上司にこの事実を報告しておこうと決意を強く固めて、必要な書類を頭の中で並べる。

 空気に滲む春一の怒気を感じ取ったのだろう。デスクに座る出雲は居心地悪そうに身じろぎをした。


「ま、まあ……そういうことで、あとは、犯罪捜査部の貴方たちに任せますわ」

「分かりました。元々、今回の蟲は私の担当でしたしね。あとは自分たちで何とかします。有難うございました」


 にっこりと、浮かべれられた笑顔は寸分の狂いもなく、接客業の手本になりそうな程に作りものめいていて、どことなく恐ろしい。爛々と輝くその微笑みに、後ろめたさを刺激されたのか、誤魔化すように出雲は話題転換を試みた。


「そういえば、花耶ちゃんの方はどうなの?」


 その問いに春一は逡巡するように顎に手を当てる。己から意識と視線が外れたことに、ほっと息を洩らしながら、出雲は「でかした私!」と内心ガッツポーズを取った。


「……どう、と言われましても」


 沢良宜花耶。『神の欠片』としてその名を知られている少女。

 膨大な霊力を持つ彼女の力は今だ未知数であり、また、放っておくには危う過ぎることで、彼女がその力の制御、及び、扱い方を覚えるまでの期間、護衛と監視を名目上に、春一は上層部から調査を命じられていた。


 新宿区は特殊な霊地なこともあって、以前から異様な事件発生地として知られていたが、ここ最近、騒がしさを増したことで、陰察丁は首を傾げていた。だが幾ら視てども調べども、それらしき理由は見当たらず、途方に暮れた。

 そこに、『酒呑童子』の復活と共に、思わぬ可能性が浮上したのだ。


 ――『神の欠片』だ。


 本来、膨大な霊力を持つその希少な存在は情報局の力を持ってしても見つけられるものではないのだが、封印を解かれた際に『酒呑童子』が放出した爆発的な霊圧をきっかけに、陰察庁は初めて沢良宜花耶の存在を偶然認知することができた。


 特殊な霊地に、『神の欠片』と言う特殊な存在。

 最近、頻繁に起きるようになった事件が、彼女に起因していると踏んだ本部は、花耶の護衛と監視、及び調査のために、春一を京都からわざわざ派遣してきたのだ。


 恐らく出雲が聞きたいのは今や注目の的となっている彼女の様子と、自分の現在の捜査状況だろう。


「特に何も」


 正義感が強く、猪突猛進な彼女の最近の様子を思い浮かべる。朽木の一件から、多少の陰りはあるが、相変わらず元気溌剌としている。

 時々、心あらずな表情をするが、恐らく片瀬の言葉が相当応えたのだろう。


(そういえば、)


 ふと、あることに気付いた春一は無意識に呟いた。


「最近、片瀬の様子が変わった気がする」

「か、片瀬くん……? って、えと、確か幼馴染の……?」


 あわよくば男女間の浮いた話を聞けたら、と期待していた出雲は、予想外の返答に呆けた。


「え、いや、あの……そうじゃなくて。ほら、花耶ちゃんとさ、何か無かった? 何か、進展とか、変わったこととか……?」


 あるだろう、何か。

 四六時中とまでは行かないが、毎日共に過ごしているのだ。土御門とて、幾ら大人びていてもお年頃であることには変わりない。あるはずだ、きっと。いや、確実に何かが。


「……朽木文子の件で、壁にぶつかってますね」

「……かべ?」


 またもや突拍子の無い発言に、出雲は眉を顰めた。

 壁とは何ぞや。まさか、乙女同士の秘密の花園に目覚めたとかではあるまいな。


 出雲が不躾なことを考えていることは、顔面蒼白な面差しを見れば明らかで、春一は呆れながらも至極丁寧に、簡潔に事の次第を説明してやった。


「——なるほどねー、そっかそっか。花耶ちゃんも、痛いとこ突かれたねぇ」

「俺も、片瀬の言ったことは間違っているとは思いません。ただ、沢良宜にとっては少し難しい問題のようで」

「ピュアだもんねー、花耶ちゃん。なんか、そういう負のものと縁が無さそうって言うか……ああいう、真っ直ぐな所を見てるからかしら」


 デスクの上に置いてあった珈琲を手に取って、出雲は一口啜った。その顔には苦笑が載っている。


「でも、そっかー……うん、大変そうね」

「いや、」


 確かに沢良宜花耶はある意味『馬鹿』ではあるし、春一も初めて彼女と出会った時も実は何度か面倒にも思ったことはあるが、今では違う感情も抱いている。

 此処に派遣されて半年。短くはあるが、長くも感じられた時間の中で春一は沢良宜花耶と言う少女を間近で見てきた。その上で、土御門春一は思う。


「……多分、そのうち何とかなるんじゃないですかね」


 何処か遠くを見るような双眸に灯る光は柔らかく、固い線か胡散臭い三日月しか描いてこなかった薄い唇は、自然と口角を上げていた。

 一度たりとも目にしたことのなかったその優しげな微笑に、出雲は危うく意識を飛ばしそうになった。


「……君も、変わったわよね」

「そうですか?」


 自然な笑みを浮かべたのも一瞬、美青年の表情筋は即座に底の見えない作り笑いへと戻る。

 それを少なからず残念に思いながら、出雲は口を尖らせた。


「そうよー。この間だって、朽木文子さんの妹について、色々と調べまわってたそうじゃない。土御門くんらしくもなく……」

「ああ、あの教師ですか……まあ、結局無駄足になりましたがね」

「下手したら、上からどやされるのにねー。あの天下の土御門が表の、ましてや政治家の粗探しなんて」


 陰察庁にとって、『表』に関する事柄は管轄外――関わることは禁止されている。


 裏の問題は裏の者が、表の問題は表の者が解決するのが、決まりだ。

 何より、警視庁の者たちは陰察庁を避けている節がある。少しでも表の殊に手を出したら、上層部が口うるさく注意してきそうなので、誰も領域を犯すような浅はかな真似はしない。


 春一とてそうだ。奴は余計な面倒ごとを嫌う。

 だが、今回に限って奴はそれに近い行為を犯した。その事実に出雲だけでなく、情報を耳にした同僚たちも瞠目していた。

 実際、聞き耳を立てている他の鑑識課の者のたちの中にも、飲みかけのコーヒーを零してしまった人物がいるようだ。わーわー騒ぐ声が、出雲にも丸聞こえで、思わず苦笑してしまう。

 ……そんな魂消た様子の周囲に当の本人は、あっけらかんと悪びれも無く肩を竦めているが。


「調べたからと言って、規定違反にはならないでしょう? それで、相手を告発する気なんてありませんでしたし。何かをするのは俺じゃない、沢良宜だ」


 ――それは、また随分と彼女を信頼しているようで。


 一見。沢良宜花耶に全てを押し付けているようで、その裏では絶対的な信頼を彼女に寄せているのが分かり、出雲はニマニマと口元を緩ませた。

 だがこれ以上、藪をつつけば蛇を出しかねないので、あえて別の話題を提供する。


「にしても、片瀬くんだっけか……彼がそんなことをするとは、意外だったわ。私的に」

「ああ……そうですね」


 本当にそうだ。今まで特に気にしたことはなかったが、片瀬桐人の変わりつつある一面に春一も、若干驚いていた。


 奴の知る片瀬桐人はやたらと巻き込まれやすい体質のくせに影が薄く、霊力も特にもたない平凡な少年だった。性格も押しに弱く、流されやすい。だからこそ、何時だって静かだった奴が口出ししてきた時には面を食らったし、危惧もした。


(……最近、あまり姿を見ていないが。一応、忠告だけはしておくか)


 いつぞやのように花耶に注意することは別に良いが、妖絡みの事件でまた巻き込まれた時に可笑しな行動を起こされたくはない。

 正直な話、あの蟲喰いを捕えようとして横やりを入れられた時、春一は桐人のことを少々煩わしく感じていた。


 あの事に関してはもうこの際どうでも良いが、この先また同じようなことをされるのは頂けない。仕事の邪魔をされないよう、今のうちに釘を刺しておいた方が良いだろう。その方が片瀬の身の安心もできる。


 不安要素を排除しておくに越したことは無いと思考した春一は、気だるげに難息を吐くと、出雲への現状報告を続けた。


「とにかく、それ以外は特に変わったことはありませんよ。赤鬼の方は相変わらず何を考えているのか分かりませんがね」

「赤鬼……酒呑童子のことか」


 史上にして最強最悪の鬼、『酒呑童子』。

 土御門の力を持ってしても祓えなかったその赤鬼の実力は計り知れず、下手に動くことは出来ない。だが今のところ人に仇なす気配は無く、例の少女にただ付きまとい、虫が湧けば追い払っているだけのようだ。


「花耶ちゃんにご執心みたいだけど……なんだか、本当に読めない男ね」

「そうですね。今の所、ストーカー一歩手前の変態でしかありませんね」

「……なんだか、安心できない呼び名ね」


 伝説の鬼の監視を義務付けられた少年が口にした、割と粗末な呼び名を耳にして、出雲の顔面が痙攣した。

 そんな彼女に春一は莞爾として笑ってやった。


「大丈夫ですよ」


 じゃきり。何時の間にか取り出したのか、愛銃を鳴らしながら、青年は秀麗な面差しを燦然と輝かせる。


「いざとなったら、使い物にならなくするつもりですので」

「OH……」


 使い物にならなくするつもりなのか、流石に出雲には聞くことが出来なかった。

 石化する彼女を満足げに眺めると春一は軽く一礼して、足早に部署を去った。


(まずは、上層部への報告。それと、式神の要請。後は……)


 次の行動を脳裏で組み立ててゆく。そうしてコツコツと革靴の底を鳴らしながら、廊下を進むと、ふと思い至ったように立ち止まった。


「あの蟲喰い……」


 下級の妖ではあるが、先月の図書館での出来事を回想してみると、事件に関わっている有力性はある。彼女について調べてみる必要はあるかもしれない。





♢  ♢


「――メロンクリームソーダのお客様」

「はい」


 西新宿三丁目、ファミリーレストラン『ゼニーズ』。


 週末のお昼時は人で賑わっており、騒がしい。

 忙しない様子で動き回る店員に、飛び舞う子供の声。

 窓際の席で、翠色の液体をストローで掻き混ぜながら、万葉はテーブルに肘を付いた。

 しゅわしゅわと泡立つメロンソーダに溶けるまろやかなバニラアイス。それに何処か浮きだったように微笑すると、ストローの先を口に含んだ。


「お好きですねぇ……メロンソーダ」


 相対するように席に座る老体は、しげしげと物珍しげに万葉を見た。

 卵のような丸い図体をした老体は、ぬいぐるみのような、小人のような印象を抱かせる外見をしていた。

 錆色の前髪で隠れた目元を万葉のグラスへと向けると、もっさりと膨らんだ髭を揺らしながら、口を開く。


「いや、わたくしめには分かりませぬな。一体そのような、毒々しい色をした液体をどうして、口に出来るのか」

「ああ、そうね。分からなくて良いわよ、一生」


 特大苺パフェを銀匙で突きながら、喋る小人爺に白い眼差しを送りながら、万葉はストローを啜る。


「……それで、その大量発生してる蟲は?」

「陰察庁の者たちが掃除していらっしゃいます。蟲喰いを利用しているようですよ」

「……狩りで捕獲した奴?」


 声のトーンが、下がった。


 陰陽師や祓魔師を生業とする輩には妖を悪と評し、それを口実に、彼らを強制的に従属させる者が多い。


 実際、五十年前に陰陽師たちが子鬼を大量に狩り過ぎて、妖たちの激憤を買い、それが大きな問題になったことがある。

 当時は今迄とは比にならない程、規模の大きな戦いとなると危惧されたが、土御門家の迅速な行動と、捕えた妖の解放、そして陰察庁が作り上げた新たな法により、事態は鎮火していった。


 だが、だからと言って『狩猟』と言う行為が消えたわけではない。それは『犯罪』として、今では取り締まられるようにはなったが、妖を虐げる卑陋な輩はどこにだっているものだ。


 それでなくとも、陰陽師は一般的に妖に対してあまり良い感情を抱いていない。

 陰察庁など良い例だ。

 あそこは常に冷徹で非情で、目的を果たすためなら手段を択ばない。それこそ稀にだが、犯罪に関わった妖を捕えた際、罰と称して彼らを葬らずに、死ぬまで永遠に『式神』と言う名の奴隷として、『飼いつづける』ことだってする。


(そう言えば私も、とばっちりで捕まりそうになったことあったな……何もしてないのに)


 以前、人間を誑し込んで妖の世界に引きずり込んでいた知り合いが陰察官に捕えられた際の記憶が蘇り、我知らず眉を顰める。


 普通の式神と違い、悲惨な末路を辿った囚妖しゅようの噂は、良く耳にしていた。

 土御門春一に関しても、呪縛されそうになったあの時はそのつもりは無かったのかもしれないが、後の事を想定してみると、もしかしたら自分もそのような事態に陥っていたかもしれない。


 別に彼らの行いが間違っているとは思わないし、否定する気も無い。だが、やはり気にくわないと万葉は微かな反感を抱いた。


「いえ、普通に軍部の式神として『飼われている』ものたちですよ」

「そっか」


 感慨なさげに頷く万葉。アイスをスプーンで掬って口に運びながら、爺から今しがた聞いた話を、脳裏で反復する。


(にしても、妖震ではない、蟲の大量発生ね……こりゃあ、少し面倒なことになりそうだな)


 二割ぐらいの確率で、土御門の小僧が尋ねに来そうだ。その時は間違いなく、自分がこの一連の事件に絡んでいると疑ってくるだろう。


 憂鬱だ。先のことを考えると、意気消沈してしまう。あのまま学校をやめてしまえば良かった、と万葉はほんの少しだけ後悔をした。


(今のタイミングで退学なんてすれば、益々疑いが深まるだけだしなぁ)


 八方塞がりだ。

 幾ら考えども解決策が浮かぶことはなく、はあ、と深い溜息が口から溢れる。

 そんな万葉を視界の端で収めつつ、『モグラ爺』ならぬ『土竜どりゅう』は、溶け始めたパフェを慌てた様子で頬張った。


「……ひかし、本当に誰の仕業なんでしょうね。蟲など大量に持ち込んで、一体なにがしたいのやら」

「……」


 どうやら、この地獄耳の万屋にも事件の真相は見えないらしい。無理もない。あの陰察官たちでさえも、情報を掴めていないのだ。そう簡単に黒幕が解るはずがない。


(……蟲、ね)


 それにしたって、蟲などと言う悪趣味な妖を使うなど、相手もえげつないことをする。一体、どれだけの人間が惑わされたのやら。


(誰かさんの使いそうな手口ではあるわな……)


 脳裏に、何人かの同胞の姿が浮かぶ。

 幼い少女のような背格好をした『女』も居れば、艶絶な容姿を誇る美女も居る。「よもや、彼女らの内の誰かが、この街に来ているのではあるまいな」と、万葉は苦い顔をした。


(いや……流石に考えすぎか)


 この街に自分同様、『心臓』があると睨んだとして、このようなことをする意味が無い。可能性は限りなく低いだろう。

 全く頭が痛くなる話だ。本当にこのような余計な騒ぎは勘弁してほしい。

 くるりとストローを回しながら、万葉は何度目になるか分からない溜息を吐いた。


「……とりあえず、情報を有難う。報酬は」

「いえいえ。此度のはサービスでございますよ、万葉殿。はしっかりと、懐を暖めさせていただきましたから」


 ぐしゃりと、万葉が摘まんでいたストローが折れた。


 ――やっぱり、ぼったくってやがったな。この狒々爺。


 朽木文子のために集めた証拠の報酬料は、想定していたものよりも高額で、眉を顰めるほどのものだった。

 「十中八九、水増ししたな」とは思っていたが、まさか此処でその事実を認めるとは。

 あの時は此方も散々な目にあって疲弊していたもので、「余分な揉め事は避けたい」と甘んじて法外な額を支払ったわけだが、その思考さえも読まれていたような気がしてならず、釈然としない。


 だが、今更どうこう言ったってしょうがない。自分でやったことだし、水に流そうと万葉は思考を放棄した。


「では、私めは之で」


 勘定を置いて、席を立つ土竜。ピョンと座席から飛び降りる姿は正に小人だ。何処となく可愛らしい風貌をしておきながら、なかなか食えない性格をしている爺に、万葉はひらひらと手を振った。


「ええ、有難う。そのうち、また頼むわ」

「ええ、ええ。お待ちしておりますとも」


 ひょこひょこと短い足を動かしながら、土竜は会釈をする。

 「ありがとうございましたー」と間延びした挨拶をする店員の横を通り過ぎなら、小さな背が店内を後にする。かと思いきや、ふと立ち止まって此方へと振り返った。


「……ああ、そうだ。万葉殿。気が立つ理由も分かりますが、子供にはもう少し優しく接した方が良いかと思われますぞ」


 ひくり。不意に投げかけられた余計な一言に、万葉の目元が痙攣した。

 というか、何処から何処まで知っている、この地獄耳。

 至極真っ当な疑問を丁寧に口にしようとしたが、暴言が飛び出そうで、大人しく唇を固く結んだ。


「……余計なお世話だ」


 自分がどれだけ、あの『娘』に大人げないことをしたかなど、自分自身に呆れかえるほどには理解している。だが撤回する気もないし、後悔もしていない。

 どいつもこいつも、もういい加減その件は放っておけよ、と万葉は毒吐きたくなった。


「帰りに本屋でも寄ってくかな……」


 気分転換がしたくなって、財布の中身を確認した。

 残額、五千円。とりあえず、メロンソーダのおかわりをしようと、チャイムを鳴らした。


 事件から、一か月半。本日も天気は快調である。

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