2.私の生態と現在
「まだ……六時」
ぱちりと覚めてしまった目に映ったのは、枕元に置いていた真っ白なデジタル時計。
——懐かしくも、果てしなく長い夢を見た気がした。
それも、私がこの『世界』に落とされてからの二百三十六年分。
気のせいか、身体が硬い。布団から起き上がってみれば、バキバキと肩が悲鳴を上げた。
脳裏に過去の光景が浮かぶ。
与えられた座敷の中で、失恋とホームシックで鼻水垂らしながら泣く私だ。
「……あったな、そんなこと」
今、思い出すとなんとも恥ずかしい記憶である。青臭さの抜けない私はまだ二十そこらで、精神的にも、どこか幼かった。仕事に、恋に、大変な毎日を生きることに必死で、我武者羅に生きていたのだ。
「あれから、もう二百年以上は経つのか……」
改めて思うと、時が流れるのは早いものだ。
閉めていた寝室のカーテンを開けてみれば、日はまだ完全に昇りきっておらず、橙色に染まりつつある紫色の空が視界に映った。
時は、西暦二〇十八年。日本から、江戸のような昔の街並みが消え、代わりに高層ビルや道路、自動車が当たり前のように存在する時代になっていた。科学が発展し、ロボットさえも見れるようになった時代。それは、まぎれもなく私が求めていた『世界』だ。
「でも、やっぱり……私がいた日本とは違うかな」
——此処は、私が知っている『日本』じゃない。
「どこなんだろうな……ここは」
不覚にも暗い感情が、落とされた呟きから滲み聞こえ、思わず笑ってしまう。
大分マシになったかと思っていたが、どうやら私は未だに立ち直れていなかったらしい。
私——『佐々木万葉』は元々、この世界の住民ではなかった。
もっと正確に噛み砕くと、恐らくだが、『別の平行世界』に居た、と言った方が良いのかもしれない。
ちらりと窓から外を覗けば、ちらほらと屋根や電柱を伝って歩く不可思議な生き物が見えた。
こそこそと活動している、角や羽が生えたアレらは、『妖怪』だ。
この世界には『妖怪』が存在し、陰陽師などという中二病めいた職も存在している。ただし、世間からの認識は非常に乏しいが。
私は、普通の女子高生だった。高校に入学したばかりの十五歳。霊感があったわけでも、神社の娘であったわけでもない。世間一般的な家庭で育った、能天気な子供のはずだった。
そう。普通だったはずだ——あの日、学校からの帰り道、何者かに攫われるまでは——。
そこから怒涛の勢いで私の人生は変わったのだ。
気がつけば怪しげな儀式を行う者たちに囲まれ、生贄として『心臓』を奪われ、死んだかと思えば訳の分からぬままに、見知らぬ世界へ落とされ、時代劇のような町で彷徨い、そうして運よく『端廼屋』の楼主に拾われ、それから『あの世界』での身の振り方を教えられたのだ。
(まあ、実際は助けられたみたいで、本当は遊女として高く売るために利用されただけだったけど……)
現実なんて、そんなものだと溜息を吐いた。
最初は殺したい程に楼主を怨んだが、しばらくして、彼処に置いて貰うには必要なことだったのだと割りきるようになった。
どの道、彼女に拾われなかったとしても最後にはああなっていたのだ。質の悪い破落戸たちに捕まらなかっただけでもマシである。
あれから二百余年。私が『端廼屋』で過ごした年月はたったの八年だった。人間としては、長い時間になるのだろうけど、永遠に近い寿命を得てしまった私にとっては最早『短い』時間としか言えなくなっていた。
(でも、本当に……色々なことがあった)
『端廼屋』でぶじ年季が明けた私は吉原を堂々と出た後、改めてこの世界のことをたくさん知り、そして何人かの『同胞』と出会った。私と同じ、あの儀式の『生贄』にされた女性たちだ。
『同胞』と言っても、あちらからすれば、そうでもなく、友人になれた者もいたが、殆どがお互いを敵と認識していた。
『元の日常』に帰りたいと思う気持ちは皆、一緒だというのに、だ。
結局、二百年以上経った今でも『戻る』手掛かりは掴めず、自分たちが生きていた時代に追いついてしまった。
だがこの二百年、無駄に過ごしたわけではない。初めて自分と同じ存在と出合い、様々なことを調べまわることによって、人間ではなくなってしまった『自分』に気づけたのだ。
私はもう人間ではない。
この世界に堕ち、妖のような存在になってしまった。
原因は恐らく、あの『儀式』だ。心臓を奪われた『生贄』の私と、他の女性たちもあの瞬間、人とは違う何かへと化し、不死身に近い肉体を得ていたのだ。
胴体を切られても、胸を貫かれても、私たちは死なない。『妖怪』からしてもありえない存在に変わり果てていた。
けど、決して死ねないわけではない。
「……そろそろ、『時』の補給をしないとな」
思考に耽っていると、薄らと透け始めた自分の掌に気づいて、難息を吐いた。
気だるい体を動かして、部屋の硝子戸を開ける。そうしてベランダへ出れば、この間掘り起こしたばかりの、枯れかけの苗木が見つけた。
そっ、としゃがんで手を合わせる。
「いただきます」
そうして、苗木へと手を伸ばした。
ほんの数秒。意識して触れただけで、全ての『時』を塵一つ残さず喰われた苗木は灰と化して崩れる。
それを視界に収めながら、もう一度手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
私たちはこの世界に生きる生物たちの『時間』、つまりは寿命を糧に生きている。
元々この世界の住民ではない私たちは、他人の『時』を奪わないと存在さえも保てない。あくまで個人の推測でしかないが、此処に『存在するはずのない』存在だから、世界から消去しようと見えない力が働いているのかもしれない。
存在しているようで、実際には存在しているはずのない、人でもなければ、妖でもない、『何』なのか分からない存在。
そんな私たちを、何時だったか、誰かが『
まあそういうことで、『時』を損ねない限り、私たちが死ぬことはない。というより、消滅……することはない、というべきか。
そんな無敵に近い状態である私たち。だが、実際には大きな問題を一つ抱えている。
――心臓だ。
あの儀式で私たちは心臓を奪われたことで、不死身に近い存在になったのではないかと考えている。
実際、儀式が行われる直前。確かに参列者の一人が言ったのだ。
『強固とした存在になりたくば、心臓を取り戻せ。さもなくば、永遠の時を『何者でもない』者として彷徨うことになる。奪い合え、心臓を。勝ち取れ、存在意義を――』
この言葉を起因に、同胞である女たちは心臓を取り戻そうと躍起になり、そうして長い年月をかけ、やっとの思いで心臓を見つけた。
其処からは地獄絵図だった。
一つの心臓を見つけた彼女たちはお互いを蹴落とし、殺し合い、喰らいあったのだ。
唯一つの心臓を手に入れるために。
だけど残念ながらその心臓は戦いの末、不慮の事故で潰れてしまい、同時に一人の同胞が死んでしまった。
そうして私たちは気づいた。取り戻す心臓は『自分自身の心臓』でなければ意味が無いのだと。
心臓は一つだけではない。私たち一人一人の心臓が、この世界の何処かにあるのだ。
それは誰にも決して知られてはならない事実。心臓を人質に自分たちを利用しようとする輩が現れるかもしれないし。一刻も早く取り戻さなければ、何らかの事故で心臓が潰されてしまう可能性だってある。そうなったら、私たちに残された道は一つ――死ぬだけだ。
その事実を思い出して、そっと自分の胸に触れた。其処から響くはずの心音は聞こえることもなく、鼓動を感じることもない。文字通り、そこは空なのだから。
(それでも、分かる……)
――自分の心臓が何らかの液体のに浸かっていることは。
水か、はたまたは全く別の液体かは分からない。最初はその感触に慣れすぎてしまって気づかなかったが、いつだったか、集中して感覚を研ぎ澄ましてみれば、自分の胸のあたりから違和感を感じるようになった。冷たくもなく、暖かくもなく。臓を包む水、或いは別の何か。
「ホラーかっつの……」
液体に浸かっているのは分かるが、自分の心臓についての情報を他に得ることも出来ず、苛立ち交じりに室内に戻り、戸を手荒く閉めた。
「……学校に、行こう」
ぽつりと落した声は、誰に届くこともなく、空気に溶けて消えた。
♢ ♢
午後一時。東京都立、小宮高等学校。
新宿区に設立された一般の公立高校である此処は、本来は特に何の変哲もない、一般の高校であるはずだった。そう、本来……は。
「なー、あれって噂の四人組じゃね?」
三年B組、教室。昼休みもあって、室内が賑わう中、窓際の席で読書をしていれば、軽い雑談をする男子グループから漏れ聞えてきた声。
声にひかれて、目下の校庭を覗いてみる。
其処には何やら騒いでいる一人の少女と三人の少年が居た。
二年の
さて。この四人組、一見普通のようで普通ではない。どう普通ではないのかと言うと、一人は熟年五百歳以上の赤鬼だし、もう一人は陰陽師の名門『土御門』の次期当主だし、果てには『神の欠片』と呼ばれる膨大な霊力を持つ少女までもがいる。
(あ、一人……普通の人間だった)
だが、沢良宜花耶の幼馴染である片瀬桐人は普通の人間だ。むしろ、幼馴染にしょっちゅう巻き込まれている哀れな被害者である。
度々、四人組を観察している時によく目にすることがあるのだが、彼が妖絡みの事件に巻き込まれる瞬間は非常に哀れを通り越して、見事なものだった。
(あんなに怖い目にあってるのに、よくあの子の傍に居られるよなぁ……恋する男の子は強いや)
それで段々と肝も座り始めてるのだから、涙を誘う。
ちなみに、人間に化けて私がこの高校に潜入していることには、訳がある。新宿の中心部であるこの高校にもしかしたら『不可叉』の心臓があるかもしれないという、可能性を見つけたのだ。
新宿は昔から妖に力を与える霊地として有名だ。領域から出れば得た分の妖力は消えてしまうが、留まれば、妖の力は強まる。
そういうこともあって、此処にやって来る破落戸共は多い。それで偶に『神の欠片』と言う餌を見つけるものだから、毎日とまでは行かないが、一週間に一度は必ず騒ぎが起こる。——今のように。
他の生徒たちは気づいていないが、赤木蓮児の手につかまっている黒い猫は猫又だ。恐らく沢良宜花耶の匂いにつられて、襲い掛かろうとしたのだろう。
見事な返り討ちにあったようだが。
毎度毎度、これだけ騒ぎを起こして周囲の一般人にバレないかと思うが、そこは名門・土御門の出番。
大きな騒動になりかけそうな時は、彼がちゃんと結界を張っているようだから、人に気づかれることはないようだ。
……と、まあ話は逸れたが、此処は妖力の強まる場所。きっと何かある、と言うことで心臓の手がかりを何でもいいから掴むため、私は一人、此処に潜むことにしたのだ。
(まあ、私と同じ考えで潜んでいる人がいる可能性もあるけどね……)
二百年くらい前から、一人を除いて、あの『同胞』たちとは遭遇していないし、何処に居るのかさえも知らないが、私としても出来れば会いたくない。過去に騙し騙され、裏切られた経験もある。
(目立つ行動を取らなければ、大丈夫だとは思うけど)
考えても仕方がない。
かちゃりと鼻からずれ落ちそうな伊達眼鏡を掛けなおして、読みかけの本に集中することにした。
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