第8話 記憶

「さて、どっから話すかな」


生物教師は自分用にも淹れたローズヒップティーを啜る。


「結論から言おう。お前らはリッケン・アイザークっつう奴に薬物で記憶を封じられてる」

「…は?」

「…嘘でしょ?」


突拍子もないことを言われ困惑する。

ハーブティーにはまだ手をつけていない。


「いいや、本当だ。お前ら、大学が併設されるっつって、長い春休みがあっただろ?その前、お前らが通っていた高校は試験的に子供達を兵士として鍛える学校だったんだ。だが、そこのお偉いさんがヘマをして、世間的な糾弾が高まった。結果、お前らの学校は普通の高校に戻された。ここまでで質問は?」


茶をまた一口啜り一息つく。


「い、いやまってくれ。春休み前の記憶だってあるぞ。俺達は普通の高校生として1年からあそこに通っている…はずだ。」

「だーかーらー、その記憶がそもそも間違いなんだ」

「な…」


絶句。一体、今までの高校生活は何だったのか、根本から前提が瓦解し始める。


「話を戻すぞ。戦闘訓練を受けた子供達は当然、社会的に危険因子と見なされた。結果どうしたかと言うと、だ。その高校でそのまま監視、管理、更生させることにした。したんだけどなぁ…」


ふぅ、と、また一息つく生物教師。その目は彼方の憧憬を思い出していた。


「大人達の都合に巻き込まれて、子供たちも疲弊していた。子供ってのは反発するもんだ。でも、その子供たちは"武力"をもってたからな。それ相応の処置を大人達は取らざるを得なかった。」


「それが…」


「あぁ、"記憶"を弄って無理やりにでも元の生活に戻してあげた方が彼らは幸せだと言い始めた奴がいた。そいつがリッケン・アイザーク博士だ。分野は脳科学、脳外科。今は新設された大学の実質的なトップを張ってるやつだ。」


「あいつか…!」


稔侍は初老の男を思い出して歯ぎしりする。あんな所に元凶がいたなんて。

拳を握る稔侍を横目にら先程から黙りこくっていた悠が疑問を口にする。


「ならなんで、ぼくと稔侍は殺されそうになるわけさ。管理するだけなら、殺す必要はないでしょ?」

「当然の疑問だな。まぁ、順をおって話させてくれ。アイザークはその卓越した知識で記憶を失わせる薬を開発した。投与量で、記憶を消す期間を変えられるらしい。非人道的だが、殺しを覚えた子供たちには丁度いいと、どの大人も言った。…全く腐ってやがるぜ。しかし、記憶喪失の子供達を大量に生み出したって混乱が広がる。そこで別の記憶を植え付ける薬が必要になったんだ」

「そんなこと…出来んのかよ」

「あぁ、お前達は優秀だったからな」

「お前達…?」


あぁ、お前達。と生物教師は稔侍と悠を指さす。ぬるくなり始めた液体をまた啜る。


「お前ら2人を含めた、学校内でも一際能力が突出した部隊がいたんだ。自殺部隊っつうんだけどな。非公式で汚れ仕事だけを請け負う部隊。まぁ、およそ子供にはやらせられない仕事だったがな。だが、お前達は優秀…というか異様だった。なんの過去があったらそんな能力が身につくんだって人間ばっかだった。その部隊の1人、医療行為に長けた少女がいたんだが……うぅん、どう言ったもんか…」


ここにきて言葉を濁す大男。煮え切らない態度に稔侍が多少のイラつきを覚える。


「なんだよ、もったいぶんなくていいから話してくれよ。信じる信じないより、俺らは今情報が欲しいんだ」

「いやな、お前らの元仲間の話だ。多少言葉を選ばんとなぁ…」

「そんな事言ったって、ぼくたちは記憶が奪われてんでしょ?それが事実だとしても何も気にしない…というより気にかけられないよ」

「まぁ、そうさなぁ。そう、お前達の仲間のひとり、そいつは学校が崩壊した後、アイザークに目をつけられた。あまりにも学生離れした知識量と、学生相応の思い切りの良さにな。…やつは自殺部隊の記憶と今後の処遇を保証する代わりに記憶を塗り替える薬の開発を頼まれた。全ての思い出を失うくらいならと、要求を飲んだんだがな。いざ薬ができたらアイザークは力ずくで彼女を拘束し、その完成した薬を飲ませ記憶を塗り替えた。お前は自分の助手だとな」

「…ひどい」

「あぁ、人間じゃねぇ…」

「今もそいつはアイザークの元で助手としてのニセの記憶を信じたまま、かつての仲間であるお前達を殺そうしている。まったく、救えない話だ」


久々にこんな長話をしたよ、と残り少なくなった紅茶を飲み干し喉を潤す百舌。先程から忙しなく腕時計を確認している。


「…遅いな」

「…?なんだよ」

「さっき言ってたビタミンCの人?」

「いやウルトラCな。」


苦笑いを浮かべる百舌。ふぅー、とため息をついてから、また新しい茶を淹れ始めた。


「さて、と。とにかく、お前らはそういった理由で記憶を塗り替えられているっつーわけだ。頭痛の原因はなにかの拍子に昔の記憶を思い出すような事に出くわした時、薬がそれを無理矢理に抑えるから痛むんだろう」

「…じゃあ、一体どうやって記憶を取り戻すんだよ」


呟くように、教師にすがる子供のように、稔侍はポツリと呟いた。高校一年生から、或いはもっと昔からの記憶を奪われ、別の記憶を植え付けられていたという事実。自分を構成する物が壊れていくような気がした。


「そんな子犬みたいな声を出すな。方法は二つある。」

「二つ?」

「ああ、二つ」


悠の質問に、ニッとわらってピースをする百舌。彼が本当に教師だったのなら、温かい優しい先生だったのかなと悠は夢想した。


「一つはアイザークに解毒剤を作らせることだ。ただこれには弊害がある。記憶を消し、植え付ける。この薬には元お前らの仲間である少女が協力してるから、そいつ無しでは解毒剤がつくれないだろう。だからまず、その少女の記憶を取り戻し、そのあとアイザークに薬を作らせる方法がある。おそらく一番現実的だろう」

「難易度…高くない?」

「あぁ、とても俺達に成し遂げられる気はしない。」

「そのためのプラン2だ。それはな---」


ここでまた一口茶を飲む百舌。

2人は固唾をのんで次の言葉を待つ。


「お前らが自力で記憶を取り戻すことだ」

「…なぁ」

「うん、それが出来れば僕ら苦労してないよ…」

「ガッハッハ!なぁに、お前たちならできる。お前達は優秀だ。俺が保証する。それに、なにもノーヒントで思い出せってわけじゃない。……いい加減遅いな。これから来る化学教師が使えるもん持ってきてくれるはずなのに」

「生物教師の次は化学教師?」

「あぁ、特にお前は世話になってたぞ。お前はすーぐにサボるからよぉ…。その度化学準備室で時間潰すんだから。」

「…」


知りもしない記憶だった。

正直悠は、目の前の大男の話をあまり信じていなかった。あまりに突拍子が無さすぎる。過去の記憶と今の記憶。覚えてる記憶の方が正しいのではないかと考えてた。


複雑な表情を浮かべる二人を見て、生物教師もまた眉を寄せていた。しかし、このままでは多くの子供たちが偽りの記憶のまま生きて、そして元自殺部隊は殺される。この状況を打破するのは、散り散りになった自殺部隊の他にいないと考えていた。


「お?足音だ。来たかな」


ガタンと、乱雑にドアが開けられ驚く稔侍と悠。長身に長髪に白衣。そしてメガネをかけた男が息を切らしながら入ってきた。


「遅かったなぁヘロ。どしたん--」

「百舌さん!早く子供たちを逃がさないと!奴らここを嗅ぎつけてたみたいだ!」


よく通るテノールの声が、今は緊張を孕んでいる。


「なに、奴ら予想より早かったな。チッ、おいお前ら!裏手から港まで迎え!ボートがある!」

「おいおいおい…こんどはなんだよ!」


また巻き込まれるのか、と怒りをあらわにする稔侍。しかし、それよりも大きな声で百舌が怒鳴る。


「泣き言を言うな骨川!お前らしかもうどうしょうもない。早くいけ!ボートで学校まで戻るんだ」

「え、学校?でも、そこは敵の本拠地みたいなもんなんじゃ…」

「君たちには、そのまま旧校舎の跡地に向かってほしいんだ。取り壊されてまだ瓦礫が撤去されてないが、どこかに地下へ行ける扉がある。そこに行けば、君たちはこの話が真実だということを知ることが出来る」


百舌とは対照的に落ち着いた声でヘロと呼ばれた男は2人に語りかける。稔侍と悠の顔を交互に見て、和やかに笑った。


「また君たちと話せるなんてね。さあ、行くんだ。ここは僕達先生が食い止めるから、君たちは成すべきことを成してくれ。」


先生、という言葉を聞いて稔侍と悠はまた頭痛を覚える。


先程からバーカウンターの床下を漁っていた百舌が何やらガチャガチャと取り出していた。


「よし、お前らこれもってけ。お前らには多分ハンドガンの方がいいだろう。」


そう言ってグロック17を二丁手渡す。


「でも、俺ら使い方が…」


「なに、身体が覚えてるさ」


AK47を担ぎ、ヘロにステアーを渡す百舌。

外が何やら騒がしくなって来た。おそらく捜索隊がすぐそこまで迫っているのだろう。


「よし、時間が無い。行け!」

「大丈夫、先生達がしっかり時間を稼ぐから」

「…」

「…でも」

「悠。」


悠の肩に手を置き、ゆっくりと頷く稔侍。

稔侍は悟っていた。彼らは、死ぬ気だと。

無論悠もそれを感じていた。だが耐えられなかったのだ。自分たちのせいで人が死ぬのが。


「行こう、悠」


悠の手を引っ張り、引きずるように裏口へ向かう。ガシャンと、初弾を装填する音が聞こえた。


「先生!」


もう聞くことはないだろうと思っていたその単語に、二人が振り返る。


「…また、会えるよね」


教師ふたりはしっかりと頷きながら


「必ず。」

「約束するよ。」


そう告げた。

パタンと、裏口が閉まる音がした。


-

--


「さて、と。こうやって共同戦線張るのも久しぶりだなぁヘロさんよぉ。」

「いやあ、ほんとに、身体が鈍ってないか…」

「はっはっは…ちげぇねぇ。身を隠すのに必死だったからなぁ」


まるで、職員室のような、緊張感と温かさのある会話だった。


『灯りがついたコンテナを発見!目標と思われる!』

『よし、突入準備!』


外から大勢の声が聞こえる。


「さて、ここは大人を見せますか」

「我々は彼らの先生ですから」


『Go!!!』


扉が破られ、多くの兵士がなだれ込んでくるなか。


銃を構えた教師ふたりは、不敵な笑みを崩さなかった。

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