第6話 教師
「ハーブティーは、いかがかな?」
「…は?」
港区はずれの貨物倉庫。今は使われていないここは、使われなくなったコンテナが不法に放置されているだけだった。
その中に一つ、じりじりと不安定な明かりを灯すコンテナがあった。
横に枯れ木が1本、侘しく生えているそのコンテナは、ある男によって生活できる"家"に作り替えられていた。
「いやね、私はもともと茶の配合が好きでね。今やってる稼業もその延長線なんですよ」
「なるほど…たしかに先生の薬はよく効きます。ありがとうございます。」
先生、と聞くと教師を思い浮かべるかも知れないが、この場合は"薬師"としての、先生。医者に対してつけるそれと同義だ。
トレーラーハウスのように改造されたコンテナの中にはバーのようなカウンターがある。
そこに対面するように男が2人。
1人は、2mに届きそうな長身にかなりガッチリとした体躯をした大男。太い指で器用に棚から茶葉を取り出し調合を始める。
棚には茶葉のほかに様々な薬草類が瓶に詰められているのが目に取れる。
対して、カウンターに腰掛ける男は痩身で杖をついている。髪には白髪が混じっていて、大きな目玉をせわしなく動かしいていた。
「まぁ、1杯飲んでってくださいよ。痛みに効く薬を調合したんで、少しは膝も楽になるでしょう」
「では、遠慮なく……おぉ、これは美味い。先生、あなた喫茶店でも営んだらどうです?」
「いやぁね、それも考えたが、あなたのような客に出会えるからこの仕事も悪くは無いですよ」
「はは…。」
痩身の男はかわいた笑いを見せると、また一口茶を啜る。
「茶の礼に一つ…先生、あなたが以前務めていたって言われるとこの、新しいトップがあなたを狙っています。ここも直に掴まれるでしょう」
「ふむ…」
先生と呼ばれる男は、薬や茶葉をすり潰して調合するための器具をしまいながら、案外早かったなと、悲しそうに、少し嬉しそうに呟いた。
「じゃ、私はこれで。薬、ありがとうございます。…また、お茶をご馳走してもらえるのを楽しみにしてますよ。」
「はい、お大事に。あなたはお得意様ですからね。もっといい茶葉を仕入れときましょう」
思い鉄製の扉を横に引き、杖をついた男はゆっくりと消えていく。
「さて…あいつらはそろそろかな?」
興奮を抑えられない、と言った様子でニンマリと笑う先生は、すでに薬師としての先生ではなく、紛れもなく生物教師、百々目鬼 百舌としての笑みを浮かべていた。
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「よし、かかった!」
エンジンを直結で起動させた稔侍は急いでギアを入れる。
「骨!エレベーターから追ってがきてる!」
「ちっ…ちょっと荒っぽい運転になるから、舌ぁ噛むなよ!!」
アクセルを思い切り踏み込み急発進。
立体駐車場になっていた大学地下からの脱出を試みる。
「目標2名逃走!追いますか!」
『命令を忘れたのか?君は。黙って目の前の害獣駆除にだけ集中してくれたまえ』
「か、かしこまりました!……全員、構え!目標、コードbear。任務達成の後、直ちに目標2名を追いかけ……」
主任によって任務を言い渡されたA〜Cクラス職員。彼らは、主任によって集められた兵士達である。あるものは自衛隊から、あるものはPMCから、出自は様々だが、みんなある理由によって主任には逆らえない憐れな兵士達。その中でもAクラスの職員は、主任による特別な訓練プログラムをすべて終えたエリート中のエリートだった。吹雪の中二ヶ月に及ぶ訓練や、自給自足のサバイバルを砂漠でこなした本物の戦士達。
その隊長が、ゆっくりと立ち上がる目の前のバケモノに言葉を失った。
明らかに異様。笑ってやがる。
Aクラス職員の隊長は、ヒグマをナイフ1本で殺しきることのできる人間だった。筋骨隆々とした体躯に、冷静さに満ちた頭。どこの部隊に配属されても、そのトップに立てるだけの力と知識をもっている彼が、
「よォ……舐めラれたもンだな。」
煌々と光る赤い目に睨まれて動けないでいた。
「隊長…こいつ…」
「あぁ、喋れるとは驚きだ…」
「てめェら、なんカの薬でオレを操ろウとしてタみてエだが…あいニくこの細胞は抗体をつくッちまウのが早クテな」
ゆっくりと、歩いてくるカイブツ。
長く鋭い爪をガリガリと引きずりながら、歩を進めていく。
「う、うわぁぁあ!」
耐えかねた隊員の1人が支給されたファマスを乱射。しかし、バケモノはそれより早く駆け抜ける。
銃弾スレスレを掠めながら、Aクラス職員の中に突っ込んでいく。
「疾っ!!!」
横薙ぎに爪を一閃。それだけで胴体が真っ二つになる。
「脆イ脆イ脆イイイィイイ!!」
そのまま爪を振り回す。隊の真ん中にこられてしまったので、味方への誤射を恐れて誰も引き金を引けない。
「隊列を崩すな!引け!!」
隊長の号令も虚しく、次々と蹂躙されていく隊員達。その数が半数をきったとき、空いた射線を隊長は見逃さなかった。
「この…バケモノが!」
5.56×45mmNATO弾がフルオートで斉射される。寸分の狂い無く、暴れ狂う熊の頭に弾丸は吸い取られた。
「………やったか?」
ゆっくりと倒れるbearと呼ばれた怪物。
頭から人間のものとは明らかに違う、真っ黒な血が流れ出していた。
「はぁ…はぁ…くそっ!手こずらせやがっ…」
「足りネぇナぁ………」
「!?!?」
「足リない足りナい………俺を殺せルのは…アイツだケだァ………」
ゆっくりと立ち上がるバケモノ。頭から流れる黒い血は止まっていた。
「ナぁ、そウだろ?」
突如疾走。銃を構えたまま恐怖に震えていた隊員に爪を一閃する。何が起きたか分からぬまま、Aクラス職員なりたての彼は上半身と下半身に永遠の別れを告げた。
精鋭中の精鋭。Aクラスの彼らは残り3人となった。
「ひっ、怯むな!撃て!撃て!」
「う、うおおおおお」
3人からのフルオート斉射をくらい全身に穴をあけるバケモノ。しかし、ニンマリと張り付いた笑みを崩すことなく歩き続ける。
「く、来るな!来るなあああ!……あ、あぁ!」
地下駐車場内に木霊する銃声が残響を残して消える。残弾数、ゼロ。
「ハァ、つまンねェなぁ…………オイ」
「た、隊長…」
「……万事休す、か」
「さテ、じゃア終わリにす………」
瞬間、バケモノの肥大化した右手が根本から吹っ飛んだ。同時に聞こえる爆音。
「…ア?」
バケモノの背後には、全身を黒色のバトルスーツにガスマスクを付けた5人の人間がショットガンを構えていた。全ての銃口から煙が上がっている。
「ハッ……ここニ来て、新手カよ…」
今度こそバタリと倒れ込む熊。
「た、助かった、あんたらは一体…」
「我々は主任によりこのバケモノの細胞を埋め込まれた実験体、"Bear Children"だ。お前達が時間をかけるものだから、見かねた主任が我々を実験投入されたのだ」
「そ、そうか…ともあれ感謝する…我々Aクラスはこのまま逃走者の追跡に…」
「その必要はない。」
Bear Childrenと名乗った彼らは、手にしたM870を構えた。
「役立たずは、用済みだ」
「な、おい、嘘」
言い終わる前に、Aクラス職員は消滅した。
「こちらBear Children。役立たずの片付け終了しました。この後の行動の指示をお願いします、主任」
『わかった。なら、君たちはこのまま奴らを追え。そこのバケモノの話だと港区に向かったようだ。そこにはあの生物教師もいるらしい。生け捕りにしてこい』
「かしこまりました」
無線を切ったBear Childrenはそのまま専用のバンに乗り込む。
---追跡が始まった。
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