第3話 名前

端七 刀華おりななとうかは、風邪など引いたこともなかった。スポーツ万能の刀華は、運動部を三つ掛け持ちしながら全てレギュラー入りを果たしている。ひまわりの咲くような笑顔と、太陽をツヤツヤと反射するショートの黒髪をなびかせて活発に動き回る彼女の姿に誰もが虜になっていた。

そんな彼女は、長い春休み明けの始業式を欠席した。

--


「ごほっ…うわぁ、すごい熱だ」

体温計が表示する38度5分の文字を見てげんなりする。iPhoneがブルブルとLINEの通知を知らせるがそれすら見る気になれない。

「薬なんてないし…寮で一人暮らしがこんな裏目にでるなんて…」

健康が服を着て歩いているような彼女だったが故に、今の状況に参っていた。

全身が重く、頭が鈍い痛みを発している。

「とりあえず…少し休もう……」

気を失うように眠りについた彼女が目を覚ましたのは翌日の朝だった。


「おはよー」

「あっ!刀華!昨日はどうしたの?心配だったんだから!連絡も取れないし…」

進級にあたってクラス替えしたにも関わらず、何人かが心配そうに彼女の元へ集まってきた。彼女の人望ゆえだろう。クラスのほとんど、直接話したことのないものでさえ、心配そうに刀華を見つめていた。

「うん、もう大丈夫だから心配しないで。ありがとね」

まだ痛む頭を笑顔で隠しながら言う。

「ほんとー?無理しないでね?」

「うん、ありがとう」

クラスメイト達に挨拶しながら席につく。頭痛のなか、物思いにふけっていた。

「昨日見た夢、すごくリアルだった気がするけど…思い出せないや…」


--昼休み


「よっ」

「ここ、1組だよ」

「知ってるよ。それより、飯食おーぜ。」

昨晩、辛くも謎の武装集団から逃げ切った悠と稔侍はすっかり打ち解けていた。

購買のお弁当を食べながら、少しボリュームを落として稔侍が呟く。

「今日、月島だっけ?来てなかった。」

「……じゃあ、もしかして昨日のは」

「まだわかんねぇけどな」

路地裏で横たわっていた亡骸は、稔侍の話だとこの学校の制服を着ていたらしい。

「それに、昨日のやつら、一体なんだったんだろ」

「それもわかんね。俺が昨日、死体を見つけた直後に襲ってきた。」

「…あいつらが、殺した犯人とか?」

箸を口に運ぶ回数がどんどん少なくなっていく。

「どうなんだろうな…。ただ武器も持ってたし、なんか普通の奴らじゃなさそうだった。」

「また襲ってくるかな」

「…可能性はあるかもな」

もう一つ、口に出さないが二人の間で最も疑問に残った、銃器に関する知識。もちろん2人は普通の高校生としての記憶しかないし、暗闇で少し見ただけで銃の種類がわかるほどガンマニアというわけではない。しかし昨日は、自然と言葉が浮かんできた。あの奇妙な感覚は一体なんだったのか、言葉にするのも怖かった。

「あ、やべ、俺次体育だわ。もう行くから。じゃあな」

「あ、うん。がんばってね」

次の授業まで残り10分をつげるチャイムがなった。食事は、半分以上残った。

--


時を同じくして女子トイレ。刀華がうずくまっていた。吐き気が止まらず、トイレに駆け込んできた彼女の顔色は真っ青だった。

便器に広がる自分の吐いたものを見つめて、さらに気分が悪くなり、

「はぁ…はぁ…………っ!」

嘔吐を繰り返す。しかし、吐いていたのは全て血だった。既に便器は真っ赤に染まっている。

「はぁ…もう、ほんとにどうしちゃったの、私の身体…」

どうにか歩けるようになった刀華は血で染まった水を流し、洗面所で口をゆすぐ。トイレを出たところで、心配そうに立っていたクラスメイトと目が合った。

「あ、刀華…どうしたの?大丈夫?具合悪そうにトイレいってたから…」

「うん…ちょっと、具合悪くて。保健室に行ってくるね」

「私もついてくから。ほら、肩貸して」

ふらつく足元を友人に支えられ、1階の保健室に向かう。

「失礼します!…先生いないみたい…わたし、呼んでくるから!刀華は横になってて?」

「うん…ありがと…」

ベッドに横たわり、横目で友人を見送る。

…休み明けまで健康にも体力にも自信があったのに、突然病弱になってしまった気分だと、独りごちる。

それに加え吐血…救急車も覚悟した方がいいかもしれない…そう思った矢先に、さらに強い頭痛が刀華を襲った。あまりの痛みに、頭を抱え込む。

「う…頭が………」

ちょうどその時、慌てた様子で保険医が入ってきた。

「だ、大丈夫かね、きみ!」

「刀華!どうしたの?平気?」

「あとは、私が診るから、君は教室に帰ってなさい」

そう言って刀華の友人を教室に返した、首から【福田】と書かれたネームプレートを下げた保険医は冷たいタオルを刀華に渡しながら心配そうに名前を呼んだ。

「大丈夫かね?…えー、君は3組の端七さんか…元気で有名だったが……どこが痛むんだね?」

「……がう…」

「ゆっくりでいいから、頭痛かね?他に症状は?」

「…うぅ………ちがう…わたしは…」

「ん?クラスを間違えていたかな」

メガネの位置を直しながら、身長は小さく、顔が大きく四角くてまるでカエルのような福田は名簿を見直す。その時。

「わ、わたしは……端七刀華なんかじゃ………ない…………うぅ!」

ズキズキと痛む刀華の脳裏には昨日見た夢がフィードバックされていた。

「わたしは…………っ…わたしは……」

「落ち着きなさい。」

カエルのような顔をした福田の顔は、今は鬼気迫る表情に突如かわっていた。その冷気すら含んでいそうな声に、刀華はビクッと身体を震わせ、一瞬頭痛さえ忘れて福田の顔を見る。

「いいかね、君は端七刀華だ。落ち着きなさい。いたみでパニックになっているのだろう。いま、鎮痛剤をだしてあげるから、落ち着いて待っていなさい。いいかね?端七刀華。」

名前を強く強調して、ギョロッとした目で刀華を見つめながら冷たく語りかけた福田は、大きく開いた瞳孔のまま薬の棚へ向かう。

その迫力に気圧された刀華は、もう黙っているしかなかった。………しかし、思考は止まらない。

「ほら、薬だよ。これを飲むといい、端七さん。」

「端七…刀華」

「そうだ。君の名は端七刀華だ。名簿にも書いてある。みんな君のことを刀華ちゃんと、よんでいただろう?すこしパニックになっていただけだから、安心してこれを飲みなさい」

先程とはちがい、柔らかく語りかける福田だったが、その眼球は相変わらずギョロッと刀華を見つめていた。

焦点のさだまらない瞳で、刀華は繰り返し呟いた。

「端七……端…七刀華…」

「そうだ。ほら、もう大丈夫だから飲みなさい」

「刀華………端………七…」

自分の名前を呟く度に忘れかけていた頭痛が徐々にもどってくる。

「そうだ。大丈夫だから。飲みなさい」

何故か焦った様子で、福田はてを差し出す。

しかし、まるで福田の存在すら見えていないかのように繰り返し刀華は名前を呟き続けた。


「端……七…刀華……わたしは、おりなな…とうか、…とうか?ちがう…とうか…わたしは………おりなな……うっ…………違う私は………端…………七…………刀華………端七……端七刀…」

「いいから飲め!!!!」

とうとう福田が絶叫した。


その時。






「端七刀…れ…端切れ……………はぎれ?」



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