なぜ仕事は人間の「キャパシティ」を超えてしまったのか

継続するために鈍くなるのは、コミュニケーション以外でも見られる。

僕がサラリーマンだった頃、先輩は

「土日は、月曜日から金曜日最高のパフォーマンスをするためにある」

と言っていた。

僕はこの言葉を聞いて、速攻辞めた。辞めた自分はまともじゃないと思っていた。

でもまともじゃないのは、サラリーマン達の方ではないかと最近思う。

冷静に考えて

「土日は、月曜日から金曜日最高のパフォーマンスをするためにある」

なんて頭がイカれているとしか思えない。そもそも毎日週5+残業なんて、人間のキャパをとうに超えてしまっている。


ではなぜ、このような「キャパ越え」が起きてしまったのか。

僕は、原始時代に立ち還り考えてみることにした。

原始人も「労働」はしていた。皆まともだったと思う。ただその中で一人「まともじゃない原始人」がいた。

その「まともじゃない原始人」はとても卑しい奴だ。

村の原始人達はしばしば「狩り=労働」に出た。

イノシシを捕獲し、食事を待つ村の人々の元に帰り、イノシシをさばく。

さばいたイノシシを調理し、木で出来たテーブルの上に乱雑にばら撒き、

村人たちがそこに群がり食う。それが彼らの日常だった。


いつも通りイノシシをさばき、乱雑にテーブルの上にばら撒こうとした時

卑しい原始人が言った

「ちょっと待てお前ら!!!これ綺麗に盛り付けた方がうまそうじゃね?」

そして卑しい原始人は、さばいたイノシシを綺麗に盛り付け、最後にはイノシシの鼻をテーブルの端に添えるようなことまでした。

仲間の原始人達は無意味だと思ったが、実際は違った。

村の女達は「おお!!なんかいつもよりバカ美味そう!!!」

村長(社長)も「盛り付けって変わるな。」と言った。

それからは、「まともな原始人達」も盛り付けることに納得はしていない(意味が分かっていない)が、村長からの評価を得るために「盛り付け」をするようになった。

いつもの工程作業に、さらに一つの作業がプラスされたのだ。

その後原始人達は、「村長に認められたい!!」「あいつに負けたくない!!」という思いで、イノシシの骨からフォークみたいなものを作ったり、中には、イノシシの皮を前掛けにして村長に贈呈するものもいた。

気に入った村長は、フォーク作りや前掛け作りを「習慣化」する。


労働が増えていく。


まともだった原始人は、狩りの帰り道、売店で、エメラルドマントヒヒ(働く原始人の中では、「エメマン」と言われていた)の血が入った170グラムの飲み物を飲んでいた。

一人のまともだった原始人が言った



「今日も残業か」


これが現代まで続き、労働が今こうしている間にもなお、膨らみ続けていると僕は勝手に思っている。

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