―4月25日1990年

 おとーさん。

 ゆずは玄関のドアが開く音に敏感に反応し、玄関へと駆け寄っていった。ワンルームの古いアパートなので、彼女が走る音は、アパート中に響いていた。

 ゆずー、静かに走れないか?

 たった今帰ってきたばかりの秋彦は、苦笑しながらゆずの頭を撫でた。

 えへへ。

 ゆずは反省していないようであった。笑いながら父親の身体に貼り付いた。

 あれ? おとーさん。その後ろの袋、なに?

 そう言ってゆずは、秋彦が後ろ手に持っているデパートの袋を指さした。

 なんだ、もうばれたか。まったくゆずは変なところで敏感なんだから。

 再び苦笑し、秋彦はデパートの袋をゆずに差し出した。

 ゆず、誕生日おめでとう。

 袋の中にはくまのぬいぐるみが入っていた。

 わっ、ありがとー。うれしい!

 ゆずはそのぬいぐるみを抱きしめて、部屋の中を走り回った。

 再びアパート中に彼女の足音が響いていたが、今度は秋彦は注意をしなかった。

 その代わり。

 なあ、ゆず。

 秋彦はゆずに歩み寄り、彼女の目線に合わせて膝を屈んだ。

 なあに?

 おとうさんはこれから、やらなきゃいけないことがあるんだ。

 やらなきゃいけないこと?

 ああ。それでゆず。これからゆずを独りにしなければいけない。

 ……おとうさん、どっか行っちゃうの?

 いや、そういうわけじゃないんだけど、なんというか……。とにかく、お父さんはずっとゆずのことを想ってるからな。心配することはない。

 秋彦はそう言ってゆずの身体を抱きしめた。

 …………?

 秋彦は泣いていた。

 ゆずは要領を得ずに首を傾げた。

 秋彦の身体は、とても暖かかったことを、ゆずは憶えていた。

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