―12月24日2004年

「……本日は昨夜からの雪の影響で、鉄道のダイヤに大幅な乱れが……」

 音量が絞られたテレビから、女性キャスターの声が洩れ聞こえてくる。

 確かに東京では珍しく雪が降っている。ゆずはリビングのソファに座りながら、正面の窓の外を眺めてそう思った。

 大粒の雪が絶え間なく降っていた。本当に珍しい。この調子だと外は積もっているかもしれない。

 ホワイトクリスマスか。ゆずはふとそう考え、すぐに苦笑した。

 クリスマスなんて、今の自分には関係ないのに。

 ゆずは瞳を閉じ、自分の内に集中した。

 一週間前、李から連絡があった。狙撃銃が手に入ったとのことである。

 その時の李はとても興奮しているようであった。時折中国語が折り混ざり、その度にゆずは日本語で話してくれと注意しなければならなかった。

 作戦決行はクリスマスイヴとなった。

 「日本ではクリスマスは神聖な日らしいな。ちょうどいい。その日にヤツを血の色で染めてやる」李は鼻息荒くそう言っていた。

 そして今、ゆずは李からの連絡を待っている。李の準備が出来たら誠一と接触することになっている。当初の予定では午前一〇時には準備完了の連絡が来ることになっている。

 しかし、午後一時を過ぎようとしているのに、まだ李からの連絡はない。

 準備、手間取っているのかな。ゆずはぼんやりとそう考えて、瞳を開けた。

 不思議と心は落ちついていた。もっと心が動くものだと思っていたのだが。アタマがおかしくなったのかも。

 ゆずがそう考えた時、家のチャイムが鳴った。モニターに映っていたのは由香であった。彼女は笑顔でケーキの箱らしき物をカメラに向けていた。

 ゆずは小さく笑ってセキュリティを解除した。しばらく経ち再びチャイムが鳴ったので玄関に行き、鍵を開けた。

「ゆっち、メリークリスマス!」

 由香はドアを開けるなり、元気いっぱいの声でそう言ってきた。

「もーどうしちゃったのよ。最近全然連絡くれないから、寂しいよ。はいこれ、クリスマスケーキ」

「あ、ゴメン。ありがと」

 ゆずはケーキを受け取り、由香の前半部分の発言に対して謝った。そう言えば最近李との計画にかかりっきりで、由香と会っていないことに気付いた。

「来る前にメールしようと思ったけど、急に来たらびっくりするかなーって思って連絡なしで来ちゃった。どう? びっくりした?」

「……びっくりしたけど、あたしがいなかったらこれどうするつもりだったの?」

 ゆずがそう言ってケーキを掲げると、そこまで考えていなかったらしい。しばらくキョトンとした顔をした後に、

「まあ、結果オーライってことで」

 そう言って笑っていた。

「……相変わらずね」

 ゆずはそんな由香に、顔をほころばせた。多少は気がほぐれたようだった。

 由香をリビングに通すと、彼女はいつも以上にはしゃいでいた。

「ねーねー。今日はコレからなにしよっか。せっかくのクリスマスだし、どっか遊びにいくー?」

「えっと……」

 ゆずは困ったように苦笑した。なんて言えばいいんだろう。これから人殺しの手伝いに行きます。そんなことさすがに言えないな。

 ゆずが言いよどんでいると、由香は察する所があったらしい。

「あーもしかしてオトコ? 私に内緒でカレシつくったのー?」

「そんなんじゃないよ。今日はちょっと、ね。まあ今は全然大丈夫だから」

 由香をリビングに通し、紅茶を差しだした。

「ありがとー。ねー今日は何の用事があるの? 私に言えないことなの?」

「そんなことじゃないんだけど、ね」

「ねー教えてよ。誰と会うの?」

 由香はしつこく聞いてくる。どうしよう。余り気が乗らないけど嘘をつかなきゃいけないかな。大学の友達と会う、とか。

 ゆずがそう思って口を開こうとしたときであった。

「……李っていう中国人と会うの?」

 由香のその言葉に、ゆずの身体は大きく揺れ動いた。慌てて由香を見ると、彼女は口元を歪ませていた。

「……ごめんね。こんな事になるとは思わなかったの」

 彼女はそう言って、ゆずの両肩をすがるように掴んだ。その目には涙が溜まっている。

「……どういう事?」

「あの日、ゆずをあの店に連れて行ったのは、あの中国人に頼まれたからなの。まさかあんな人だとは思わなくて……」

 そう言われ、ゆずはなるほどと合点がいった。初めに李は偶然を装っていたが、あれは必然の出会いだったのか。

「ごめんね……」

 由香の目に溜まった涙が、次第に大粒になっていった。涙は頬を伝い、フローリングの床に落ちていった。

「気にしないで? 別にあたしは大丈夫だから」

 ゆずが努めて元気な声を挙げたが、由香の涙は止まらなかった。

「ねえ、なんであの男と会うの? ……なんで……ヒトゴロシの手を貸すの?」

 由香に至近距離で見つめられ、ゆずは静かに目を伏せた。なんだ。全部知っているのか。

 そんなゆずの仕草に、由香は彼女の身体を強く揺さぶった。

「ねえ、なんでなの? 教えてよ!」

「……知りたいのよ。あたしは。なんでお父さんが殺されなきゃいけなかったのか。……ごめん由香。ジッといていられないのよ」

 二人はしばらくの間、無言で見つめあった。由香はしゃっくりを上げながら泣いていた。

 そんな彼女の姿に、ゆずの心は痛んだ。

 何をやっているんだろう。こんなに自分を想ってくれる友達がいるのに。

 でも、ゆずは立ち止まるわけにはいかなかった。

 その中で気持ちが揺れ動き、彼女は次の言葉を発することが出来なかった。

 辺りに重い沈黙が流れる。テレビの音がかすかに聞こえる中、二人は身動きせずに見つめあっていた。

「……駅構内男子トイレで、男性の遺体が発見されました」

 テレビではニュースが流れているようであった。しかし二人の耳には届かなかった。ジッと見つめ合っている。

「遺体は……区在住の無職、李張連さん三二歳」

 その言葉が聞こえた瞬間、二人は揃ってテレビの画面に目を向けた。

 テレビには見慣れた都市の駅が映されている。トイレの個室の中を警察が捜査を行っている映像であった。その映像の右下には、李の写真が映っていた。

 二人は目を見合わせ、そして再びテレビに目を向けた。

 しかしその時にはすでに次のニュースに映っていた。

「…………」

 再び沈黙が流れた。しかし先程のそれとは性質が違った。二人は茫然とし、言葉が出てこないようであった。

「……今の……?」

 ようやく声を出したのは由香であった。彼女はその一瞬の報道が聞き違いではないかと、いぶかしげな顔をしていた。

「……うん」

 ゆずは小さく頷いた。彼女も聞き間違いだと思いたかったが、由香の当惑の表情を見て、それが真実なのだと確信した。

「……ねえ」

 由香は表情を落とし、ゆずの袖を強く握った。

「私……ゆっちがいなくなったらやだよ。ゆっちがいないと生きてけないよ」

 そう言って、彼女はすすり泣いていた。

「……うん」

 ゆずは再び小さく頷いた。

 それ以上、言葉が出なかった。様々な事が浮かんでは消えた。

 そして最後に李の顔が浮かんで消えて、ゆずは深くため息をついた。

 そのため息は、とても深く重かった。

 もう、終わりか。ゆずは冷静にそう考えていた。


          ・   ・   ・


 それからずっとテレビを見ていたけど、李さんに関するニュースはやらなかった。

 東京の中では小さなニュースなのかな。普通の人が殺される事件なんて。

 そう思うと、すごく哀しい気分になった。

 あのマンションに行こうと思い立ったけど、由香に猛反対された。

 確かめに行きたい。そう言ったけど、由香は聞いてくれなかった。

 李さんが死んで、あたしは終わったと思った。

 そう。終わったんだ。なにもかも。

 由香に言われた言葉が心に残った。

 何であんな男と会うの?

 結局その答えはあたしの中で出てこなかった。

 「復讐」じゃなかったんだ。あたしのは。

 別にお父さんを殺した人を憎いとは思わなかった。

 憎いからなんかじゃなかったんだ。

 じゃあなんで? と言われるとあたしも答えられなかったけど。

 李さんはあたしを同類だって言ってた。

 どうなんだろ。わからない。

 たゆとうと、定まらないあたしの心だけど、この時一つだけ思うことがあったんだ。

 憎いんじゃないんだ。でもお父さんは、あたしが殺すつもりだったんだ。あたしが殺したかったんだ。

 そのお父さんをなんで殺したのか。それが、知りたかったんだ。

 そう思って少し寒気がしたけど、このことは由香には言わなかったんだ。

 とにかく、終わったんだ。あたしの「非日常」は。

 だからこの日は二人で明け方まで騒いだ。由香は無理にでも盛り上げようとしていて、あたしはあんまり気分は乗らなかったけど、由香の頑張りに応えていた。

 そう終わったんだ。

 終わったはずだったんだ。

 この時は。

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