―9月17日2004年
由香にジャスティスへ連れて行かれた日から、一週間が経過した。それはすなわち、ゆずが李と接触した日から一週間が経過したとも言える。
ゆずは一週間悩んだ挙句、ジャスティスの前に来ていた。由香には内緒で。
結局自分の気持ちの整理はつかなかった。自分がどうしたいのかも解らず、自分の気持ちに決着をつけるためにもと、今日はジャスティスにやってきたのである。
ゆずはしばらく店の前で中に入るのをためらっていた。勢いでここまで来てしまったが、本当にあの人に会って良いものか。
あの人は「カクゴができたら来い」と言っていた。自分の気持ちすら解らないこの状態で、果たして会ってよいものなのだろうか。
いや。ゆずはそんな事がよぎる頭を強く振って気持ちを切り替えた。いつまでもこんな事を考えていても仕方がない。進まなければいけないんだ。
ゆずはそう己の心を鼓舞し、「よし」と掛け声を一つして、店内へと入っていった。
エントランスから見えるメインホールは、相変わらず混沌としている。体力が有り余った若者が、その暴力性を必死に踊りへと昇華しているようにゆずには見えた。
エントランスを素通りして、二階のバーへ足を向ける。あの人、いるかな。ゆずは階段を一段一段昇る度に鼓動が早く強く鳴った。
バーの扉を開ける。薄暗い店内をゆずは見渡した。
李はカウンターから一番離れたテーブルで、一人酒を傾けていた。彼はゆずの姿を確認すると一瞬顔を挙げたが、すぐに興味を失ったように視線を元に戻していた。
ゆずは固唾を飲み、李のテーブルに近づいていった。
「思ったよりも、早く来たな。カクゴは出来たのか?」
ゆずは無言でうなずき、彼の向かいに腰を掛けた。本当はカクゴなんて出来ていないのだが、そんな弱い部分は決して見せなかった。
オーダーを取りに来たバーテンに、ウーロン茶を頼んだ。
「酒は飲まないのか?」
「酔ってなんかいられないわよ」
李が「そうか」と返事をする内にウーロン茶を入れたグラスが運ばれてきた。
「で、この前の件だけど」
「ああ。桜井秋彦をヤッタ犯人、だったな」
ゆずが頷くと、彼はジャケットの内ポケットからパスケースを取り出し、その中から一枚の写真をゆずに手渡した。
それは遠くから撮影された写真らしい。街中の風景で、一人の男が歩いている所を隠し撮りした写真のようであった。
「佐藤誠一、だ。そいつがお前の父親を殺した」
「…………」
ゆずは言葉を発さずに写真を見返した。写真はかなり遠距離から撮影されたようだった。わずかにピントがずれており、人物も全身が小さく映っているのみの写真であった。それでもその男の印象は解る。知的で決して悪い事をしそうな感じには見えなかった。
「なんで……?」
ゆずは小さくそう呟いた。その言葉には二つの意味があり、李は的確にそれを理解した。
「こいつはプロだ。こいつがヤルのには理由はないさ。警察は佐藤まで辿りついていない。現場に痕跡を残すようなヤツではないからな。テレビで言っていなかったか? 『プロの犯行ではないか』と」
ゆずは背筋が寒くなった。確かにゆずはワイドショーで見た事があった。桜井秋彦を殺害したのはプロの殺し屋ではないか、と。
現場に一切の痕跡がなく、目撃者もいない。遺体の外傷は首筋への斬り跡のみではあるが、確実に生命維持に重要な血管を欠損させ、失血死させている。とても素人では真似できない犯行だと言っていた。
「……じゃあ、誰がこの佐藤って人に頼んだの?」
ゆずはふとそう思い、李に訊ねた。すると彼はわずかに口元を歪めて、
「さあな。佐藤は暴力団から仕事を受けているようだから、その関係で何かあったんじゃないかな」
「暴力団……」
ゆずは考え込むように下を向いた。父親は何をしていたんだろう。父親が外でどんな事をしていたのか、ゆずは全く解らなかった。
何をしていたんだろう。殺されるほど、強く恨まれるなんて。
ゆずがそんな事をぼんやりと考えていると、「さて」と李が身を乗りだして来た。
「真実を知るには代償が必要だと、前回言った事を覚えているか?」
そう言われ、ゆずはハッと顔をあげた。確かにその言葉は覚えている。
あまり深くは考えていなかったが。
ゆずは顔をこわばらせて、小さくうなずいた。
「まあ、そう身構えるな。大した事ではない。私のヤル事の手伝いをしてもらいたい。強制ではない。やりたくなかったら断ってもらってもいい」
「……どんな手伝い?」
ゆずのその言葉に、李は誠一の写真を指さし、
「こいつを殺す。その手伝いをしてほしい」
李は坦々とした口調でそう言った。その言葉は初めゆずは理解できず、理解出来た後もなおその真意が解らず、ゆずは「は?」と気の抜けた声を上げた。
「言葉通りだ。此処には人が多い。二度は言わない」
そう言われ、ゆずはそこがバーの中である事を思い出した。周りのテーブルには客はいないが、誰が聞いているか解らない場所である。
「これ以上は此処では言うことが出来ない。具体的なハナシは次の時にする。ゆっくり考えて、腹が決まったら連絡をくれ」
李はそう言ってポケットから一枚の紙片を取り出した。そこには携帯電話の番号が書かれていた。
「自分の携帯電話からはかけるな。絶対に公衆電話を使え。いいな?」
彼は立ち上がってその場を去ろうとしていた。
「……あの」
そんな李の背中に、ゆずは口を開いた。
「あたしがこのまま警察に行ったら、どうするの?」
ゆずがそう聞くと、李は振り返ってゆずの顔を正視した。
不思議とゆずの中には恐怖心はなかった。現実味がないからかもしれないが、李に対して怖いという感情が、なぜか湧かなかった。
しばらくの間、二人は見つめ合った。李はサングラスをしているので、本当に見つめ合っているのかはゆずには解らなかったが。
「行く事はない。必ず次も私の所に来る。私にはお前の考えている事が解る」
「……なんで?」
ゆずがそう聞くと、李は口元に笑みを浮かべてサングラスの縁に手を掛けた。
「同類だからさ」
李はサングラスを取って再びゆずの方を向いた。
彼の左目は潰れていた。横に一文字の傷跡がある。恐らく彼の左目は機能していないのだろう。
「私は大切な仲間をヤられた」
それだけ言うと、李は再びサングラスを掛け、その場を後にした。
取り残されたゆずはしばらくの間、茫然としていた。
その手には李の携帯電話番号が握りしめられていた。
・ ・ ・
家に帰って、その日のことを一人でゆっくりと考えた。
不思議な気分、だった。
怖いとは思わなかった。現実味があまりないかもしれないけど。
佐藤って人がお父さんを殺したっていうのも、李さんが佐藤って人を殺すって言ったのもそれを理解する事は出来た。
その時はその事実よりも、定まらない自分の心の方が、怖かったんだ。
あたしは何をしたいのか、よく解らなかったんだ。
よく解らないけど、一つだけハッキリしていることがあった。
佐藤誠一。その人がどんな人なのか、すごく知りたくなった。
だから、あたしはまた李さんに連絡をとったんだ。
よく解らない。
でも、もしかしたら。
あたしは李さんと同類かもしれない。
そうも思ったんだ。
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