―1月5日2004年
東京では珍しく、昨日から降り続いた雪がうっすらと地面を覆っていた。
おかげで公共交通機関に大幅なダイヤの乱れがあると、テレビのニュースキャスターが伝え、北国出身らしいコメンテーターが笑っていた。
正月の三箇日が終わり、少しずつ街が平常に戻ってきていた。雪もようやく止み、昼過ぎのその時間帯には晴れ間が見えてきた。
誠一はマンションのダイニングで娘の加奈子と共に遅めの昼食を食べていた。
「ふあー。お父さんすごいね」
加奈子は箸を持つ手を止めて、テレビ画面に感嘆の声を挙げていた。ワイドショーで青年実業家の自宅訪問という特集をやっていた。
テレビ画面に映るのは、ワールドプレイスの副社長、河合圭介だった。望遠鏡越しに見た端正な容姿の青年が、女性キャスターの質問に笑顔で答えていた。
彼は誠一の住む部屋より遥かに広い部屋に住んでいるようだ。高級住宅街の一等地に建つマンションの一室は、ただ広いだけではなく高級な家具やアンティークが配置されていた。
『僕なんて大した事ないですよ。社長のおかげでここまで来られたんですから』
河合は笑顔でそう謙遜していた。恐らくは微塵も思っていないのだろう。自信が込められた笑顔がそれを物語っていた。
それから女性キャスターは河合の略歴を語りだした。
一九八九年、彼が大学在学中に現在のワールドプレイス社長桜井秋彦と出会い、一九九一年河合が大学卒業と同時に共同出資と言う形でワールドプレイスを起業した。その後は着実に業績を伸ばし、現在は一部上場企業へと成長したとキャスターは語っていた。
画面は切り替わり、駐車場に来ていた。彼の自慢の高級車を、相変わらず謙遜しながら説明していた。
「はー」
そんなテレビ画面を見ながら、加奈子はもの珍しげに感嘆の声を挙げている。
「あんな生活をしてみたいか?」
誠一のその言葉に加奈子はわずかに考えた表情をして、笑顔で首を振っていた。
「お父さんと一緒ならどこでもいいよ」
「…………」
誠一は彼女の笑顔には応えず、食事を再開させた。
食事が終わり、後片づけをしているとチャイムが鳴った。
「はーい」
食器を一生懸命タオルで拭いていた加奈子が走っていった。誠一はワンテンポ遅れて玄関に歩を進めた。
「あ、高村さん」
誠一が廊下を歩いていると、玄関からそんな声が聞こえてきた。確かにそこには高村が笑みを浮かべて立っていた。
「加奈子ちゃん久しぶり。今日は学校行かなくていいのかい?」
「まだ冬休みだから」
「ああそうか。学校はまだ休みなんだよな。おじさんの仕事は冬休みないから、わかんなかったよ」
「出版会社って大変なんだね」
「まあね。ああ、佐藤」
高村は誠一の姿を確認し、軽く手を挙げた。彼は黒のロングコートを身にまとっていた。長身で、さわやかな笑顔を相貌に称えている。
「加奈子」
誠一は彼の笑顔を無表情で受け、加奈子に向かって口を開いた。
「私たちはこれから仕事の話をするから、しばらく友達の家にでも行ってきなさい」
「……ん、わかった。圭子ちゃんの所に行ってくるね」
加奈子は一瞬寂しそうな顔をし、すぐに笑みを浮かべてそう言うと、手早く身支度をして家を後にした。
「……そうか。まだ冬休み中だったか。もう何日か待ってから来るべきだったかなあ」
高村は表の歩道を走る加奈子を窓から見下ろしながら、申し訳なさそうに言っていた。
「いや、気にするな。それよりも仕事の話だが」
高村をリビングのソファにうながし、コーヒーを差しだした。
「ああ。聞きたい事があるんだっけ? なんだい?」
「単刀直入に聞く。お前の組と取引をしているのは桜井秋彦と河合圭介のどちらだ?」
「……本当、単刀直入だなあ」
高村は苦笑しながらコーヒーを一口飲んだ。彼はゆっくりとコーヒーの香りを楽しみ、やがて誠一の方を向いた。
「河合だよ。桜井は細かいところには関知していないらしい」
「そもそも、お前の組に話を持ち掛けたのも、河合なのか?」
ここまでのやりとりで、高村は誠一の質問の意図が解ったようだった。口の端を吊り上げて誠一を見た。
「当時は俺も下っぱだったから詳しい事は解らないけど、そんな話でもいいかい?」
誠一は無言でうなずいた。
「確か、河合が突然ウチの組にやってきたんだよ。『儲け話があるんだけど聞いてもらえませんか?』ってな。アルバイト先で見つけたオヤジが覚醒剤仕入れるルート知ってるらしいんですけど、それで一儲けしませんか? って言ってきたんだ。そのアルバイト先のオヤジってのが桜井だったんだよ。ほら、あいつはその前から輸入会社やってただろ? その時のコネがあったみたいでな」
確かに、桜井秋彦はワールドプレイスの前に「㈲アキ・インターナショナル」という、同じく東南アジアの輸入雑貨の会社を立ち上げていた。もっとも、その会社は経営不振で一九八八年に倒産してしまったのだが。
「河合が説得したみたいだぜ。ま、桜井は借金返済と起業資金貯める一時的な気持ちだったみたいだけどな」
「そうか……」
誠一は立ちあがり、窓の方へと歩み寄った。遮光カーテンをわずかに開け、窓の外を眺めた。
「で、それがどうしたんだい?」
「…………」
誠一が振りかえると、高村は立ち上がり、誠一に近づいてきた。
彼は誠一の肩を軽く叩き、
「桜井を殺してくれ。以上だ」
「……相変わらず冷たい男だな」
「ああ。でないとヤクザなんてやってられないさ」
そう言う高村の表情は、満面の笑みを称えていた。
彼の表情とは全く正反対なそんな冷たい言葉に、誠一は強く舌打ちをした。
・ ・ ・
一九八一年、桜井秋彦が大学在学中の二一歳の時にアキ・インターナショナルという会社を興した。主に東南アジアの雑貨を輸入販売する会社で、当時同じ大学の同級生だった小林冬子と二人のみの会社であった。
アキ・インターナショナルは二年目から少しずつ業績が伸びていった。従業員数も、三年目には二〇人に増えていった。
やがて桜井秋彦と小林冬子は結婚し、その翌年に長女、ゆずを授かった。
ゆずが生まれてから、会社はさらに業績を伸ばす事になる。起業当初は安アパートの一室であったが、五年目には貸ビルに社屋を移す事になった。
全てが順調だった。仕事も家庭も、全てがうまくいっていた。
しかし一九八八年、事業の多角化に失敗し多額の負債を負った。これによりアキ・インターナショナルは倒産、桜井秋彦と桜井冬子の元には多額の借金が残る事になった。
そしてアキ・インターナショナルが倒産して三年後に、桜井秋彦と河合圭介はワールドプレイスを起業した。そう高村の資料には書かれていた。
私には桜井秋彦が裏の世界に荷担するような人物には思えなかった。調べれば調べるほど、その気持ちは強くなっていた。
しかし、この時に高村の話を聞いて、おおよその予想がついた。
恐らく、その契機はアキ・インターナショナルの倒産であろう。
いや、正確にはその後の彼の妻、桜井冬子の自殺であろう。
桜井冬子はアキ・インターナショナルが倒産したその年の暮れに自室で首吊り自殺をした。遺書には「借金から楽になりたいの」と書かれていたそうだ。
アルバイトをしながらなんとか生計を立てていた桜井秋彦と、悪知恵はあるが実現する手段がなかった河合圭介が出会ったのは、それから二年後のことである。
そして、その時桜井ゆずは五歳であった。
愛する娘に苦労をさせたくないという気持ちが強かったのだろう。
初めは一時的な取引のはずが、ズルズルと一〇年以上続いてしまった。会社も軌道に乗っており、ここが契機だと桜井秋彦は考えたのだろう。
それにしても。
私はこのようなことを考えてどうするつもりであろうか。
私は高村を、冷たい男だと評した。
それはそのまま自分にも言えることだ。
なぜなら、桜井秋彦を殺めることには変わりはないのであるから。
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