―10月5日2003年

 外は抜けるような晴天であったが、誠一のいる場所にはわずかな光も入ってこなかった。

 そこはあるマンションの一室である。誠一の周りには何もない。ガランとした空間が広がっているだけだ。入居者の存在しない、空き家である。

 誠一は五日前から時折そこに忍び込んで「観察」をしている。部屋に光が入らないのは、彼が持参した暗幕カーテンのせいである。

 誠一はカーテンの隙間から望遠鏡を出し、窓の外を見た。

 望遠鏡で拡大された視線の先には、桜井秋彦の姿があった。彼は高級そうな木製の机に向かい、ノートパソコンを操作していた。

 そこはワールドプレイスの社長室である。位置的には道路を挟んで向かいのビルに誠一はいることになる。

 誠一は注意深くその部屋の中を見る。誠一のいる位置からは部屋の一部分、秋彦が座るデスクと、反対側にソファがあるくらいしか見えない。それでも誠一は飽きることなく社長室の中を覗いていた。

 もう、見続けて五日目である。すでにビルの見取り図は入手して頭に叩き込んだ。だからこのような行為は必要ないのだが、それでも誠一は見続けた。

 そこが秋彦の死に場、つまりは誠一の殺害現場になるのだから。

 社長室は依頼者からの指定であった。といっても、誠一の直接的な依頼者ではない。誠一は暴力団富沢組の若頭、高村から依頼を受けている。その高村に依頼した男が社長室を指定したのである。

 誠一は秋彦のいる机の辺りに目を向けた。

 秋彦は不健康そうな顔をしていた。頬はわずかに痩け、目の下にも隈が見える。全体的にやせ細っている男だった。しかし、その眼光は鋭く光り輝いている。

 彼の周りからの評判は悪くはなかった。その相貌は鋭く研ぎ澄まされており、事実あまり饒舌にしゃべる方ではないが、部下への気遣いは忘れることはない。ワールドプレイスを一代で一部上場企業にできたのは、彼の経営手腕もあるだろうが、部下から厚い信頼を得ている、彼の性格も要因としてはあるようであった。

 真面目な職人気質。多くは語らず行動に移す。それが彼に対する社員の感想であったと高村からの資料には書かれていた。

 秋彦に動きがあった。彼はドアの方を向き、なにかを言葉を発しているようであった。

 どうやら来客があったようだった。秋彦は座ったまま対応している。

 社長室に入ってきたのは、副社長の河合圭介であった。茶色に染めた髪を後ろに結っている。整った顔立ちのその男は、秋彦よりもずっと若いようであった。

 彼は執務机に両手を預け、笑顔で秋彦になにやら話しかけているようだった。対する秋彦は気難しい表情のまま、それに受け答えていた。視線はノートパソコンから離れない。河合の顔を見ることはなかった。

 誠一は己の仕事の本当の依頼者を知らない。知らせたところでメリットになることはないから、高村もあえて伝えることはないし、誠一も興味がない。だからお互いそのような野暮な話題を「仕事」の話をする上で挙げることはない。今回も、例外ではなかった。

 だが、今回はわかってしまった。誠一の予想の域を越えることはなかったが。

 誠一は河合に視線を向けた。彼はソファに腰を掛け、秋彦に何かを言っているようだった。そして秋彦は取り合うつもりはないらしい。黙々と仕事をしている。やがて河合は苛立たしげに頭を掻き、捨て台詞を吐くと社長室から出ていった。

 河合が出ていってしばらく経った後、秋彦は深いため息をついて仕事に戻っていた。

 恐らく、あの河合圭介だろう。誠一は望遠鏡から目を離し、疲れた目を押さえながらそう思った。

 河合には明確な動機がある。

 一九九一年の起業以来、ワールドプレイスは輸入雑貨の販売以外にも収入源があった。それは覚醒剤である。秋彦と河合は起業する前から手を組んで覚醒剤の密輸を行い、起業後は会社の裏事業として秘密裏に行っていた。

 そして覚醒剤を購入していたのが富沢組である。当時秋彦と河合には仕入れるルートはあったが、それを販売し金に換えるルートはなかった。そんな二人に話を持ちかけたのが富沢組の高村であったのだ。

 ワールドプレイスと富沢組はしばらく莫大な利益を得た。そして事業が軌道に乗り、一部上場企業へと成長した二〇〇一年に、秋彦は河合にある提案を持ち掛けた。

 それは覚醒剤の密輸を中止するというものであった。その頃には従業員数も増え、ほとんどの社員が裏事業を知らない状態になっていた。そのような状況にあるので、秋彦は裏事業の継続を非常にリスク高と考えたのである。

 しかし河合はその提案を承諾することはなかった。もとより自分にとっては会社は金儲けの道具に過ぎない。バレた時は外国に逃げればいい。河合は秋彦にそう言ってのけたのである。

 やがて二人は対立するようになった。しばらくの間、二人の議論は平行線を辿っていた。社員は何処にでもある会社内の対立と考え、いつのまにか「桜井派」、「河合派」に分裂するようになっていった。

 会社内の派閥は拮抗していたが、裏事業を知る者達は、そのほとんどが秋彦に賛同していた。やはりこれ以上の暴力団との癒着と非合法な取引を続ける事をよしとしない者が多かったのである。

 富沢組としても現在は覚醒剤の販売は大きな収入源である。みすみすその利益を失うわけにはいかない。

 大方はそんな所だろうと誠一は予想していた。

 秋彦の現在の状態を自分が蒔いた種だと突き放すことはないが、同情することもなかった。

 ただ一つ。「対象者」であるから。

 と、ここで腕時計がバイブレーションした。見ると午後一時二五分を刻んでいる。再び双眼鏡を覗き込んだ。

 秋彦はノートパソコンを閉じ、出かける準備をしていた。本日はこれから夜まで関連会社を回る予定になっている。誠一は彼が社長室から出るのを確認すると、望遠鏡から瞳を外した。

 夜まではここに用はない。誠一は立ち上がり、注意深く部屋を後にした。


          ・   ・   ・


 私は出来る限り桜井秋彦と、桜井ゆずを調べた。

 仕事において必要だからである。

 調べるにつれ私は「ある事」に気付いたが、それに関しては考えない事にした。

 考えても仕方のない事である。

 私の家庭と似ているという事など。

 そう。考えても仕方のない事なのだ。

 私には「仕事」をする道しか残されていないのであるから。

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