―4月25日2005年

 雨は次第に小康状態を見せていた。空は明るい。後もう少しで止みそうである。

「娘さんの写真とか、ありますか?」

 ゆずがそう聞くと、男はわずかに考えた後に、胸ポケットからパスケースを取り出した。

 パスケースの中には一人の少女の写真があった。中学校の入学式であろう。校門前ではにかむような笑顔をカメラに向けていた。

「すごく可愛い娘ですね。お父さんに全然似てない」

「ああ。幸運にも母親似のようだ」

 男はムスッとした表情でそう答えた。その仕草がおかしくて、ゆずは口元に手を添えて、クスクスと笑いだした。

「……何がおかしい?」

「なんでもないです。これおじさんが撮ったんですか?」

「ああ。一応、父親らしい所を見せないとかなと思ってな」

 ゆずはもう一度、写真を見た。写真の中の少女は固い笑顔であったが、その目はしっかりと父親の構えるカメラに向けられていた。

「娘さん、おじさんのこと大好きみたいですね。そう、顔に書いてありますよ?」

「そうか……」

 男は照れを隠しているようで、素っ気なくそう呟いていた。

「ちゃんと構ってあげないとダメですよ? でないと、あたしみたいになっちゃいますから」

「……そうだな。気をつけないといけないな」

 男はそう言って遠い目をしていた。

 いつのまにか、雨は止んでいた。綺麗な夕日が雲の間から覗かせていた。

「……トモダチが待ってるから、もう行きますね」

 ゆずは雨避けから出て、男に軽く頭を下げた。これから由香と誕生日のお祝いをするのだ。

「これ」

 と、男はゆずにある物を差し出した。ゆずはしばらく悩んだ後にそれを受け取った。

 由香の顔が脳裏を過ぎった。随分と待たせたから、怒ってるだろうな。ゆずはそう考えて、出来るだけ急ごうと走りだそうとした。

「あ、最後に一つだけ」

 ゆずは思い出したように愛を止め、男の方を向いた。

 そして二、三言葉を交わした後にゆずはその場を後にした。


 ゆずは走った。方角は先ほどと逆方向。駅へと戻る道であった。

 雨があがったその道は、行きの時と比べると格段に走りやすかった。

 ゆずは後ろを振り返ることはなかった。ただ、前を見据えて全速力で通りを走った。

 途中で彼女は橋の中央で足を止めた。下には大きな川が流れている。

 ゆずはしばらくそこで考えた後、先程男から受け取った物を川に投げ捨てた。

 そして再び歩を進めた。

 その顔は晴れ晴れとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る