―4月25日2004年

「ゆず」

 秋彦はゆずが作ったハムエッグを箸でつつきながら、ふいに口を開いた。

 今まさに一人暮らしの考えを切り出そうとしたゆずは、虚をつかれ「へ?」と間の抜けた返事をした。

「……なんて声を出している」

「急に呼ぶからびっくりしたのよ」

 ゆずがそう言うと、秋彦は「そうか」とわずかに笑みを見せた。

「まあいいや。それより今日の夜は空いてるか?」

「……空いてるけど、なに?」

「今日は久しぶりに夕飯でも食べに行かないか? 仕事は早く終わらせてくるから」

 急なその言葉に、ゆずはキョトンとした。

「どうしたのよ。急に」

「いや。今日はゆずの誕生日だろ? 大学の入学祝いもしてなかったし、さ」

 秋彦はそう言って再びゆずに笑みを見せた。父親が笑う顔なんて、随分と久しぶりに見た気がした。

 そして、久しぶりにまともに父親の顔を見た気がした。

 なんか、疲れてるみたいだな。それがその時の感想だった。頬はわずかにこけ、目の下には深く隈ができている。あまり寝ていないみたいだった。

 ゆずがそんなことを考えていると、秋彦は「嫌か?」と目を伏せた。しばらく流れた沈黙を、拒絶のサインと取ったらしい。ゆずはかぶりを振り、

「いいよ。別に用事なかったし。それより今日は早く寝なよ。なんか疲れてるっぽいから、さ」

「わかったよ。じゃあ今日は早目に帰ってくるから」

「ん」

 ゆずは短く返事をした。本当は由香と久しぶりに会わないかって話をしていたのだが、延期してもらおう。ゆずはそう心の中で考えた。


          ・   ・   ・


 なんか、変な気分だった。

 いまさらなに? って気持ちもあった。

 やっとか。っていう気持ちもあった。

 嬉しかった。

 恥ずかしかった。

 腹立たしかった。

 嫌だった。

 むずかゆかった。

 複雑で、自分の気持ちがわからなくて。

 だからその時どんな顔していたか、あんまり覚えていない。

 それでも、その日は学校終わったらまっすぐ家に帰ったのは。

 やっぱり嬉しかったかもしれない。

 そう思った。


 四月二五日。あたしの誕生日。

 その日は特別の日。

 特別に哀しい日。なのだ。

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