鬼の目にも泪

高瀬涼

鬼の目にも泪

 小学校の頃、あだ名は「鬼」だった。

 幼い頃ほど、見たまんまのあだ名を男子たちはつけたがる。

 あほだから。

 小学校四年生の頃、クラス一番の悪がきだった奴に学級委員だった私は「ちゃんと掃除しなさいよ」みたいなことを言ったら相手が突っかかってきた。

 私は怒り出すと顔が真っ赤になり、鼻息も荒くなる。

 相当、その時の私が怖かったのか、男子はすぐに掃除に取り掛かった。だが、翌日、女子に負けたみたいだ、と噂がたった。

 プライドが許さない男子は虚勢を張るために私のことを「やーい、オニ。赤オニ!」とからかってきた。

 それから、みんなが私のことを「オニ」と呼んできた。またはオニちゃん。

 ちゃん付けしてても、嬉しくないから。


 そんなことがあったなあとぼんやり思った私は会社の飲み会で隣りの席になった彼に聞いてみた。

「ねえ。私ってそんなに怖く見える?」

「えっ、あ、どうかな……」

 私はもう三十六歳。独身。この前、彼氏にはフラれたばかりだ。

 理由は「怖いから」

 あなたが怒らせるようなことばかり言うからだ、たーこと思った。


 オドオドと答えに迷う後輩。後輩は私より十歳年下の二十六。若い。まあまあかわいい顔をしている。

 という、思考回路自体もうなんか昔と変わってないのかも。

「どうかなって、結局、鬼なのか天使なのかどうなの」

「鬼の反対って天使なのか」

 みたいなことを静かに飲んでいた上司が言ったので「別になんでもいいわよ。天女でも、仏様でも、キャバクラの姉ちゃんでも。鬼か癒しかって、話」

「だったら鬼ですよ、なに言ってるんですかー!」

 テーブルの端から声をあげたのは最近うちの部署に入った新人の女の子。私より年下で子持ち。酒豪。かわいい。

 少し、イラつきながら答えを聞いてみる。

「即答とはいい度胸ね」

「だって、先輩、まったくスキないんですもん!」

「スキだらけよ。仕事もミスしたりするし、忘れ物もたまにあるわ」

「そういんじゃないんですよ。なんていうのかなー、遠いところにいるみたいなんですよ。そして、理解できない場所に立ってて、何が逆鱗に触れるかここからは見えないんです。つまり、予想できないので、私たちは恐る恐る会話するんです。あなたは遠いところから見下ろしている」

 つけまつげをぱちぱちと瞬かせる彼女。今日も髪型は決まっている。くるるんとした巻き毛。私がしたことがない髪型。

 彼女は私とは正反対だ。

 私は黒縁メガネを付けて、髪型はアシンメトリーのショート。赤い口紅。そして耳元にはよく赤いワンポイントの花のピアス。

「もう、言いすぎですよ、杉山さん!」

 私の苛立ちを察知した同僚の男性が杉山さんを引っ込める。

 杉山さんと呼ばれた新人女子は「え、だってみんなそう思ってるでしょ?」と尚も食い下がる。杉山さんは入って数日でみんなを虜にした。

 魔性というか、親しみやすい子だ。

 私も実は嫌いじゃない。嫌いじゃないからこそ、今の言葉を無視できない。



 飲み会の帰り道。二次会には行かず、私は一人で駅のホームに立っていた。

 黒いコートに高いヒール。これも隙がないのか。

 格好の問題じゃないのか。

 口調なのか。偉そうなのは年齢のせいじゃないの。

 でも、私は小学校の頃から言われてたし。


 誰かに無償に話を聞いてほしい。

 そう思ったとき、都合よく携帯が震えた。

 私が好きだったバイトの先輩だ。今は就職したのでバイト仲間ではないけど、時々連絡はしている。

『時間あったから、連絡してみた』

 まるで、どこからか見ていたかのようなタイミングだ。

 そう、この先輩は私が悲しいときに現れる人だった。だから、好きになったとも言える。

 私は飲み会での会話、小学校の頃の話などを簡単に話した。

 すると、先輩は笑った。

「どうして笑うんですか」

『鬼って、もっと怖い人たくさんいるでしょ。その小学校の頃の男子は女子のあだ名につけるほど、臆病者だったのかな』

「ですよね。バカですよね」

『飯塚さんは真面目だから言わなくていいとこに喧嘩なるようなこと言うでしょ。バイトしてても、レストランチェーンのバイトなんだからお客様なんてマナー悪いやつもいるのに、他のお客様のご迷惑ですから出ていけ、はないよ』

「うう、そんな昔のことを……」

『かっこよかったけどね』

 自然に、そういうことを言うから好きになるんだよな。でも先輩には彼女がいたので私は気持ちを押し殺していた。

 今もそう。

『お客さん、大きな体つきの男性だったのによく華奢な君が出て行ったよ。大きな声で電話して怒鳴り散らしていたよね。みんな怖がっていた。カタギじゃないよね、あんな怒り方。

 でも、あとで君も泣いていたでしょ』

「…………よく、覚えてますね」

 レストランで大声で電話越しに怒鳴っていた客が椅子を蹴って帰ったあと、私はすぐさま店の裏に行ってしゃがみ込んで泣いた。

 先輩が背中を無言でたたいてくれたのだ。

 止まらない震え。

 今でもそれは覚えている。

『鬼でいいじゃん。泣いた赤鬼とか良い話だよ』

「鬼って退治されちゃうし、孤独じゃないですか」

『孤独が嫌なの。だったら青鬼が必要だね。君が怖くないっていう証明するためのさ』

「うちの部署には今んとこ、そこまで体張ってくれる人いないです。私がそういう環境にしたのが悪いのかもしれませんが」

『だったら俺がなろうか』

「何に?」

『青鬼。泣くこともあるんだぞ、スキがあるんだぞ、って』

「どうやってですか」

 すると、軽い口調でテンポよく会話する先輩が急に押し黙った。

 どうしたんだろう、と思ったので「電波遠いですか?」と尋ねる。

 が、すぐさま先輩が息をのんだ。

『今日電話したのは、他でもない。俺、好きだった人に告白しようと思っててさ』

「……え」

 恋の相談で電話してきたの。

 なにそれ聞いてないよ~。そっか、彼女できたら電話しずらくなるし、その前に連絡くれたってわけね。それは律儀だわ。

 ありがとう、その気持ちだけで嬉しい。

「おめでとうござます。いつ告白されるんですか?」

 私は声が震えないように努めて軽く尋ねた。

『ん? 今、しているつもりだけど』

「え?」

『あ、まだ言ってないか。隙あらば付き合いたいです』

「だれと?」

『嘘、まだ言わせるの。君だけど』

「…………」


 ホームに電車が来た。この便だ。乗らなきゃ。電話切らなきゃ。

 私は答えるより先に電話を切った。




 結構、お酒を飲んでいたのか私は帰宅してから家で倒れるようにして眠っていた。

 朝、起きて携帯を見たら先輩からの着信だらけだった。


 『お前は鬼か。あのタイミングで無言で切るのか。朝訪ねます』


 とラインが来ていた。

 ヤバい! と思ったときにはインターフォンが鳴る。

 私はひどい顔をしているのと、着替えたいのと、お風呂入りたいのと優先順位がわからずパニックになる。

 とりあえず玄関を開けるのが優先か。


  そうしたら、なんていうの。

  いや、この顔みたら鬼じゃなくてなまはげとか言いそう。

  先輩は言わないか。でも真剣な話はきっとこの顔を見てできないよ。


  隙だらけの酷い顔をしているもの。


  とりあえず、時間稼ぎに私は携帯に文字を打つ。


 『私もずっと好きでした。今、泣きそうです』


と。




おわり。




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鬼の目にも泪 高瀬涼 @takase

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