浮寝

 雨が降ったと思ったら、屋根に金平糖を食う鬼火が居るのだった。不躾に食うので、ばらばらと瓦に落とすのが雨音に聞こえるらしい。ばらばらとするのが度々に起こって、だんだんその間の間隔が短くなり、雨で言えば土砂降りくらいの頻度になってしまった。これはもっと巨大なデイダラボチか何かが、金平糖を大きな手の平で一掬して、この家の上でわざと落としているようだ。自分は余りにもうるさいのでカーテンを開けて外の様子を見てみた。何処にも金平糖は落ちておらず、代わりに雨つぶが落ちていたようで、だがそれももう止んでしまったように、地面は街灯の光を受けててかっている。あの金平糖を落とすような音もそういえば消えてしまったので、気のせいだったかと思って寝床に入ろうとすると、また金平糖が降り始めた。ぱっと振り返って窓を覗き込むと、やはり大きな背をした巨人が家並みに沿って金平糖をばらばらと振りまいているので、そこらじゅうの家々の屋根や壁に当たっているのだった。巨人が通りの向こう側へ行ってしまうと、やおら窓を開けてみたのだが、道を見下ろすとどうやら巨人のあとをぴったりと羊飼いがつけているらしい。彼がばら撒いた金平糖を、大勢の羊を追い立てて食わせているのだった。羊は落ちた金平糖を舌で掬う時ペロリとするので、唾液が道じゅう満遍なく塗りたくられて雨上がりのように見えるのだった。羊は必死に金平糖をペロリと食べてゆく。それを羊飼いが後ろからどうどうと大声を出したり、羊のお尻をぺちぺち叩くのが非常に趣深く感じたので、玄関に出て見物していると、どうやら隣の爺さんも野次馬になったようで、しきりに目配せして自慢げにこう言う、

 「羊は毛を刈るのもいいが、肉にしてもよい。だがね牛に比べられたら臭いがするっていうから、ああやって金平糖を食べさせるのさ。羊が金平糖を食べると臭みがなくなって、糖分が増えて肉の旨みが増すんだ。私もこの前金平糖育ちの羊の肉を食べたがね、非常な珍味なんだよ。それに金平糖の虹色に染色されているので、そりゃまるで星のかけらのようにきらきらしているのさ。……どうだい、俄然食べたくなってきたろう。こうやってわざわざ街で金平糖を食べさせるのはな、宣伝も兼ねているらしい。気になるのならあの羊飼いについて行ってごらんなさい。そのうち店に着くだろうから」

 私は今日は大した用事もないので羊飼いの後をつけていくことにした。どうやら自分と同じように羊肉に取り憑かれた人達が他にも結構居て、羊飼いの後ろには大勢の客が列を作っていた。自分は列の最後尾に並んだ。

 「これだけ人がいるとなると、本当に羊肉が食べられるかどうか、それが心配だ」

 目の前に居る男がその連れに話しかけているようだ。やけに大きな背中がひくひく動く。

 「しかしこんなに羊はいるぞ。並んでいる人数の数倍はある」

 その連れがそう言った。すると他の見物人がその会話を聞いて話に入ってきた。

 「いや、虹色の羊肉は羊の後ろ足の付け根の一部分でしか採れない。三頭でようやく一食分が作れるくらいと聞いた」

 見物人の間で意見うわさが飛び交い、彼らは心配そうにざわざわと騒ぎ出した。見かねた羊飼いが、羊ではなく人間の方を振り返って言った。

 「安心してください。少なくとも今現在にいらっしゃる皆様には、かならず珍味の羊肉を提供致しますので、ご安心ください。羊肉は七色に光る。焼けば百歳、煮込めば千歳、長く燻せば万万歳の長寿の珍味を、まさかここまで来て食さずに帰るなど素っ頓狂なことはおやめください。ほら、拙の店はあすこです。テーブルには人数分、お皿にナプキン、ナイフとフォークまで用意しています。残るは羊をほふるだけ。さあいらっしゃい」

 羊飼いの行列は町外れの丘まで続いた。あの金平糖を撒いていた巨人はどうしただろうと思って前を覗くと、巨人は赤子の背丈にまでちぢんでしまっていた。最早金平糖を撒くことすら覚束ないアカンボの手をしているので、中々地面に落ちて来ない金平糖に苛立った羊が群がって赤子を組み伏せてしまうような場面もあった。何やら金平糖を撒くたびに彼の背がちぢこまってしまうらしいので、随分かわいそうに思えた。しばらくして店の前まで来たのだが、その時にはあの巨人は羊飼いの手の平に乗るくらい衰弱してちっちゃくなってしまっていた。どうするのだろうと観客はみな心配そうに巨人の最期を看取っていたが、羊飼いは手の平に乗る小さな肉塊を見つめ、少し躊躇した挙句真上に放り投げて口の中へ入れてしまった。羊飼いは「拙の食事は、これだけ。これも皆様全員に珍味を、身を削ってお届けする覚悟であります。ささ、入って席にお着きになってください」と弁明した。皆は随分ひどいことをすると思ったが、羊肉が食べたいので我慢して誰も言わなかった。独りでに開いた洋風の彫り込みがしてある木製の両開きの扉をくぐり席に着くと、すごく腹が減るようになったので、早くこないかとイライラし出した。羊飼いはもう調理を始めた頃だろうか、それともまだ羊をほふっている最中だろうか。すると羊飼いが裏口から赤く汚れたエプロンを付けて登場した。そのまま客が坐っている席を素通りし、厨房に入っていった。ガシャンガシャンと、コンロの上で鍋を持ち上げたりする音がよく聞こえるが、なかなか料理は出てこない。大層に遅いから招待客全員総立って苛立っているようで、早くしないかと小言がぶつぶつ聞こえたが、もしもキッチンに居る羊飼いに聞かれたら羊肉が食えなくなるかもしれないと考えていたので、大声で陳情しようとはその時には誰も思わなかった。しかし、厨房から羊飼いの高い笑い声やいい肉の焼ける匂いがするようになると、客は我慢ならなくなって数人が厨房のドアを開けて入って行った。席に残っていた臆病者はあっけにとられていたが、厨房に入ったやからがなかなか帰ってこないので、段々と匂いにつられて厨房に闖入する者が多くなっていった。相変わらず厨房からは談笑と肉の美味い匂いがする。それは耐えかねた客が厨房のドアを開けるとき一番よく漂ってくる。まだ大人しく誠実に席に坐っている人間は、あまりにも料理が出てくるのが遅いので、もしかして厨房で他の客が既に羊肉を食べ始めているのではないかと疑い始めた。そう思うと坐ってられず厨房に駆け込む客が増えていったので、結局席に残ったのは自分と、自分より少し若い青年だけになった。

 「あの厨房に駆け込んで行った客が羊だという寓話を思い出しました。あの扉はくぐってしまうと、絶対に抜けられないようになっているのでしょう」

 青年が言ったので、自分は恐ろしくなった。家に帰りたくなった。

 「騙されたのなら仕方ありません。ここまで来たら逃げる時に一緒に羊も逃して、少しでもあの羊飼いの鼻をくじいてやりましょう。さあ、表に回ろう。立ち上がって」

 自分は青年と一緒に立ち上がって店を出た。店の出口は鍵が掛かっている気がしたが、そうでもなかったようだ。店の裏側に回り込むと、大きな崖があってそこに洞窟がある。中は真っ暗だが、入り口に格子がしてあるので、あの羊たちの檻に間違いないだろう。錆びた格子は青年の腕力で簡単に外れて、中から途端に羊が溢れ出した。青年がどこからか持ってきた金平糖を盛んに撒いて、羊たちを誘導している。店のある丘を駆けて、街中に滑り込み、狭い横丁まで来たところで、羊たちはお腹いっぱいになってしまったようで、どうやってもそこから動かなくなってしまった。そこらじゅうが羊がペロリとした道なので、地面がてかてかしてぬめりがあって、なにしろ唾液臭い。羊飼いについて行った時には、まるで気づかなかった不快だった。自分が気持ち悪くなって唾を吐くと、羊は金平糖以上に食いつきを示して、糞に集る蝿のように自分の唾を舐めとった。自分はそれを見てもっと気分が悪くなった。羊が自分の周りにたかり出した。唾液をもっと寄越せということだろう。めえと鳴いて口が開くたびにすごい悪臭がする。ねばついた唾液が飛び散る。一緒に来た青年に助けを求めようとしたが、彼は小賢しいことにこの状況を見ていい機会だと思ったのか、とんずらかましていた。自分は悔しくなって地団駄を踏んだ。雨が降ってきた。自分は羊を蹴り飛ばして近くの納屋に逃げ込んだ。ぴったりと締め切った戸を背中で押さえつけながら、こうして外を見ないで雨音だけを聞いていると、矢張り今度も鬼火が金平糖を食い散らかしている音に聞こえる。しかも今の状況では、羊に追われる自分にかりそめの同情をもってしてのようにも聞こえてきたが、それももう遅いだろう。羊は人の唾液の味を知ってしまったので、いくら撒いたってもう地面に落ちた金平糖など見向きもしないのだ。めえという鳴き声が雨音の中に遠のいていくので、彼らは他の町人の唾液にたかりに行ったのだろう。羊は地面に散らばった金平糖を、小石か何かのように気にもとめず踏みつけて粉々にし、自分達の唾液でてかてか光った道を宛てもなく歩き続けるのだった。私は雨が止むまでここで雨宿りすることにしたが、本当に止む気配がない。寝ようとしたが、目がぱっちりと空いてしまって話にならない。扉を開けて出ようとしたが、その度にあの羊の気配がするし通りは羊の唾液で異臭がするのですぐに辞めた。今でも雨がパラパラ降り続いているので、これはやはり鬼火の仕業だと思う。

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