第3話 カップ麺だと思ってお湯を注いだら、ダンジョンだった。3

 時間の感覚も曖昧なままに、静かに歩き続けた。不意に音色を変えた足音が、この先の大きな空間を暗示する。ここに来ての大きな変化。これは恐らく、


『迷宮主の間でしょう。』


討伐型迷宮の主、いかなる相手だろうか。不安と期待に鼓動が加速する。


通路の終わりが見えた。開け放たれた石造の巨大な門。その先は深く、闇がわだかまっている。


闇に一歩、足を踏み入れる。こちらの意思に応えるように、手前の壁から奥の壁へと、幾つもの松明が灯り、部屋を暖色に染めてゆく。部屋の最奥に、迷宮の主人は静かに佇んでいた。


それは筋肉美の怪物だった。


それは強大な角を額に備えていた。


それは雄牛の頭に相違なかった。


それは男の体に違いなかった。


それはクラウチングスタートで構えていた。


それは全裸だった。


それは走り出した。


それはもう、ぶーらぶらだった。


聞いたことがある。いにしえの競技会、選手は皆全裸であったと。


思いがけず込み上げたものに従って、三叉槍を構え、揺れる男性自身を狙い定め、放とうとする。


『いーーーやーーーーー!あんな、あんなの刺したくない!』


一瞬の閃光と共に、三叉槍は先割れスプーンに戻っていた。裏切り者め。


「くっ」


もたもたしている間にも、素敵に揺れるキモいアンチクショウが爽やかなフォームの伸びやかな肢体を伴って、みるみる近づいてくる。


どうする?周囲を確認、判断を急ぐ。


背後には通路。だが逃げ込んだところで、あの足の速さでは直ぐに追いつかれる。ならば!


邪魔なスリッパを脱ぎ捨て、気取られないようにじわじわと、静かに立ち位置を調整する。


勝負は一瞬。


瞬く間の交錯。


視界を埋める筋肉。


左に一歩、踏み出す。


視野が流れる。


右側に、筋肉全裸。


走るため、力強く振るわれる腕。その右小指を捕まえる。その右手首をそっと握る。


動きに逆らわず、後ろへと振りぬかれた腕が止まる瞬間を狙う。


狙う!


跳ね上げる!


可動域を超えた動き。


全裸はバランスを崩す。


前のめりに体が流れる。


勢いのついた重い身体。止まれるわけがない。


向かう先は広間の入り口と通路の境界。巨大な門柱。屹立する直角の岩体。


奴の額の、左の角だけが門に引っかかる。


奴の首に、頭蓋に致命的なねじれが、歪みが、罅が生まれていく。


鈍い、濁った音。


門柱にしな垂れかかるように、全裸。


だが、その瞳にはすでに光はなく、顔はまるで首の座らない赤ん坊のように、やや不自然な方を向いて動かない。左の角の付け根から、目から、鼻から、耳から、口から血が滴る。


何とか勝てた。ほっ、と我知らず胸によどんだ息を吐く。

 一息ついて、我に返る。殺したら食べる。あの日から自分に課した決め事。だが、目の前のコレは余りにも食欲を損なう。首から上は牛。けれど体は全裸の男。しかも均整の取れたアスリート体形。本当に、本当に腹立たしい。


 この大きさでは一度に食べきるなど不可能。であれば、まずは血を抜かないと。後は内臓も外して。脳みそや脊髄等、神経系は腐ると耐えられない臭いになるから、そちらの処理も必要。ああ、ああ、全く、憂鬱だ。


 ロープになるものはないから、柱に逆さにもたれさせるか。柱を股で挟ませて、足首を高い位置で固定。足首を縛る為、上着の袖を使おう。


 ううぅ、生暖かいよぅ。重いよぅ。肌なんか無駄にしっとりしてるし、体臭もキツい。何より股間がくさい。……つらいよぅ、白兎ハクト


 心に零れた弱音、愛しい人の名前。思わずぎゅっと目を閉じる。涙が零れる。過ぎ去った日々が瞼の裏を過ぎる。今では仏頂面ばかりですっかり見ることもなくなった、いつかの幼馴染の優しい微笑みが脳裏に映る。


 心が、かさかさにささくれ立つ。一体、自分は何をしているのだろう。客観的に、端的に、温かい思い出の彼方かなたまで現実逃避したい程度には酷い絵面だった。

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熱湯3分!インスタントダンジョン 獅子童 貞臣(シシドウ テイシン) @shishidou_teishin

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