第8話プロポーズ

列車の扉が閉まりゆっくりと動き出した。

列車が見えなくなるまで手を振って、

静江は左手の指輪をじっと見つめた。


白い封筒を開けてみる。もしかして別れの

手紙か、それとも・・・・。


「静江さん、ほんとにありがとう。今から

渡米の準備と論文の完成とでとても忙しく

なります。65年前の祖母と祖父の不幸な


出会いが今こうして新しい時代を開く運命

的な出会いを生みました。静江さん、私と

一緒にアメリカへ行きませんか?必ず幸せ


にして見せます。開かれた自分に自信を持

って、一度しかない人生です、私と一緒に

駆け抜けてみませんか?6月30日に逢源


双橋で、あなたが来るまで待ち続けていま

す。もし万が一、その気がなければ来ては

いけません。


静江様          王孔明  」


『いつ書いたんだろう?』

ホームのベンチに腰掛けて、静江はまず

そう思った。


指輪は前もって買ってあった。サイズは何とか

分かるだろう。が、封筒は?便箋は?いつ用意

したのだろう?綺麗な日本語で書いてある。


ということは、やはり前もって決意して書いて

おいた手紙だ。静江はそう確信した。と同時に、

嬉し涙が人目もはばからずにどっと噴出した。


「おじいちゃん、ありがとう」


祖父の形見の茶封筒とペンダント、セピア色の

写真が一瞬、写し重なった。


家に帰ってこの手紙を見せるとは母は、左手の

指輪をうらやましそうに見つめてばかりいる。


「ふーん。プロポーズされたの。あのイケメンに。

へえ、やっぱり、うれしいでしょ」


母は笑いながら、ちょっとその指輪に触れて

静江の指からはずした。


「あら、私の小指にしか入らないわ。

すごい人だね、この人。よそに盗られないように、

しっかり自分を磨かなくてはね」


「そうね。で、どう思うこの手紙?」

「そりゃ、もう行くしかないね。

おとうさんもきっととそういうよ」


「おとうさんはね。もともと開かれた人だから」

「私だって開かれた母だよ。アメリカだって

どこだって、さっさと行っちまえ」


「ありがとう、おかあさん」

手紙の文面をじっと見ながら母は、


「まちがいない、この手紙は指輪と一緒に

最初から書いて用意してあったんだよ。

すごい人だよこの人は。ふふふ」


「返事を出した方がいいかしら?」

「馬鹿だねこの子は。何もしちゃいけないよ、突然行

くんだよ。決意を固めてね。彼は今忙しいんだから」


「そうだね。耐えなきゃね」

「成長したね、お前。もう何がおきても大丈夫だね」

「うん、もう大丈夫。お母さんの娘だもん」


母と娘は大声を出して笑った。



6月20日、蒸し暑い雨の日に小包が届いた。孔明から

である。母が大きな包みを抱えてきた。


「彼からの贈り物。多分、服だと思うわ。ドレスのような」

「ドレス?」


開けてみると、それは純白のウェディングドレスと靴だった。

ピンクパールのネックレスとイヤリングも入っている。


「やっぱり」

「どうしよう?」

「とにかく着てみるしかないね」


「手紙とか入ってないみたい」

「入れ忘れたのかもね」

静江がドレスを試着する。


「まあ、ぴったりじゃない。とてもお似合いよ。世界一!」

静江はひらりと一回転した。


「ええっ、当日もう結婚式なの?」

「それはないと思うよ。いくらなんでも」

「ま、何がおきても驚かない」


「そうそう。覚悟が第一」

「それじゃまあ、行ってくるわ」

「おいおい」


母と娘は楽しそうにふざけている。

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