第4話姉妹

「なんで?どうして、いまこれを?

これは私達の母が持っていたもの」


静江はうなずきながら涙も拭かず祖父の手帳

を取り出した。中を開いて美麗さんに手渡す。


「私は日本語分からない。なんと書いてあるんだ?」

静江は顔を横に振る。

「うまく説明できません」


そのとき姉が、お前の息子と叫んだ。

美麗さんも大きくうなづいて、


「明日もう一回ここに来てくれ。私の息子は

日本語を勉強している。上海から今晩帰って

くるから、それまでこの手帳と写真を」


「そのまま受け取っておいてください。

私は明日この時間にここに又来ます」


静江はそう言って染物工場を小走りで出た。

石畳の上であらためてハンカチで顔を拭いた。


「これで良かったのかしら?川に捨て

られないでごめんなさい、おじいちゃん」


空を見上げると薄曇りの中に祖父が笑って

うなずいているような気がした。


静江はゆっくりと歩いて双橋の北詰に来た。夕陽

が雲間に沈んでいく。淡い光の影が水郷全体を

何事もなかったかのようにやさしく包んでいる。


逢源双橋は2つの橋げたが並行してかかっている。

何故そうなったかは分からないが、静江はその

中央でずっと沈む夕陽を眺め続けていた。


翌日は午前中にかなり広大な西景区を見て、夕方

染物工場へと向かった。奥の庭に着くと王姉妹が


喜んで迎えてくれた。二人とも涙して両手で

静江の手を握り締めてくる。


昨日の手帳の内容が分かったんだ。そう思って

こちらももらい泣きしながらふと気がつくと、


奥の部屋の入り口に、背の高いハンサムな青年が

立ってじっとやさしくこちらを見つめている。


視線が合って軽く会釈をすると、姉妹は始めて

気が付いて美麗さんが私の息子だと紹介した。


「はじめまして王孔明です。おばあさんの形見を

届けていただいて本当にありがとうございました」


流暢な日本語だ。静江は軽い食事をご馳走になった。

孔明は今29歳、来年大学院を卒業して米国のIT企業


に就職が決まっているとのことだ。静江は雲南省の旅

の話しをした。日暮れ前に、


「旅館まで送らせてください」

孔明は静江にそう言って母の了解を得ると姉妹は

笑顔で送り出してくれた。


二人は狭い石畳を並んで歩いた。

「静江さん、本当にありがとう」

「いえいえ、手紙の内容分かりました?」


「ええ、カタカナは難しいですが、もう10年学んで

ますから。母には少し脚色して伝えました。あの戦争

の時、死にかけていた祖母から、この娘にこれを届け


てくださいと頼まれて静江さんのおじいさんに手渡さ

れたと。実際祖母は重い結核で死にかけていました」


「ということは」

「祖母を刺し殺したとはとても言えませんでした」

「そうですか・・・そうですよね」


「考えてみれば、孫二人がこうしてこの石畳を

歩いているというのも不思議ですね」


二人はゆっくりと双橋の方角へ向かっていた。背が

高く優しい顔立ちの孔明は落着いた声で語り続ける。


「静江さんのおじいさんと私の祖母との出会いは、

ほんとに最悪の出会いでした」

静江は黙ってうなづく。


「しかし悪いのはあの時代。戦争というものが我々

人民と日本人民、共に被害者にしたのです。悪い


のは時の指導者とその思想であって、人民同士は

全く悪くありません」


静江は、私にはとてもそう割り切れないわ、

と思いつつも黙ってうなづいていた。

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