第3話景区
川べりの北側は明清時代の民家が石畳の両側に密集
して連なっている。南側は公園、船泊まり、みやげ
物店などが並んでいて西の端に大きな寺院がある。
影絵館や古い舞台が現存していて誰かが民謡を歌っ
ていた。石畳を歩く。道幅は4m程で狭い。木造の
明清時代の民家はかなり大きな造りで天井も高く、
その歴史の重みに圧倒される。数軒おきに店舗があって
酒蔵、染物屋、漢方薬店などが昔のままのたたずまい。
さらに作家茅矛故居や古銭ばかりの銭布館、木彫館。
皇族の屋根付き寝床を陳列した百床館などがあって
なかなか見ごたえがある。路地を曲がればすぐ川に
出たり、反対側は裏通りに出たりするが、もうそこは
普通に庶民が生活をしている。
中国人のツアーの団体が来たのでその後ろを付いて歩
いた。屋根付きの逢源双橋は、間違いなくその由来が
あるはずなのだが、ガイドの説明は別に何もなかった。
それよりもここからの景観は、これぞ水郷、あまりの
美しさに思わずハット息を呑んだ。太古の昔からの
川辺の眺め、特に夕陽の時はもっと素晴らしい筈だ。
にもかかわらず静江の心は晴れない。65年前に
タイムスリップしてこの風景がそのまま殺戮の場
となったのかと思うと心が痛む。
駆け抜ける日本兵。中国民兵との攻防戦。中国兵は民間
人に紛れ込んでどれが兵隊やら分からない。気を許した
らすぐさま民家から銃撃、手投げ弾が飛んでくる。
祖父は発狂しそうな戦場の中で、ほんの一瞬、ここから
の景観にハット息を呑み感動したのではなかろうか。
『祖父はここで沈む夕陽を見たんだ』
静江にはそうとしか思えなかった。
命乞いもしないで祖父に刺し殺された母。
娘の写真を手渡す。最後の思いを込めた瞳。
拒否できない一念を受け取ってしまった祖父。
祖父はその思いを一生握り締めて死を迎えた。
免罪符。今ここに全てを水に流すことが
できるのだろうか?
静江は人の多さにペンダントを双橋川に捨
てるのをやめて引き返した。足は自然と
染物作業場へ向かっていた。
かめに入った大きな酒蔵の隣に染物工場が
あって手作業で反物ごと染め上げ天空に
何枚も日干ししている。
さっきは団体と一緒だったが今一人ゆっくりと
染め工場をながめ歩いた。一部屋ごとに染めの
手順が展示してある。
一番奥に庭があって、さらにその奥には人が住
んでいる。いい匂いがする夕食の支度だろうか。
軒下でおばあさんが編み物をしている。そっと
近づいてロケットの写真を見せた。
おばあさんは微笑んで、
「可愛いね、娘さんかい?」
と言った。静江は遊覧券の裏に大きく、
『王美麗』
と書いた。おばあさんは笑みながら文字を見つめ、
そのままうなづいて奥の部屋を指差した。
『まさか?』
ゆっくりと静江は奥の部屋に入った。台所で中年
のおばさんが炊事をしている。静江に気付いて、
「なに?ちょっとまってね」
とおばさんは言って、手を拭きながらこちらに出
てくる。間違いない王美麗さんだ。
静江の眼からどっと涙があふれてきた。声にならない。
「どうしたの娘さん?日本人?」
うなづきながら静江はロケットを手渡した。
美麗さんはじっと中の写真を見る。顔を近づけて
じっと見つめる。静江は遊覧券の裏に書いた
王美麗の字を指で示した。
今度は美麗さんの瞳が潤んできた。外に出て、
姉さん来てと叫んで二人で写真をのぞき込んだ。
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