第24話「舞台は絶島、最後の地」

 【ブライダリア】に海はない。

 それは単に、ゲームデザイン的な『想定された接続ユーザー数に対応出来るクエスト用地を確保するため』という理由だと今まで言われてきた。無論、公式の運営チームからのアナウンスではなく、プレイヤーたちの憶測おくそくである。

 しかし、世界をあみの目の様に走り、交通と流通を担う無数の河川かせんつどそそぐ場所がある。それがブライダリアの真ん中に、青くんだ水面をたたえる巨大なみずうみ――【ラルスニーム湖】だった。


 モンスターと戦いクエストをこなすでもなく、ただひたすら【ブライダリア】を旅行するだけの生活へ分岐ぶんきしたプレイヤー達の作った地図では、この内海うちうみにも等しい湖こそがブライダリアのヘソだった。

 つまり、その真ん中に浮かぶ【絶島ぜっとうコーラルナリア】とは、正しく世界の中心。


「サユキ殿、初めて解放されたダンジョンだが……恒例の魔砲まほう設置はよいのか?」


 多くの冒険者ぼうけんしゃ達に混じって、肩で風切かぜきり歩くアルが振り向いた。ヒメと並んで緋瑪も、その視線を追って首を巡らせる。


「何? 【エンシェントハング】を倒したら、ドカーン! って飛んで帰ろうって訳? 今日は純粋に長期戦対応のアイテム構成だから、そんなの持ち込む余裕なんてゼンッゼン! なかったわよっ」


 ひたいの汗をぬぐいながら、ヘッドドレスをなおしてサユキが言葉を返してくる。

 最終決戦の地、絶島コーラルナリアで緋瑪達冒険者を待ち受けていたのは、けわしい登山道とざんどうだった。まさしく絶島の名に恥じぬ、人をこば生命せいめいえた島。その赤錆あかさびた道を緋瑪達は黙々もくもくのぼる。ゲームの数値的な体力が減ることはないが、確かな疲労感を緋瑪も感じていた。

 そんな殺風景な中でも、ヒメがいつもの調子でサユキに笑いかける。


「サユキさん、せめてもう少し歩きやすそうなくつを履けばいいのに。それ、そんなに強い防具なんですか?」

趣味しゅみよ、趣味っ! あーもう、集中と精神のパラパラメーターが下がるー! 魔法使えなきゃ賢者セージなんて上級職じょうきゅうしょくぶっても、私ってばただの人以下よね」


 どうやらサユキは、体力面ではそこまで高レベルなキャラクターではないらしい。頭脳労働に特化した賢者という上級職の、それは宿命みたいなものだとエンデウィルが推しててくれた。彼女の気遣いに緋瑪も、気付けば自然と言葉を返す。


「マスターは平気ですか? もう半分は登ったと思いますけど」

「うん、大丈夫。つえが……エンデウィルがいるから結構、楽」


 ぶーぶーと文句をたれながらも、サユキは緋瑪とヒメに追い付き、その間を抜けて追い越していった。その足を包むのはやはり、白いレースの踊る漆黒のパンプス。緋瑪はヒメと微苦笑びくしょうを交わして後に続いた。


「何か思い出しちゃうわ、私ね……すっごい昔だけど、とんでもない人達と【プレイシェアリング】したことあるのよね。セキトくんには話したっけかな?」

「え、えと、どんなお話でしょう」

「ああ、あの話かな。まあ、ホントに色々な世界があるよね、【ブライダリア】ってさ」


 先頭を歩くアルが振り返り手を伸べる。その手をとってサユキはスカートをつまむと、大きな岩と岩の間を飛び跳ねた。その間も彼女は、気をまぎらわせるように喋り続ける。


「まだ私がセキトくんと同じ魔術士マジシャンだった頃ね、結構大勢のプレイヤーが共存する【ブライダリア】に分岐したんだけど……そこの世界ね、なんとの【ブライダリア】だったのよねん」


 サユキの言葉にエンデウィルが声を弾ませた。


「あ、私その世界知ってます! 剣とか弓だけで戦うんですよね……ふふ、それもまた創造主がこの世界にたくした可能性です。ただ、リアリティ追求も度が過ぎて、運営チームから警告けいこくされましたけどね」

「そそ、全モンスターの被ダメージ時のエフェクト設定を、よりリアルにって……一応全年齢対象のゲームなんだから、血がドバドバ出るのはマズイでしょって話になったのよねん」


 エンデウィルとサユキの話では、紆余曲折を経て尚、魔法の存在しない【ブライダリア】は今も大盛況だいせいきょうらしい。


「まーでも、魔術士が入ったらやることないでしょ? だから生活スキル上げつつね、軍師ぐんしだか参謀さんぼうだか司令塔しれいとうだか知らないけど、そんな感じで筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる男達を叱咤激励しったげきれいして回る毎日だったわん」

「軍師……素敵、です。でも、あ、あの……ど、どうしてサユキさん、そんな世界の人と……【プレイシェアリング】したんですか?」


 緋瑪が素朴な疑問を投げかければ、サユキが足を止めた。忽ちその華奢きゃしゃ痩身そうしんに緋瑪は並ぶ。


「んー、まあ、その……ちょーっちイイ男だったのよね、彼。あとまぁ、それなりに楽しかったし」

「は、はぁ……確かに、少し、楽しそう」


 まるで三国志さんごくしの物語に出てくる英雄のようだと、緋瑪は一人笑った。そして改めて、閉じ行く世界の無限にも等しい広がりを感じる。


「今日はでも、そんな連中とも再会するかもね……イベントクエストは言ってみれば、あらゆる分岐した【ブライダリア】が統合されて一つの目的を共有する、特別なクエストですもの」


 そう言ってサユキは、少し憂鬱ゆううつそうな表情を見せた。


「会いたくないんですか?」

「んー、まあセキトくんももう少し大きくなればわかるかな? 昔の男に会うってヤなものよね……しかもイベントクエストだから、参加しちゃうと終了まで分岐できないし」

「うむっ! だが誰もが望んで【ロード・ブライダリア】の元へ集うだろう……逃げる者などもはや、いるはずもなし! そう、恐らく奴も来る……クッ、右手の古傷ふるきずうずく」


 いつもの調子で声をかげらせて、遠くへと視線を放ってアルが右手を押さえる。そのキャラ作りももう御馴染みのもので、緋瑪はアルの『右手の古傷』とか『怨敵』とかが少し気になりだしていたりもするのだが。人の事が気になる自分に少し驚く一方で、ヒメやサユキからは、余り突っ込まぬよう言われていたりもした。


「わあ……随分、上まで来た。これが【ブライダリア】なんだ。……綺麗きれい

「どうですか、マスター。ログイン時に落ちながら見るのとはまた、違った景色でしょう」


 腕組み遠くを見詰めるアルのかたわらで、緋瑪もふと足を止める。ながめる景色は正に絶景ぜっけい、広がる【ブライダリア】の大地は、最後の一日を静かにたたえて広がっていた。空気はどこまでも澄んで瑞々みじみずしく、はるか遠くを覆う霧のヴェールまで、さえぎる物はなにもない。

 こうして自分達が【エンシェントハング】を目指す今も、静かに最後の瞬間を待つプレイヤー達の息遣いきづかいが、いとなみが、点在する街や村に感じられた。

 同時に、目には見えぬ分岐した無数の【ブライダリア】にも、それは確かに存在する。


「待っていたよ、諸君」


 不意におだやかな、しかし威厳いげんに満ちた良く通る声が緋瑪の背中を叩いた。

 正午へ向けて黄道こうどうを駆け上がる小さな太陽……その光に照らされた黄金の剣士、【ロード・ブライダリア】がゆっくりと山道を降りてきた。多くの冒険者達が敬意けいいを払って道をゆずる中、堂々と緋瑪の前へと歩む。


「あっ、あの……昨日はありがとう、ございました。今日も、そのっ、エンデウィルのこと、宜しく、おねがいしま……します」

「……さあ、来たまえ」


 周囲からざわめきが起こった。

 当然だ、GMゲームマスターである【ロード・ブライダリア】が自らが、一介のプレイヤー達を出迎えたのだから。山頂にいたるまでの道程、緋瑪は好奇こうき羨望せんぼうがないまぜになった視線にさらされることになった。ヒメやサユキなどは堂々としたもので、アルに至っては既に【ロード・ブライダリア】につかえる騎士のよう。

 こうして緋瑪達は、遂に最終決戦の桧舞台ひのきぶたいへとおどた。自信なさげにおずおずと、しかし退かぬ決意だけは確かに。

 視界が開け、緋瑪はブライダリアの中心にして頂点へと立った。

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