2029/07/14(土) - データを上書きしますか? -

第17話「最後の試練の、その前に」

 見上げる異界の太陽は、はるか天高くどこまでも遠い。魔砲まほうの着地用に備えられたトランポリンから降りながら、緋瑪ヒメはその弱々しい日差しを左手で遮った。ブライダリアで迎える初めての朝は、同じ七月でも驚く程にすずしい。


 ――と、こみあげる欠伸あくびを緋瑪は噛み殺す。


 仮想現実バーチャルリアリティである【石花幻想譚せっかげんそうたん】の世界で、緋瑪は現実の睡眠不足を引きずっていた。それというのも、昨夜は夜遅くまで仲間達とアチコチを駆け巡っていたから。お陰で緋瑪のキャラクターであるセキトは、急激にレベルの高いキャラへと成長していた。緋瑪自身もゲーム自体に慣れ、必要な知識や技術も徐々に習得しつつある。……少々かたよってはいるが。

 そして今、総仕上げとばかりに仲間の先輩プレイヤー達は緋瑪を誘った。【ブライダリア】でも難易度の高いAランクのクエストへ。更なる成長と、リスクに見合う報酬を求めて。


「え、じゃあサユキさんはあの後もずっと?」

「そうよん? みんなが落ちた、ログアウトした後も、ひとさびしく野良のらで色んなパーティをとっかえひっかえ……気が付いたら朝になってた、みたいな?」


 両手を腰に当てて胸を張るサユキは、朝からテンションが高かった。どうやら徹夜てつやで遊んでいたらしく、その隣ではヒメが眠そうな目をこすりながらあきれている。

 少し話の流れが掴めず、緋瑪は首を傾げた。


「野良、で? と、いうのは」

「マスター、野良というのはですね」


 エンデウィルだけがいつもの調子で、誰へともなくつぶやいた緋瑪へと応えてくれる。


「野良ぬこ……じゃない、野良猫でよくあるじゃないですか。ふらふらとアチコチの家に出入りして、あっちでえさを貰って、こっちで餌を貰って。そんな感じでアチコチのパーティにお邪魔するプレイスタイルを野良って言うんです。一期一会いちごいちえを繰り返す感じですね」


 猫、という単語のイメージを、思わず緋瑪はサユキに重ねて見やる。なるほど、サユキの自由気ままで溌溂はつらつとした、バイタリティにあふれる気風……少し野良猫っぽい。などと考えていると、サユキは緋瑪の視線に気付いたかのように振り向いた。

 同時に、ヒュルル――と、気の抜けた音が緋瑪の鼓膜を震わせる。

 最後のメンバーを迎えて、サユキとヒメが笑顔で振り返った。


「おっ、聖騎士パラディン様の到着ってね。お疲れちゃん、アル。今日もよろしくねぇん」

「今、メールを出そうと思ってたとこだよ。ごめんね、朝早くから」


 緋瑪の背後で、ボヨヨンとトランポリンが蒼雷の騎士ブリッツェン・リッターを飲み込んだ。

 仲間の合流にサユキが元気よく挨拶をほうり、赤い鳥を空へ放ってヒメも続く。振り向く緋瑪は、目の前で何度もはずむアルを見た。彼は力なく何度か宙に舞った後、そのまま静かに身を横たえる。


「っと、また寝落ねおちか。ちょーっちゴメンね、セキトくん」


 ――寝落ち。

 現実世界のアルが、【ブライダリア】に意識を投じたまま居眠いねむりしているのだ。

 サユキが颯爽さっそうと、フリルのスカートを揺らしてアルの枕元に立つ。彼女はそのまま身を屈めて、アルのほおつねったり引っ張ったりし始めた。【ブライダリア】では痛覚への刺激は再現されないので、そのアクションは無駄だが。


「無理もないよ、僕だって眠いもの。セキトさんは大丈夫?」

「え、あ、んと……少し、眠い」


 隣にすらりと細身の身体を並べて、ヒメは大きな欠伸を一つ。長く腰まで伸びる三つ編みの赤毛が揺れて、たちまち緋瑪にも睡魔すいまの誘惑が伝染する。再度欠伸を噛み殺せば、緋瑪の目尻に光の玉が浮かんだ。


「っと、ここじゃ踏んでも蹴っても起きないんだったわ。じゃあ、いつもヒメにやる……」

「どうやってアルをこちょがすんですか、サユキさん。こんなにガッチリ着込んでるのに」

「……そんなこと、されてるんだ」


 想像してみて思わず、緋瑪は絶句する。

 自分がヒメなら、即座にハラスメントコールを実行するだろう。

 相手がサユキでも。

 アルの全身をくまなく覆うのは、磨き上げられた鋼鉄の鎧。御丁寧ごていねいに関節部分は、鋼糸こうしを編み込んだ繊維せんいが完全に装着者を守っている。


「サユキさん、私に任せて下さい。マスター、私をアルさんの元へ」


 エンデウィルに言われるままに、緋瑪は右手の長杖ロッドをかざす。その先で光る天使の彫像から、静かに、しかしおごそかで気品に満ちた声を飾ってエンデウィルが語りかけた。


「お目覚め下さい、蒼雷の騎士殿――ファーレンシュタットきょう

「ん……むう、右手が……右手の傷が、うずく……」


 反応があった。

 苦悶くもんの表情で寝返りを打つアルに、苦笑くしょうこぼすサユキとヒメ。

 エンデウィルは脈アリとみて、さらに言葉を続ける。


「今こそ卿の力を私達は必要としています。さあ、お目覚め下さい。今が、その時」

「ぬぅ、はっ! ふう、夢であったか……まだ我輩わがはいさいなむ……むべきは我が怨敵おんてきか」

「うなされておりましたが、ファーレンシュタット卿。いかなる悪夢でありましょうや?」

「遠い過去の――我が家名が汚された日の夢を……クッ、まだ古傷が」


 パチリとあおい瞳をアルが開いた。彼は右手を押さえながら、陰鬱いんうつな表情に顔を歪めつつ起き上がる。その後も一人と一本の小芝居こしばいは続き、キリのいい所でサユキがパンパンと手を叩いた。


「――その時、奴の剣が我輩の右手を。我輩は……守れなかった。大事な……」

「ハイハイ、今日はその辺で一つ。次回に続く、ってことで。アル、生活スキルとって執筆しっぴつしたら? 文豪騎士とかって格好いいんじゃなくて?」

「ふむ、それもまたよし! ペンは剣より強し、と言うからな。この戦いに……【エンシェントハング】との戦いにケリがついたら、故郷で――あの街で筆を取るのも悪くない」


 魔法や剣技に代表される戦闘スキルは、その職業によって予め取得できるものが決められている。しかし、直接戦闘に関係のない生活系のスキルは、職業を問わずなんでも取得できる。サユキが巻物スクロールをしたためるように、アルが己の英雄譚えいゆうたんつづってもよいのだ。

 もっとも、それがこのブライダリアで所持金の増加に貢献するかは、はなはだ疑問だが。


「じゃ、そろったところで行こうか。今日はちょっと、気合入れていかないとね」

「まーね、久々にAランクのクエストだし。ボスまでやれば、かなり稼げるわよぉ」


 ヒメとサユキの言葉に、エンデウィルが歓声を張り上げる。


みなぎってキター! 行きましょう、マスター!」

「では、いざかん! 絶界に眠りしいにしえの地へっ!」


 薄荷はっかを溶かし込んだような、さわやかな朝の空気が冒険者達の気勢きせいを吸い込んだ。

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