第16話「二人の時間、行き交う想い」

 燃える夕焼けの、最後の残滓ざんしが長い人の影を無数に刻む。

 【王都テルアコン】の夏はすずしい。

 中央広場には普段の活気が戻っていた。むしろ普段以上に大盛況だいせいきょうで、露店ろてん軒先のきさきに立つ緋瑪は、逆光に揺れる人の群に振り返って圧倒された。

 誰もが皆、条件に合う仲間を求めて口々に難しい略語りゃくごをまくし立てている。いつにも増してパーティ募集の声は熱を帯び、数字が飛び交う中で口論は絶えない。はやる気持ちにあせりをにじませ、冒険者達は際限なく戦いの高みへと駆り立てられていた。


「まいどあり! ベコまん二つで、200フェルになりやす!」


 湯気を立てるアツアツの王都名物が差し出される。ベコまんの代金を払うべく、緋瑪はエンデウィルからフェル硬貨を引き出そうとした。

 しかしそれより早く、細い手が伸びて支払いを済ませる。


「セキトさん、良く使うアイテムで小さいものや小銭は、身につけて携帯すると便利ですよ」


 そう言って腰のポーチをポンと叩くと、ヒメは微笑ほほえ露店商ろてんしょうからベコまんを二つ受け取った。優しげな笑みも今日はどこか弱々しく、学校での出来事を緋瑪は思い出してしまう。


「はいこれ。サービス終了までに一度は食べておかないとね」

「……あっ、ありがと。ヒメ」


 差し出されるベコまんを受け取る緋瑪は、なんとかお礼の言葉をしぼした。ヒメは「どういたしまして」と笑って、中央広場の混雑を避けるようにすみへと歩き出す。その後を緋瑪は、付かず離れず追った。


「ほら、あそこがサユキさんのいつもの指定席。あの場所でああして、巻物スクロールを売ってるんだ」


 露店が並ぶ一角で、冒険者達が固まっている場所をヒメは指差した。先程一旦別れたサユキは、どうやら大忙しの大繁盛だいはんじょうのようだ。

 緋瑪は遠巻きに見ながら、熱気と迫力に圧倒された。

 巻物を書きつつ押し寄せる客をさばきながら、視線に気付いてサユキが微笑む。手を振り返して、緋瑪とヒメは再び歩いた。


「どこか空いてる場所は……まあ、夕方が一番混雑するからね、中央広場は」

「マスター、あそこ! あそこ、空いてますよ」

「う、うん……行こ、ヒメ」


 随分と久しぶりに、二人で歩くような気がする。まだ【ブライダリア】に来て、四日目なのに。周囲の喧騒と雑踏が、緋瑪の耳から少しだけ遠ざかった。

 広場の外縁がいえんかたどる、石を積み上げたへいにヒョイとヒメは腰掛けた。しなやかな脚を組んで、ベコまんへと息を吹きかける。緋瑪はどこかかげりのあるヒメの横顔を見上げた。

 急かすエンデウィルを制するように強く握ると、緋瑪も塀に背を預けて寄りかかる。


「セキトさんも、熱いうちにどうぞ」

「そうですよ、マスター! ベコまんはリアルでもグッズ販売されてる人気商品です」

「い、いただき、ます」


 緋瑪はうつむきながらベコまんを二つに割り、その片方を頬張った。はふはふと口に広がる熱気を逃がしながら、仮想現実バーチャルリアリティとは思えぬ旨味うまみの凝縮された肉汁を味わう。


「あっ! おいしい、です」

「王都名物だからね。生産系スキルには料理もあるし、セキトさんもメインの魔術士マジシャン一段落ひとだんらくしたら……って、時間ないか。もう明後日あさってだもんね。まあでも、戦闘以外も面白いよ」

「そうなんだ。料理、現実なら……得意なんだけどな」

「【ブライダリア】じゃ食べても食べても満腹にはならないけどね。セキトさんは料理得意なんだ……じゃあきっと、【ブライダリア】を食べ歩きするだけでも面白いかも」


 ブライダリアでは空腹は満たされない。それは、現実世界の肉体が抱えるかせだから。同時に、現実世界へと全てのプレイヤーを繋ぎ留める命綱いのちづなでもある。それを失えば、人は二度と理想的な仮想現実から戻れなくなるだろう。

 しかし、満腹にならないということは利点もある……フェルの硬貨と紙幣しへいが許す限り、好きな物を好きなだけ飲み食いできるから。【ブライダリア】では美食のみをひたすら追求し……本筋であるはずの冒険そっちのけで、道楽どうらくな世界へ分岐ぶんきする者も後を絶たないらしい。


「僕はでも、前のキャラもこのヒメも、ずっと戦闘スキルばっかりだったから……料理は昔、イベントクエストで一度やらされて酷い目に――セキトさん? なんだか元気ありませんね。なにかありましたか?」


 何かあったのは、主に緋瑪ではなくヒメの方――峰人の方だったのに。


「なにかわからないことができたとか。自慢じゃないですけど、【石花幻想譚】のことならなんでも僕に聞いてくださいよ。僕より詳しいのって、多分サユキさん位ですから」


 わからないのはゲームのことではなく、現実のこと。

 空元気からげんきにも似たヒメの饒舌じょうぜつな声が辛くて、緋瑪は遮るように独白を口にした。


「わたしは、あの、今日はちょっと。学校で、失敗して。失敗というか、それ以前に」


 ――


「あれ、なに言ってるんだろ。ホントは、わたしじゃなくて、ホントに辛いのは」


 ベコまんを口に運びながら、緋瑪は味わい飲みこむたびに言葉をこぼした。それをヒメは手の内の熱さも忘れて、塀の上で黙って聞いている。

 最後のひとかけらを口に放りこんで、緋瑪はこみ上げる悔しさに目をうるませた。叩かれても痛みはなく、斬られても血の出ない仮想現実の中でも……心の痛みに涙はあふれる。

 現実ではやはり、緋瑪は他者とうまく話せない。

 思ったことも言えず、思うように行動できない……弱い女の子なのだ。

 だが、ヒメは黙って緋瑪の言葉を聞き、頷いてくれる。


「そっか……僕も今日はちょっとね。お互いリアルで色々あったんだ、今日は」


 ヒメは大きく口を開けて、ベコまんにかじりついた。緋瑪ならそんな、行儀ぎょうぎの悪い食べ方は絶対にしない。そのまま勢い良くぱくつけば、あっという間にベコまんはヒメの胃袋に収まった。データ的には、HPヒットポイントの全快という形で処理が走る。


「そんな時はこうして自棄食やけぐいしたり、モンスターに当り散らしたり。昔は、まぁ人に手当たり次第……なんて時期もあったかな」


 じっとヒメを見詰める緋瑪に、手元のエンデウィルが「ヒメというキャラクターがPKプレイヤーキラーになったログはありませんよ」とささやく。


「でも今日は……今までで一番、こたえたなぁ」

「う、うん。酷いよ、あんな……あ、えっと、いや」


 不思議そうな顔で見下ろすヒメから、あわてて緋瑪は視線をらした。セキトがヒメの抱える悩みを知っているはずがない。知っているとさとられる訳にはいかない。

 同時に緋瑪は、今すぐ己の素性を明かしたい衝動にも駆られていた。【ブライダリア】でなら……ゲームでなら現実よりも、ずっと上手く――

 望む方向へと揺らぐ気持ちを、緋瑪は必死で心の奥底へと沈めた。


「まあでも、ひどくないよ。あの人は悪くない、不甲斐ふがいない僕がね。僕が悪いんだ」


 さびしく笑って、塀からヒメは飛び降りた。

 信じられない言葉に耳を疑う緋瑪は、さらに驚きの一言に鼓膜こまくを揺さ振られる。


「あんな情けない僕を見れば、誰だって愛想あいそも尽かしたくなるよね。僕はその、嫌われちゃったみたいなんだ。その、あの人に……もう一人のヒメに」


 ――違うっ!

 しかし、叫びは緋瑪の脳裏に反響するだけ。


「前にもちょっと言ったよね。もう一人のヒメは、僕のあこがれの人なんだ。けど、僕はいつも見てるだけで、現実じゃ全然近付けない。ゲームに姿を借りて、現実のあの人みたいに優しい親切を気取ってみても……結局、上辺うわべ真似まねてるだけみたいだし」


 優しさという言葉が、緋瑪の心に突き立ち食いこんだ。

 ヒメが、峰人ミネトが現実で気にしていたのは緋瑪だけだった。峰人にとってなによりも心身に堪えたのは、いじめっ子に【エルフターミナル】の中身をぶちまけられたことなどではなく……教室を飛び出ていった緋瑪の背中だった。


「あ、これはサユキさんやアルには内緒だよ。特にサユキさんには……あの人、悪い人じゃないんだけど好きだからさ、こゆ話」


 この話は終わりだとばかりに、ヒメはいつもの笑みを取り戻した。

 ここが勝負だと念じるエンデウィルの想いが伝わり、緋瑪はつたない言葉を必死であつめる。


「あっ、あの、ええと……その、嫌われた、ってわからないじゃないですか」


 実際、緋瑪ももわからない。

 が、嫌っていないのだけは確か。むしろ――


「ん、でも今日のはね。無様ぶざまだったよ、僕は」

「そんなことないっ! と、思い、ます。わらないけど、見てないから。でもっ」


 もどかしげに緋瑪は、気付けばヒメにっていた。この世界では小さな自分の身体で、精一杯せいいっぱい背伸びしてヒメへと迫る。文字通り、自分に言い聞かせるように。


「そうやって自分だけで『こうだ』『こうなんだ』と決めて自己完結してると……その、あんまし、良くないって……エンデウィルも言ってたし。それに……」


 緋瑪が思うように、セキトの唇は正直な想いを言葉にしてくれた。


「それにっ、その人! そんな、ヒメさんが思うような、優しい人じゃ、ない……と思う」


 一瞬、きょとんと不意を突かれた表情でヒメが沈黙した。

 次いで、声を上げて笑い出す。

 天をあおいで、額に片手を当ててヒメは心の底から笑った。


「ふふ、ありがとうセキトさん。いや、セキトさんがあんまり一生懸命いっしょうけんめいなぐさめてくれるから、なんかおかしくて。うん、まああきらめたりはしないよ。まだ、なに何もしてないしね。でもね……あの人は優しい人だよ」


 そんなことはないと胸中に叫ぶ緋瑪の前で、ヒメは語りだした。


「クラスのみんながいやがる生き物係も、率先して自分から引き受けてるし」


 緋瑪が生き物係なのは、途中参加の転校生なのもあった。

 そして、春に学年が上がった時、自分から引き受ける意思を不器用に表明したのだ。この手の話し合いでは、無難ぶなん不人気ふにんきなところに自分から収まり、誰からも何も言われないようにするのが緋瑪の処世術しょせいじゅつだから。


「毎日ね、クラスの花に水をやってる。毎日、欠かさず」


 生き物係とは名ばかりで、緋瑪の学級には鉢植はちうえが数個あるだけ。物言わぬ花はしかし、緋瑪は好きだった。真面目まじめに日に当て水をやれば、律儀に花を咲かせてくれるから。


「何より僕を助けてくれた。それも二度も……優しい人なんだ、多分きっと。恐らく絶対」

「そっ、そんなのわからないじゃないですか。あっ、曖昧あいまいです!」

「うん、不確ふたしかなんだ。だからハッキリさせたかったのかもしれない。やっぱり優しいんだな、って感じるために近付きたくて……それをゲームの中で自分にじゃなくて、現実であの人に確認したくて。僕はこのゲームを終えたら、そうしようと思ってたんだ」


 もうヒメは、気落ちしてはいなかった。その真紅しんくひとみに力が宿る。


「いや、そうするよ。……これもセキトさんのおかげかな」


 つぼみがほころぶような笑顔をヒメは見せた。それは緋瑪が、絶対に誰にも見せない表情だったが……今、そのまぶしい笑みを向けたい相手がいるような気もしていた。


「さて、っと。そうと決まればくさってもいられないな」


 パン! とヒメは気合を入れるようにほおを軽く叩く。


御姫様おひめさまの前にはラスボス……これはゲームもリアルも定番だしね。どっちも、倒す」


 不意に、黙りこくっていたエンデウィルが明るくしゃべす。


「そのお言葉、待ってました! お二人とも、集中力も精神力も平均以上で安定っ! 各種固定パラメーターへの補正値も悪くありません。いざっ、レベル上げの旅へっ!」


 二人のことを黙って見守っていたエンデウィルが、調子のいい声を上げる。緋瑪が呆れたように溜息を吐けば、隣でヒメも朗らかに笑った。


「ま、リアルに踏み出すケジメの意味もあるんだ。僕の中でこの戦いは。だから……」

「そうっ! 友よ、今がその時っ! 話はだいたい聞かせてもらった!」


 突如とつじょ響く大声は、すでにもう御馴染おなじみ。緋瑪とヒメが振り返る、その視線の先に声のぬしが現れた。塀の外側からよじ登ってきた騎士が、ガシャリと腕組み立ち尽くす。


「友よ、残りわずかなながの流れの、その行き着く果てに見出したのだな? 戦う意味をっ!」

「えっ、や、やだなアル……いつから聞いてたの!? まっ、待ってよもう、サユキさんには内緒だよ? あの人、こういう話がすっごい好きなんだから……僕また、いじり倒されちゃうよ」


 アルはしかし、あわてふためくヒメにも聞く耳持たず「とうっ」と短く叫んで塀から飛び降りる。マントをなびかせ両手を広げると、ヒメと緋瑪の肩を抱いて空に遠い視線を放った。


「安心せよ、友よ……騎士の名誉にちかって、あの夕日に誓って今の話は胸に秘めよう」

「は、はあ……あの、ヒメ……アルさんは」

「セキトさん、アルってこーゆー奴なんです。いつもの事ですから」


 やがてアルは二人に、微妙にさわやかで絶妙に暑苦しい笑みをこぼした。そのままハッハッハ、と笑いながら広場の人混みに消えてゆく。恐らくサユキを連れてくるであろうことは、容易よういに想像できた。


「じゃあ、今日もいつもの四人で行ってみようか。僕も頑張らないと」

「それはマスターも同じですっ! ね、マスター?」


 エンデウィルの言葉に頷き、緋瑪は決意も新たに小柄なセキトを突き動かす。既にもう、ヒメと連れ立って冒険庁へと歩む身体には、ハッキリとした想いがこめられていた。

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