第15話「王の決意が満ちる時」

 ふわりと身体が軽くなる感覚にも、すでにもう慣れていた。

 緋瑪ヒメは学校での出来事できごとに後ろ髪を引かれながらも、【ブライダリア】へと降りてゆく。たちこめる濃霧のうむが開けて、眼下に冒険の大地が広がり、【王都テルアコン】の町並みが迫った。


 いつもの中央広場は、珍しく人影はまばらだ。普段なら行き交う冒険者で混雑し、緋瑪は人々の活気にあてられ萎縮いしゅくしてしまうのだが。今日は閑散かんさんとして物寂ものさびしく、露店ろてんの数も驚く程少ない。

 いつもと違う雰囲気に戸惑とまどいつつも、緋瑪はこれ幸いと溜息ためいきを一つ。同時にコツンと右手の杖を大地に立てれば、元気のいい声が返ってきた。


「学校おつです、マスター! 早速ですが冒険庁ぼうけんちょうに行ってみませんか? 面白いイベ――」

「ん、ただいま、エンデウィル。それよりヒメ、来てない?」


 エンデウィルの言葉をさえぎり、緋瑪はヒメのフレンド検索をうながす。緋瑪の【ファミリア】でもあるエンデウィルは即座に、数万もの接続ユーザーがひしめく仮想現実バーチャルリアリティ、【ブライダリア】の中から赤髪の少女拳士モンクを探し始めた。


「んー、まだインしてないみたいですね」

「そ。ん、ありがと……」


 お目当てのヒメはまだ、現実世界にいるようだった。

 爪先つまさきの一点を凝視ぎょうししながら、肩を落として緋瑪は歩き出した。エンデウィルを引きずる足取りは重く、それでも自然と冒険庁へ向って中央広場を後にする。まとう空気の暗さに思わず、エンデウィルはおずおずとその理由を尋ねた。


「あの、マスター? リアルで……学校で何かあったんですか?」

「んー、まあ」

「すんごい落ちこみようです。プレイヤー本人のメンタルは集中力と精神力のパラメータにリンクしているので、このままのプレイは危険ですよ。何かやらかしちゃいましたか?」


 【石花幻想譚せっかげんそうたん】が演出する仮想世界、【ブライダリア】のキャラクターは現実のプレイヤーとンクしている。筋力や魔力、耐久性や運動性といったレベルアップで高まる固定パラメータには、集中力や精神力といった変動パラメータによる大きな補正がかかるのが仕様だ。

 そして変動パラメータはプレイヤー本人の気分や心情に直結していた。

 つまり、激しく落ちこんでいる緋瑪のキャラクター、セキトの各ステータスにはマイナスの補正が掛かっていた。集中力は散漫さんまんで、精神力は揺らいで不安定な状態が続いている。


「逆かな、逆……

「ふむ、詳細キボン、じゃない。良かったら詳しく聞かせてくださいませんか。話すだけでも少し、気持ちが楽になるかもしれません」

「そだね、まあでも……いつも通りだっただけだから」


 気遣きづかうエンデウィルにぼそぼそとつぶやきながら、緋瑪はうつむき歩いた。その脳裏を、学校での出来事がよぎる。

 ネットゲームと現実の違いを、嫌という程に思い知らされた。

 ここは余りにも緻密に作られた仮想世界で、あたかも自分が生まれ変われるような気がしたが。気がしただけで、それは何ら現実の世界に影響を与えるものではなかったのだ。

 少なくとも、緋瑪にとっては。

 のろのろと歩く緋瑪を何人もの冒険者達が駆け足で追い越し、その何人かが肩をかすめる。気付けば人の流れは、普段よりも勢いよく冒険庁へと向っていた。わずかに顔をあげて、大通りの先にそびえる庁舎を緋瑪は見詰める。


「どしたのかな、何か……みんな、冒険庁に一目散いちもくさんって感じだけど」

「気分転換にマスターも行ってみませんか? 今、ちょっとしたイベントの真っ最中なんです。まあ、マスターは『熱血ぅ!』って感じじゃないかもしれませんが、いい刺激になるかもしれませんし」


 躊躇ためらうも、いよいよ人の流れは激しさを増し、緋瑪を巻きこんでゆく。気付けば緋瑪は人波にもまれて、人混みの中へと放りこまれていった。

 大小さまざまな冒険者達が、何百何千と押し寄せるの冒険庁の正門。背伸びで飛び跳ね見やれば、正門の前に一人の男が立っていた。黄金おうごんに輝く荘厳そうごんな鎧を身にまとい、純白のマントに巨大な剣を背負うその姿は、緋瑪にも見覚えがあった。

 【ロード・ブライダリア】――【石花幻想譚】のGMゲームマスターにして、【ブライダリア】で最強の剣士。彼は衛兵えいへい達が運んで来た台座の上に立つと、その全身をさらして居並ぶ冒険者達を見渡した。誰もが【ロード・ブライダリア】の言葉を待って、ただ静かに息を飲む。

 おごそかに第一声が響き渡った。


「ブライダリアに集いし、冒険者の諸君しょくん! 私は諸君等の王にしてしもべ、ロード・ブライダリアである! まずはこの場に集いしこと、心から礼を言おう……感謝を!」


 周囲から喝采かっさいがあがった。その熱気と興奮に緋瑪は、いつもの悪癖が出るのを感じる。落ち着かない様子できょろきょろと視線を彷徨さまよわせ、緋瑪は身を縮めて混雑から逃げ出そうと試みる。だが、前も後も人の山で、身動きが全く取れない。

 エンデウィルにこたえる余裕もなく、ただおびえたようにうろたえすくむ緋瑪の肩を、ポンと叩く人影があった。振り向く緋瑪の手の中で、エンデウィルが女性の声に応える。


「はぁい、セキトくん! お疲れちゃん。ヒメが来るまで時間潰し、ってとこかしらん?」

「サユキたんインしたお! じゃない、お疲れ様です。今日も後で、色々とよろしくお願いしますね」

「エンデウィルもお疲れちゃん、まっかしといて。……ん? セキトくん、元気ないぞ?」

「マスターはなんだか、リアルでベッコリヘコんでるみたいなんです」


 なるほど、とうなずくサユキが後から押されて緋瑪に密着する。この混雑の中、どうやってここまできたのだろうか? 素朴な疑問を飲みこみながら、緋瑪は頭一つ分ほど背の高いサユキを見上げる。

 端整たんせいな小顔に余裕の表情をいろどり目を細めて、高レベルの賢者セージ様は【ロード・ブライダリア】へ鋭い視線を投じていた。その横顔はまさに、才媛才女さいえんさいじょという形容が相応しい。しかし近寄り難い雰囲気はなく、気安いところが魅力的かもしれないと緋瑪は改めて感じた。

 相変わらずにぎやかな場所は苦手だが、ゲームでは随分と人付き合いに慣れた。遅れながらも挨拶の言葉を発すれば、サユキはニコリと笑って頭をでてくる。以前程の緊張を緋瑪は感じない。

 拍手と歓声がまばらになり、次第に収まるのを待って【ロード・ブライダリア】は本題を切り出した。


「諸君等の協力で私は、【エンシェント・ハング】に対して過去七度に及ぶ大規模な討伐戦とうばつせんを試みた。その結果は残念ながら、諸君の良く知る通りである」


 聴衆ちょうしゅうは皆、良く通るんだ声に聞き入っている。説明を求めて緋瑪が見上げれば、サユキは「大失敗ってことよん……ま、今となっては当然ね」と、笑って答えてくれた。右手に恐縮する気配を感じて、緋瑪は胸にエンデウィルをく。


すでにもう、この世界に残された時間は少ない。今やときの砂時計を流れる砂粒すなつぶは尽きかけ、その一粒は一握りの宝石よりも貴重である。――諸君、諸君は最後の苦難に屈するか? この世の見えざることわりが刻の砂時計へ手を伸べ、優しく上下を入れ替えることを望むか?」


 要約すれば、このまま運営期間延長に突入するかと……それでいいのかと、【ロード・ブライダリア】は問い掛けているのだ。最後のボスである【エンシェントハング】を期間内に倒せぬ場合、討伐が達成されるまで【ブライダリア】は存続するらしい。


「つまり、【ブライダリア】の存続を……現状維持を望む奴が黒幕、ってとこかな」


 となりで不意に、サユキがつぶやいた。彼女は不思議そうに首を傾げる緋瑪に言葉を続ける。


「エンデウィルを【エンシェントハング】から、引き剥がした奴のことよん」


 サユキの声を大歓声が塗り潰した。周りは誰もが口々に声を張り上げる。それはやがて大合唱となって否定の言葉を響かせた。呆気あっけに取られる緋瑪を置き去りに、群集は一丸となって運営期間延長の拒否を主張した。

 それは同時に、【エンシェントハング】を倒すという意思の表明でもある。

 両手を広げて天を仰ぐと、【ロード・ブライダリア】は全身で冒険者達の声を浴びていた。その声は次第に、【ロード・ブライダリア】をたたえて歓呼かんこを叫び出す。


「ありがとう! ありあとう、諸君! ありがとう!」


 改めて冒険者達を見渡す【ロード・ブライダリア】と、緋瑪は一瞬目が合った。

 僅か一秒にも満たない緋瑪との邂逅かいこうの後、ロード・ブライダリアは身を正すや、抜き放った大剣で天をく。この世界の君主を演じるGMは、緋瑪の良く知る三国志さんごくしの名将や名君にも等しいカリスマがあった。


「私はここに宣言する! 八度目にして最後の、【エンシェントハング】討伐戦の断固決行を! 時は明後日みょうごにち、【ブライダリア】の最後の日。太陽が最も高みにのぼるのを待って……我々は再び、決戦の地へとおもむく! 我々自身の意思で、結実けつじつへと向って!」


 【ロード・ブライダリア】が剣を固く握り、宣誓せんせいと共に熱い空気を切り裂いた。かたむきかけた日の光が、その全身を覆う黄金の鎧を一際まぶしく輝かせる。聴衆の熱狂は最高潮に達し、足を踏み鳴らす音に大地が揺れた。

 誰もが口々に、【ロード・ブライダリア】の名を連呼して駆け出した。その横を通り過ぎて冒険庁へと殺到する。だいけいじばんに並ぶクエストで己をきたえ、武具をそろえ、そして決戦に備えるために。

 緋瑪は濁流だくりゅうと化した人の群の中で、頼りなげによろけながらサユキにしがみ付いていた。それは恐らく、相手によってはハラスメントコールの対象になるかもしれない。

 しかしサユキはただ黙って、【ロード・ブライダリア】を見据みすえたまま動かない。ひじを抱いて思案に沈むサユキの言葉を、黙って緋瑪は待った。


「運営チームはどこまで気付いてるのかしらん? ま、あの様子だと気付いていないのか」


 サユキは肩を竦めて、冒険庁に背を向けた。自然と引っ張られるように、緋瑪も人の流れに逆らって歩き出す。その手の中で、サユキの言葉にエンデウィルが追従した。


「恐らく創造主も、まだ異変に気付いてはいないと思います。【エンシェントハング】はこの世界でも最強のモンスターですから。単にプレイヤーが苦戦してると、そう思ってるのかも……」

「まあ、強さはホントに折り紙付きだしねえ。名だたる廃人はいじんプレイヤーが、そりゃもうコテンパンにされてるらしいし。その上、死なないときたもんだ、っと」


 とは、過度にゲームにのめりこんで、驚異的な高レベルキャラクターを育て上げた人達の総称だ。サユキは緋瑪に説明し、自分もその一人だと悪びれなく笑った。

 ヒメも……峰人ミネトもそうなのかと考えこむ緋瑪の手で、わずかにエンデウィルが震える。


「ごめんなさい、私のわがままで……この場にいる皆さんの努力を、私は無駄にさせているのかもしれません。創造主の願いを言い訳に、私は――」


 手の内の杖が一瞬、頼りなくグニャリとたわむような錯覚を緋瑪は感じた。先端に飾られた天使像を包む羽根はしなびて、胸に抱く石の輝きも心なしかかげって見える。


「ま、気にしない気にしないっ! だいたいほら、ああして【エンシェントハング】の討伐に躍起やっきになってる連中は、大半がクリアボーナス目当てだし」


 はげましているつもりなのか、サユキはエンデウィルを握る緋瑪の手に手をそえて笑い飛ばした。自然と緋瑪も、強くしっかりとエンデウィルを持つ手に力をこめる。


「大半のユーザーは、静かにゲームの終わりを惜しみながら暮らしてたりするのよね。それに……明後日あさっての最終決戦に私達も参加しちゃえば、結果的にいいんじゃない? 盛り上がるし、ひょっとしたら私達が【エンシェントハング】を……むっふっふ」


 邪笑じゃしょう、という言葉がピッタリなサユキの笑みを、緋瑪は半ばあきれながら見守った。果たしてそんなに上手くことが運ぶだろうか? 一抹いちまつの不安もあるが、他に道もなく、エンデウィルの切なる願いにもむくいたい。

 それはもう、緋瑪の中で本来の目的と同じ位に大事なことになっていたが……わずかな自信も今はくだけて四散し、気持ちは揺らいで心細い。


「あ、あっ、あの……サユキさん」

「あ、私? 私もそうね、貰えるなら貰いたいかな。クリアボーナス、私くらいやりこんでれば、そりゃもうガッツリよん? うん、ガッツリ」


 サユキは腕組みをして、うんうんと大きく頷いた。


「は、はぁ。それじゃ、やっぱりヒメも……」

「ヒメ? ああ、ヒメはね。……気になるんだ?」


 興味津々きょうみしんしんで向き直るサユキに、黙って小さく緋瑪は頷いた。


「まー、ヒメとは付き合い長いからね。どしよっかな……知りたい? セキトくん」


 緋瑪はしばし悩んだが、はっきりと決意を伝える。砕けて消えた自信の欠片かけらを、一つ一つ拾い集めていくように。動かなければ、何も始まらないから。


「知りたい、ですけど……わたしは、ちょ、直接聞きますっ……ヒメから」


 今日、確かにヒメは――峰人は学校で言っていた。【石花幻想譚】を通じて、何かを手にすると。それが何なのか、何より現実の峰人がどうなってしまうのか、緋瑪は気になった。


『【石花幻想譚】をお楽しみの全プレイヤーへ告知いたします。サービス最終日、7月16日の正午に、最終クエスト【結実への意思】の第八次【エンシェントハング】攻略戦……最終決戦を開始いたします。どうか皆様、ふるって御参加くださいますよう、運営一同よりお願い申し上げます』


 運営チームのアナウンスを背に、サユキは愛しげに緋瑪に微笑んだ。


「直接聞く、ね……うんうん! その意気よ、セキトくん! じゃ、聞いてみちゃおうか」


 サユキはそのままトンと緋瑪の両肩に手を置き、クルリと背後へ回れ右をうながす。

 繰り返しアナウンスが冒険者達をあおる中、緋瑪が振り向けば――赤髪の少女拳士が片手で己を抱くように、ぼんやりと立ち尽くしていた。

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