第12話「ドカンと移動の便利なマホウ」
ブライダリアの月は大きく明るい。まるでそれ自体が、光る世界の天井のよう。
「凄い月明かり……ん、エンデウィル、あれは?」
「あれは【ラルスニーム湖】。海のない【ブライダリア】の、まぁ
今、夜空を舞う緋瑪は、眼下に広がる【ブライダリア】の世界を一望していた。
【石花幻想譚】の世界、ブライダリアがプレイヤーに提供する主な移動手段は船だった。ところどころに街明かりが点在するものの、【ブライダリア】はその多くを未開の地が占める。揺らめき動く小さな明かりは、運河や河川を行き交う船の
無論、それは【石花幻想譚】の運営チームが提示した、デフォルト移動手段の一つに過ぎない。プレイヤーの多くは独自の世界観の中に自分好みの手法を実装し、気の合う仲間と【プレイシェアリング】で共有していた。魔法による瞬間移動や、オリジナルの飛行動物を用いた移動……多くのユーザーから遠く分岐した世界では、機械仕掛けの巨大な
「セキト殿、船以外での移動は初めてか?」
「は、はい」
夜風を全身に受けて、上昇を続けていた緋瑪は地上の重力につかまった。上下の感覚が逆転する中、彼女は
アルは平然と空を飛んでいた。身をピンと伸ばし、軽く握った両手を前へ。スーパーマンのようにマントをなびかせるその姿は、確かに飛んでるように見えるが……実際には落ちているのだが。
「あ、あのっ! これって」
「うむ、サユキ殿が考案した画期的な
「でも、これって……」
「サユキ殿は
「つまりマスター、サユキさんは大昔のテレビゲームが好きで、こんな移動手段を考えたってトコですね」
エンデウィルが、難解なアルの言葉を訳してくれた。
風切る音を押し退け、アルの声は良く通る。その言葉の意味は緋瑪には残念ながら、半分も理解できなかったが。緋瑪がわかったことといえば、サユキがファンタジックを通り越してシュールな移動手段を考案したということ。
「見えてきたか。セキト殿! 着陸にはコツがいるが、恐れることはない。何事も経験だ」
アルの落ち着いた声に、緋瑪は情けない悲鳴で応える。
眼下に小さな集落が見え、それはグングン近付いて来る。緋瑪の瞳は徐々に、目的地の姿を鮮明に映し出した。一本の街道を中心に、小さな家屋が身を寄せ合うようにひしめいている。【王都テルアコン】のようなレンガ造りでは無く、木造の屋根が猛スピードで通り過ぎていった。
「ちょ、ちょっ……エンデウィル、これ何とかし――」
「マスター、ゲームですから大丈夫ですよ! まあ、珍しい手法だと思いますが」
サユキが主要な都市、集落、ダンジョンに設置した
早速待ちかねていたサユキが、笑顔で二人をデム開けてくれた。
「はぁい、お疲れちゃん。どう? 私の実装した魔砲の乗り心地、と言うか飛び心地は」
「ええと、とりあえず、ビックリ、です」
緋瑪はなんとか言葉を返す。横ではアルが華麗に宙を舞い、鎧をガシャリと鳴らして大地に着地した。ピシリとポーズを決めて天を仰ぐと、彼はサユキに向き直って一礼。どうにか緋瑪もトランポリンから降りると、アルに
「んー、イマイチ評判良くないのよね。これに
「
「なるほど。まあ、セキト君もそのうち慣れるわよ……あと四日間しかないけどね」
そう言って笑うと、サユキはアルを伴い歩き出した。慌てて緋瑪もその背を追う。
「セキトくんは何してたの? あ、結構レベル上がったじゃない。一稼ぎしてきた訳だ」
「え、えと、わたしは」
「セキト殿は一人、特訓に
往来へと歩み出て、緋瑪は改めて振り返った。
絵に描いたような大砲が、デフォルメされた砲身を月夜に向けている。周囲の簡素な木造建築の中で、それは異彩を放って浮いていた。しかし村人は勿論、往来を行き来するプレイヤー達は気に止めるようすはない。
それもそのはず……このふざけた移動手段はサユキが【ブライダリア】へ、いわゆる全プレイヤー共通の【ブライダリア】へ持ち込んだもので、それを必要としない人間や気に食わない人間は
「セキトくーん。置いてっちゃうぞ? 取りあえず
「あ、はい」
サユキに呼ばれて緋瑪は、慌ててその姿を追った。【王都テルアコン】程ではないにせよ、村を貫く街道は冒険者達で溢れている。四方を飛び交う別れや感謝、思い出や意気込みを聞きながら、緋瑪は仲間達に並ぶ。
「あら? そういえばエンデウィル、また少し形が変わってるわね」
「はいっ! おかげさまで私も随分と
「先程、我輩がセキト殿と
そうかそうか、とサユキがエンデウィルをまじまじと見やる。その瞳は好奇心を
「武器を買い換えなくてもいいのは便利よね。セキトくん、こうなったらどんっどんプレイシェアリングしちゃえばいいじゃない! ガンガン強くなるわよ、エンデウィルが」
「え、いや……それは、ちょっと」
ヒメを通した
「サユキ殿、そうもいくまい。契約は信頼あってこそ、力の為にみだりに交わすのは……我輩は好かぬ」
「ふーん、じゃあアルは私やヒメのこと信頼してくれてるんだ」
「当然だ。そしてそれはセキト殿も同じこと」
そう言ってアルは目を細める。
「先程、セキト殿は一人黙々と修行に打ち込んでいた。世界の命運を背負わされながらも」
「あ、それは単にマスターが……」
エンデウィルがつい言葉を挟むが、アルの独演は続く。
「断言しよう……我輩の騎士道が告げているのだ。セキト殿は
歩きながら感極まって、ぶわわとアルの目から涙が溢れた。心底自分に酔った様子で、両の拳を胸の前で固く握る。その姿はしかし、サユキにはどうも珍しいものではないらしかった。
「ごめんねセキトくん、彼ってば少し思い込みが激しいの……あと、そゆキャラだから」
「は、はぁ」
「我が名に賭けて、この聖剣アルディシオンに賭けて! 共に世界を救うのだ!」
「因みにあれ、ただのピュアメタル製のバスタードソード+8だから。しかも何度か強化に失敗して
「聖剣アルディシオンだ! これはそう、我が分身にして
腰から外した剣を、鞘の上から抱きしめるアル。どうやらよほど大事なアイテムらしく、それはファミリアに設定していることからもうかがい知ることができた。
自分はと緋瑪はエンデウィルに視線を落す。確かにもう、彼女はただのアイテム以上の存在だった。他者とのコミュニュケーションを仲立する以上の価値が、エンデウィルにはある。エンディングであるとか、成長する武器であるとかは、緋瑪にはどうでもよかった。
「まあ、私も勢いで【プレイシェアリング】しちゃったけど。でも、覚えておいてね……【プレイシェアリング】は、自分の好きな世界とそうでない世界を分けるだけの機能じゃないの」
サユキは村外れの、街道に面した広場の前で立ち止まって。そこに集う多くの冒険者達を見渡しながら語った。
「共感の表明であり、良好な関係構築の意思表示であり……単純な好意でもあるのよ」
「好意、ですか」
「そ、私はこのゲームのエンディングも気になるし、
そう言ってサユキは
「何故って、おもしろそうだからよ。だってキミ、気付いてる? ヒメへ向ける熱い視線。お姉さん、すっごく興味あるわぁ……むっふっふ」
緋瑪の心臓が跳ね上がった。
「さて、ヒメはどこかな……っと、いたいた」
サユキは細く
ヒメを囲む冒険者たちは、ちょうどクエストを終えたところのようだ。
「さ、セキト殿。ヒメと合流して出立しようぞ……いざ、修練の旅へ!」
「行きましょう、マスター! ヒメさんも
驚きうろたえながらも、アルに手を引かれて緋瑪は広場へと歩み出た。たちまち人混みの喧騒が緋瑪を包む。普段ならそれだけで、逃げ出したくなる衝動が込み上げるが。ただ黙って緋瑪は、サユキやアルに並んでヒメを待った。その脳裏に、先程のサユキの言葉がこだまする。
確かに、自分はヒメを気にしている。その姿が自分そのものであり、それを演じているのがクラスメイトの
「どうした、セキト殿? 顔が赤いようだが」
「あらあら、わかりやすい反応。セキトくん、グーよっ! お姉さん応援しちゃうから!」
そんな緋瑪の胸中を騒がす、その元凶が快活な声を響かせた。
「みんな、こんばんは。つい夢中になっちゃって。待たせちゃった?」
緋瑪が顔を上げれば、ヒメがこちらに歩いてくる。彼女は何度も、背後で手を振り礼を述べる冒険者達を振り返った。黄色い歓声を上げる一団のレベルを表示して、緋瑪は峰人の日記を思い出す。
レベルの低いキャラたちは皆、そろって笑顔だ。
「それじゃ」
「せーのっ」
「ヒメさーん! 今日はありがとうございましたっ! またお願いしますねー」
最後に全員、声をそろえてヒメに礼を言うと、緋瑪より低レベルの新米冒険者達は姿を消した。夜空に向って光が昇る。ログアウトしたか、それとも自分達だけの世界へ分岐したか。笑顔でヒメは手を振ると、長い三つ編みを
「お疲れちゃん、ヒメ。最近忙しいでしょ? みんな、育て直しの追い込みに入ってるから。今の連中もそうじゃない? スキルの振り分けとかそれっぽいし」
「うん、【エンシェントハング】攻略用のキャラだって」
ヒメはサユキと、いかにもゲーム的な言葉のやり取りをしながら。アルに「友よ!」と肩を組まれて、互いの拳をコツンと叩いた。そうしてヒメの視線が自分に回ってくると……緋瑪の
「こっ、ここ、こんばんは」
「こんばんは、セキトさん。あ、随分レベル上がってるな……二人が?」
「いいえー、私はさっき合流したばかり」
「俺は少し手助けをしただけ……セキト殿は秘密の特訓に打ち込んでいたのだ」
秘密の特訓、という単語を再度繰り返し、アルが胸に手を当て感動に浸る。その横ではサユキが、ニヤニヤと意味深な笑みで緋瑪とヒメを見比べていた。
「じゃあ、今日はちょっとレベル高いクエストに行ってみよっか。アル、サユキさん、いいかな? 僕が選んじゃっても」
「勿論、構わないわよぉ」
「友よ、任せた」
緋瑪も黙って小さく頷く。
サユキに言われて、つい緋瑪は意識してしまう。自分はヒメに……峰人に何かを期待しているのだと。それが何かも、気付きかけている。緋瑪はしかし、
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