第11話「単純作業の複雑な事情」

 ログインと同時に緋瑪ヒメ冒険庁ぼうけんちょうへ走り、お目当てのクエストへと手を伸ばした。そして今、人の気配が全くない洞窟どうくつ引篭ひきこもっている。

 薄暗く、昼も夜も無い天然の洞穴どうけつ。一面をこけが覆い、湿った空気がよどむ地下ダンジョン。

 【錫苔洞シャクタイドウ】は【ブライダリア】でも一、二を争う不人気スポットだった。


「マスターは【スライム】Cに魔法を使った! 【ファイアブリッド】、発動!」


 元気の良いエンデウィルの声が、高い天井へと反響する。

 緋瑪はいちいち解説を止めない相棒をかざして、眼前に並ぶ異形へと意識を集中した。脳裏に浮かぶ不思議な文字を、機械的に拾い集めて術式じゅつしきを構築する。もはやそれは魔術士マジシャンセキトとなった緋瑪には容易な作業だった。

 煌々こうこうと輝く火球かきゅうが湿気を払いながら、不定形の怪物へと炸裂する。


「80のダメージ、【スライム】Cを倒した! マスターのレベルが上がった! ……マスター、どこでこんなマニアックな作業を覚えてきたんですか?」

「ネットで調べた。キーワードは『石花幻想譚』『レベル上げ』『効率』……『』」


 最後の一言が、検索の最重要キーワード。

 緋瑪は幼い頃から常に、難題の答を【ユニバーサルネットワーク】に求めてきた。広大な世界規模の情報網は、いくらでも緋瑪に知識をしめし、必要とあらば体験させてくれる。夕食のおかずのレシピから、三国志の英雄譚えいゆうたんまで。

 それは全て一人でできたし、一人だからこそ緋瑪の支えとなった。

 ブスブスと燃えていた【スライム】が、完全に焼失して消え去る。同時に――


「【スライム】Bは分裂した! 【スライム】Dが現れた! ……マスター、これ楽しいですか?」

「楽でいいじゃない。落ち着くし」


 眼前で再び二匹になったスライムへと、緋瑪は意識を集中して精神力を研ぎ澄ます。目の前に炎が現出して、それは尾を引き目標へと飛んでいった。


「【ファイアブリッド】、発動! 87のダメージ、【スライム】Dを倒した! マスター、こんなことしてていいんですか? 時間も残すところ、今日を入れて四日ですよ?」

「こんなことなんて言わないでよ。これでも頑張ってるんだから。何だっけ、【エンシェントハング】だっけ? ラスボスに会いに行くには、それなりにレベルが必要なんでしょ」

「ヒメさんと合流して一緒に冒険しましょうよ。経験値も稼ぎやすいですし……そうすればきっと、マスターもヒメさんの気持ちに気付きますよ。私、メールしますから」


 結局昨晩、おどろほうけたサユキを押し切る形で、エンデウィルは緋瑪の【ファミリア】に収まっていた。サユキの手持ちのツールとパッチは、特殊なデータであるエンデウィルにも通用したのだ。今はメールの送受信からプレイヤーの検索、アイテム管理まで彼女の仕事である。

 ヒメ達の【ファミリア】と違うのは……各種機能を緋瑪の意思とは関係なく、自分勝手に使ってくれることだが。


「ちょ、ちょっとエンデウィル! 駄目、いいから……ヒメは今、別のクエストだし」

「じゃ、私達もご一緒しましょう。こんな所に引篭もっているより、全然いいと思われ」

「……いい、邪魔しちゃヤだし。それに、その」

「はぁ、じゃあサユキさんに声かけてみましょう。丁度、王都の中央広場で暇そうですし」

「い、いいっ! いいよ、何か悪いし。ほら、ええと……レベル、随分違うじゃない?」


 緋瑪は手の内で声を上げる、杖の小さな天使像てんしぞうから目を逸らした。


「さすがマスター! 他者に頼ることなく、何事もまずは自分で……御立派ごりっぱです! ――と、言うとでも思ってます? マスター、けてますね。苦手なもんだから」


 わずか数日でエンデウィルも言うようになったと、緋瑪は右手を顔から遠ざける。


「レベル上げだけが目的なら、別に私もいいと思います。でも、マスターにはマスターの目的があるじゃないですか。いいんですか? 貴重な時間、こんなふうに使って」

「私の、目的は……でもこう、どうせ上手くいかないし。駄目なんだ、緊張しちゃう。頭が真っ白になるの。人の前に出ると、何も上手くできないんだ」


 鼻血こそ出ないものの、現実と全く一緒。


「でも、そうやって自分だけで『こうだ』『こうなんだ』と決めて自己完結してると……マスター、努力しろとか頑張れなんて言いません。せめて、自分から動きましょうよ」

「はぁ、気楽に言うよね。でも、上手くいくとは限らないじゃない」

「結果が保証されなければ、動くこと自体に価値はないのでしょうか? 私はそうは思いま――何すんだゴルァ! マ、マスター痛い、痛いですよぉ」


 クルリと持ち手を逆さまに、緋瑪はエンデウィルを引っくりかえした。そのままグリグリと、苔に覆われた地面へ斜めに突き立てこする。その上に手を組んで緋瑪は細いおとがいを乗せた。


「エンデウィルはいいよ、ゲームのデータだもの……『やればできる』の典型じゃない、この手のゲームって。でも、現実は違うんだ」

「この世界だって、【ブライダリア】だって私には現実です! それに、まずはアクション、動くこと……これって、現実がどうとかは関係、な……いで……マスター、あれ」


 ふいにエンデウィルの声音が変わった。同時に足元に、ヌルリと嫌な感触が這い寄る。すっかりエンデウィルとの問答にのめりこんでいた緋瑪は、自分のしていた作業を思い出した。

 改めて敵に向き直ると、そこには視界を埋め尽くす――


「【スライム】E、F、G、H、I、J、Kが現れた! マ、マスター! まずいですよ、たかが【スライム】といってもこの数」

「わ、解ってる! 大丈夫、落ち着いて」


 自分に平静を呼びかけ、緋瑪は悲鳴をあげるエンデウィルを【スライム】の群へと向ける。こんな時こそ精神集中、即座にいつもの魔法を練り上げる。放たれる火球はしかし、うごめくスライムの片隅に小さな炎をともすだけだった。


「84のダメージ、【スライム】Eを倒した! 【スライム】Fは分裂した! 【スライム】Lが現れた! 【スライム】Gは分裂した! 【スライム】Mが――私、このパターン見たことあります。これって最後は決壊して……」


 躊躇ちゅうちょする間もなく、緋瑪が魔法を実行する。しかしその間も、エンデウィルの実況解説は悲壮感ひそうかんを増していった。

 コツは、【スライム】が二匹以上にならないよう、一定のリズムで倒し続けること。ネットで調べたときの攻略アドバイスが緋瑪の脳裏を過ぎる。しかしそれも後の祭り、分裂を繰り返す【スライム】の何割かが、粘度の高いジェル状の身体を宙へとおどらせた。


「エンデウィル、このゲームって死ぬとどうなるの?」

「所持金と経験値がゴッソリ減ります。オワタ!」


 努力が成功に直結した世界では、油断が損失と同義でもある。その不偏のルールに妙に納得しながら、緋瑪はぬらぬらと七色に光る【スライム】の群を見上げた。

 刹那、覇気に満ち溢れた声が突然響き渡る。


「――無天流奥義むてんりゅうおうぎ! 【狼牙疾駆閃ろうがしっくせん】っ!」


 不意に緋瑪の視界を、甲冑姿かっちゅうすがたの騎士が横切った。同時に光の線が空気を裂いて、襲い来るスライムが次々と霧散むさんする。

 緋瑪が名を思い出す前に、突如現れた人物は高らかと名乗りをあげた。


「我こそは蒼雷の騎士ブリッツェン・リッター、アルトリエル・フォン・ファーレンシュタット! 友の願いにより今、推参すいさんっ! 邪悪なモンスターよ、【聖剣せいけんアルディシオン】のさびにしてくれよう」


 それは昨日知り合った、ヒメの――「我が友の仲間なれば、一人にしてはおけぬっ! 無天流奥義! 【狼牙咆哮断ろうがほうこうだん】っ!」――友人だった。彼は手にする剣を構えるなり、絶叫と共にスライムをはらった。

 呆気あっけにとられる緋瑪へと、剣を納めながら振りかえるアル。まぶしい笑みに白い歯がこぼれた。


「え、えと、あの」

「危ないところであった……セキト殿、お怪我はないか?」

「は、はぁ」

「それは何より!」


 腕組み満足気にうなずくアル。余りにも唐突な援軍に、助かりはしたものの緋瑪は反応に戸惑った。同時にまた、徐々に居心地が悪くなる。先ずは言うべき言葉が浮かんだが、口はもごもごと上手く回らない。

 緋瑪はほがらかに笑うアルに背を向けると、エンデウィルにくちびるを寄せて声をひそめた。


「ちょ、ちょっとエンデウィル。間が持たないじゃない、何とかしてよ」

「マスター、まずは助けて貰ったお礼を言いましょう。実際危なかったじゃないですか」

「わかってる、けど……その、ありがたいんだけど……ゴメンッ、お願い」

「しょうがないですね、マスターからもちゃんと言ってくださいよ?」


 ゴホン、と咳払せきばらいをするエンデウィルを、緋瑪は手に汗をにじませながら差し出した。


「蒼雷の騎士殿、救援きゅうえんいたみいります。我が主も感謝しております」

「あっ、ああ、ありがと、ござい、ます……アルトリエルさん」


 エンデウィルの言葉に続いて、感謝の意を搾りだす緋瑪。消え入るような言葉をどうにか言い終え、彼女は満足気に頷くアルを見上げた。


「アルで構わぬ。皆、そう呼ぶ。我が友ヒメより、適度に見守るよう念話通信メールを受け取ったが、セキト殿はかような場所で修行を? しかも単身で」

「は、はい、その……一人じゃないと、その……ひとりが、いいです」


 ふむとうなってアルは視線を外す。何かを考えるような仕草で、彼はうつむくと。ガシャリと鎧を鳴らして天井をあおいだ。


「セキト殿。我輩わがはいは今、猛烈もうれつに感動しているっ! やはり貴殿は我が友が語る通りのおとこ!」

「……は?」

「滅亡の危機に瀕するこの【ブライダリア】を救うべく、一人孤独に耐えながら研鑽けんさんに明け暮れる。その心意気やよぉし! 我輩、感服つかまつった!」

「は、はあ……その、一人のほうが、気が楽、ひっ!?」


 感極かんきわまって、今にも泣き出すのではと思える程の熱量が声にこもる。アルはそのまま何度も深く頷き、緋瑪に向き直って身を正した。


「我輩もまた、この世界のために戦おう……改めて世界共有プレイシェアリングの契約を、セキト殿」

「へっ?」


 緋瑪は思考も肉体も硬直した。もとよりゲーム自体に馴染なじめない部分もまだ多いが、アルの言う意味がわからず、その意図いとする所も理解できなかった。

 見かねたエンデウィルが両者を取り持つ。


「アルさんは多分、【プレイシェアリング】を希望しているんですよ」

「いかにも。さあ、共に歩もうぞ、セキト殿! この命てるまで!」


 ずい、とアルが身を乗り出す。思わず一歩後ずさる緋瑪。しかしエンデウィルにうながされ、緋瑪は初めて自分から【プレイシェアリング】を実行した。メインメニューから何度かウィンドウを経由し、【プレイシェアリング】を選択して確認のメッセージに肯定の意を返す。

 瞬間、ほの暗い洞窟内を、眩いエンデウィルの光が照らした。


「またまたパワーうp、キター! っと、いけない。蒼雷の騎士殿、貴方の力を確かに受け取りました。この世界の未来、その一部を貴方の剣にたくします」

承知しょうちっ! 蒼雷の騎士の名にかけて、必ずや」


 羽根が六枚に増えたエンデウィルが、仰々ぎょうぎょうしい態度でアルへと感謝をべた。

 アル自身も満足したように、拳を胸に当ててこうべを垂れた。そうして騎士然とした態度の自分に心酔しんすいして、彼は感動に打ち震えている。

 緋瑪は眼前の騎士が、良く知る大陸無双たいりくむそう武将ぶしょう達と同じ類の人種なのだと自分で定義付けた。そう演じてるのだと思えば、僅かだが緊張がやわらぐ。

 もっとも、それはそれで接し方が問われると感じれば、やはり不器用にしか関われないが。


「して、蒼雷の騎士殿は世界をいかように調律ちょうりつしておられるのですか?」

「はっ! 我が剣技を振るって悪を砕き! 弱きを助け! 名をとどろかせんとするものであります。また、我が剣技や友の体術にも、その流麗な技に相応しき名を――」

「ええと、つまり……」


 アルは昨日から、ヒメやサユキと【プレイシェアリング】を登録している。つまり、昨日の時点で緋瑪はアルとも世界を共有していたのだ。そして今、それが真に融合ゆうごうを果した。


「つまりマスター、アルさんは一部のスキルの名前を設定しなおしているみたいですね」


 エンデウィルの言葉を肯定するように、アルは大きく頷く。


「良ければセキト殿の魔法にも、新しき名を! 例えば、そう」

「え? い、いや、それは……遠慮、します」


 何となくアルのセンスは、大筋で緋瑪には解ったから。小さな体でピョコピョコねながら、つつしんで辞退する。いまだ初級魔法しか使えぬ身で、大袈裟おおげさな名前を叫ぶ気にはなれない。


「しかし良かった。セキト殿、貴殿きでんとは契約を結びたいと思っていたのだ」

「は、はぁ、それはまた、どうして」

「フッ……深い理由などはない」


 鼻で笑って目を細めると、アルは前髪をかきあげる。キザに過ぎる仕草の後に、芝居しばいがかった台詞せりふが続いた。


「友が認めた漢なれば、我輩も微力びりょくを尽くそう。そして共に、この世界を救おうぞ!」

「そ、それだけですか」

「ハッハッハ、いかにも!」

「それは、どうも……」


 高らかに笑うアルに、緋瑪も引きつる笑いを重ねる。

 その瞬間、険しい目でアルは腰の剣を引き抜いた。何事かと緋瑪もエンデウィルを構える。新たなモンスターの襲来かと、身を強張らせながら……不思議と緋瑪は妙な頼もしさを感じていた。あれほど避けていた他者の存在が、今は少しだけありがたい。

 そう感じる自分に、素直に緋瑪は驚いていた。


「アルさん、敵は――」

「いや、驚かせて申し訳ない。サユキ殿からの念話通信である!」


 アルが聖剣アルディシオンと呼んでいる、一振りの剣。その両刃の刀身に何やら文字が浮かび流れていた。端的たんてきに言うところの、どうやらメールを受信したらしい。


「ふむ、サユキ殿は副業の露店商が一段落したらしい。では参ろうか」

「え、えっ!?」

「何を驚く、セキト殿。一人で出来ることには限界がある。友と同様、我輩も無用な手出しはひかえるゆえ……是非、共に冒険しようぞ。なに、遠慮は無用。すでに我等は旅の仲間っ!」


 強引に話をまとめて、アルはマントをひるがえした。その背は無言で、ついてこいと緋瑪を誘う。手の内でエンデウィルも、仲間達との合流をせかした。

 結局緋瑪は再び、多くの人で賑わうブライダリアの表舞台へと躍り出ることとなった。

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