2029/07/12(木) - ゲームを続けますか? -

第10話「日常よりも、非日常」

 緋瑪ヒメは【エルフターミナル】が視覚に直接投影する、大陸四千年の歴史を紐解ひもといていた。賑わう昼休みの教室に、自分を構う人間は一人もいない。

 普段なら自分の世界に閉じこもれる、安らぎのひととき――なのだが。

 半透明に浮かぶ歴史小説に集中できず、緋瑪は頬杖ほおづえついた顔を上げた。その視線の先に、彼女の胸中を騒がせる峰人ミネトの姿がある。相変わらず数人の男子生徒に囲まれ、彼は困惑しながらも曖昧な笑みを浮かべていた。


伊勢谷イセヤくぅ~ん? 俺、チーズバーガー二つにコーラ、ポテトな。お前等も頼めよ」

「いつも悪いな、伊勢谷。じゃあ……チキンナゲット、ソースはマスタードで」

「こうあちぃとそうだなー、シェイクとか飲みてぇよな。あ、チョコミントね」


 加賀野カガノを中心とする三人組が、次々と峰人に注文を突きつけてゆく。それは誰にとっても日常の光景で、峰人自身もまるで抵抗する様子がない。

 かく言う緋瑪も傍観ぼうかんに甘んじていた――ついこの間までは。


「はいダッシュー! 走らねぇと昼休み終っちまうぞ、伊勢谷ぁ!」

「うわー、加賀野も鬼だねぇ。ま、よろしく伊勢谷くん」


 クスクスと笑う女子生徒達や、あきれながらも決して関わろうとしない男子生徒達に同化し、緋瑪は空気のような存在になっていた。小突かれながら教室を出て行こうとする、小柄な峰人を目で追う。


「嫌なら嫌って言えばいいのに」


 小さく呟きながらも、自分にできないことを人に言うものではないと緋瑪は心に結ぶ。

 もし自分が峰人の立場なら、どうなってしまうかは明白……顔が火照ほてって呼吸が浅くなり、高まる鼓動に頭が真っ白になる。言葉がつむげずただ、いたずらにうろたえうつむくしかないだろう。

 そして、きっと鼻腔びこうを支配する熱が粘膜を決壊けっかいさせて――流血は避けられない。


「じゃ、じゃあ行ってくるから。ええと、加賀野くんがまたチーズバーガーで……」

「あ? 手前ぇ、またってなんだコラ? 悪ぃかオイ、いいから黙って行けっつーの!」


 イライラしながら加賀野が峰人の背を蹴った。前のめりによろける姿に、加賀野の取り巻きが笑いを浴びせる。

 瞬間、頭の中でなにかがはじけ、気付けば緋瑪は机をバン! と叩くや椅子を蹴っていた。

 凍りつく教室の空気。

 たちまち周囲の視線が殺到した。加賀野がとりわけ厳しい眼差まなざしの矢を放ってくる。眉間みけんにしわを寄せてすごむその姿に、緋瑪は息が詰まるのを感じた。鼻の奥が熱い。


「は? 何? ええと……赤崎アカザキ、だっけ? あれ、朱崎アケザキ? どっちでもいっか。で? 何か文句あっか?」

「え、や……別、に」


 この場の中心にいる自分が、突然いたたまれなくて身がすくむ。つい咄嗟とっさに立ってしまったことより、立っただけで実際には何もできない自分が恨めしい。緋瑪は怯えながら視線を彷徨さまよわせ――

 峰人と目が合った。


 瞬時に、いつもの対人恐怖症とは別種の熱量が頬を染める。訳もわからず気付けば、緋瑪は教室の外へと走りだしていた。

 保留ほりゅうにしていた峰人への感情が、わずかに鮮明になってゆくのを感じる。それは自分の姿を勝手にうつったことへの、怒りや嫌悪けんおではない。現実でいじめられていることへの同情や、不甲斐なさへの失望とも違う。

 ざわめく教室を置き去りに、ちがう教師にも構わず緋瑪は走った。


 その脳裏を、仮想世界バーチャルリアリティである【石花幻想譚】、異世界【ブライダリア】のヒメがよぎる。自分と同じ姿の、自分とは全く性格の違う峰人のキャラクター。快活かいかつ闊達かったつ、親切にゲームの面白さへ緋瑪をいざな拳士モンクの少女。

 今の峰人に、緋瑪の知るヒメの面影おもかげ微塵みじんもなかった。あるいは最初から、そんなものはなかったのか。


「はぁ、はぁ……逃げて、きちゃった」


 息が上がるまで緋瑪は、全力で走った。渡り廊下を駆け抜け、階段を転がるように降りて――気付けば一人、学生食堂のホールで膝に手を突く。昼食時の混雑もピークを過ぎ、人影はまばらだった。

 周囲を見渡し一息ついて、両耳のターミナルを掛けなおすと、緋瑪は自動販売機へと歩を進めた。

 開きっぱなしだったファイルを閉じ、壮大な中国の大陸史に別れを告げる。自動販売機を視界に入れれば、自然とターミナルがクレジットリンクのサインを点滅させた。なにげなく並ぶ飲み物をながめながら、その一つへと購入の意思を向ける。確認を念じれば、チャリンとターミナルが鳴った。

 紙パックを片手に、自動販売機の横に寄りかかる。


 ――こんな時、エンデウィルがいたら。


 ふと、唯一気のおけない存在が思い出された。それは人間ですらない、膨大なデータと会話ログのかたまりだった。しかし不思議と緋瑪は、エンデウィルとは素直に言葉を交わすことができる。

 【プレイシェアリング】がどうとかよりも、緋瑪にはエンデウィルが一番身近な人間に感じる。最も、そうして接することができるのは、恐らくエンデウィルが本当に人間ではないから。姿もそうだが、彼女は0と1デジタルで構成されたデータだから。


「あと四日、か……それまでに」


 それまでに、エンデウィルを連れて行ってあげたい……ゲーム内でも最強にして最後のモンスターである最終ボス、【エンシェントハング】の前に。

 同時に、ヒメこと峰人の真意をどうしても緋瑪は確かめたかった。先程、自分の中で芽生えた不可思議な感情の正体も知りたい。


「でも変なの、どうしてこだわるかな? ……気持ち、悪いのかな」


 一人呟く自問に答えは返らず、冷たい豆乳コーヒーを飲み干し緋瑪は予鈴の音を聞いた。

 ペコン、と潰した紙パックをゴミ箱にほうむり、緋瑪は教室へと戻る。再び空気になって、何事もなく今日一日を終えるために。日常をルーチンワークのように片付け、【ブライダリア】へと行くために。

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