第6話「謎が謎を呼ぶという、謎」

 帰宅するなり、緋瑪ヒメは買いこんだ食料を冷凍庫に押しこんだ。どれも電子レンジに放りこめば、数分の後に食べられる冷凍食品。普段は一人でも自炊しているのだが、今週はそれを放棄ほうきする。彼女は今、学園生活以外の時間をなるべくオンラインゲームへ――【石花幻想譚】へとついやそうと決めていた。


「なに? 助けて貰うの二度目だね、って……」


 問い詰めるような言葉は、相手へ向けられることなくひとごととなってこぼれる。

 峰人ミネトの言ってることは、全く記憶にない。

 確かなのは、峰人にとって緋瑪は、ただのクラスメイトではないということ。

 早く確かめたい。

 峰人の真意を。

 不安の渦巻く雑多な感情が、胸中をくまなく支配する。

 それを相談する相手も持てぬまま、緋瑪はリビングのソファに身を投げだした。視界に薄く浮かぶデスクトップイメージの、宝石に花びらをあしらったアイコンへ意識を向ける。

 実行を念じれば、一瞬の浮揚感の後……再び落ちてゆく感覚。緋瑪は【ユニバーサルネットワーク】の広大な仮想現実バーチャルリアリティへと思惟しいを投じて、【石花幻想譚】の世界に飛びこんだ。

 眩い光に目をつぶり、再びまぶたを開けた時には――そこはもう、冒険と神秘に満ちた【ブライダリア】。昨日と同じ【王都テルアコン】、中央広場だった。

 早速、握る手のエンデウィルが元気に語りかけてくる。


「マスター、おいすー! お疲れ様です!」

「お、おいすー……って。な、なにそれ、流行はやってるの? このゲーム特有の挨拶あいさつ?」

「いやー、運営開始から長いもので……古い会話ログでした。それよりマスター」

「そうだ、ええと、冒険庁ぼうけんちょう? ってのに行かなきゃ。時間は、間に合う」


 すくみながらもあゆみを進めれば、どこを見ても人、人、人……それは足が向く先、冒険庁の周囲も例外ではない。緋瑪は居並いなら冒険者ぼうけんしゃ達を見渡し、その中へと進むのを躊躇ちゅうちょした。

 この場にいる者の大半が、現実世界に存在する生身の人間。そう思えば、なまじリアルなだけに、緋瑪は逡巡しゅんじゅんに歩調がにぶる。どのキャラクターも個性的な姿で、現実世界ならおもてを歩けないような格好かっこうの者もいる。

 ゲームだとわかっていても、やはり緋瑪は踏み出す勇気が持てなかった。


「七時ジャスト、マスター! 早く大掲示板だいけいじばんの前に行きましょう」


 手の中でエンデウィルが急かす。

 冒険庁とは、ゲーム内のインフォメーションセンターみたいなものだと緋瑪はマニュアルで読んだ。興奮と感動の冒険物語は、毎日毎晩この場所で絶え間なく生まれている。


「あ、あの中にいるんだ。伊勢谷イセヤく……ヒメが。ええと、でも」

丁度ちょうど今の時間は、プレイヤーの接続数もピークに向う頃ですから。さあマスター」


 緋瑪は深呼吸に薄い胸を上下させた。

 そして、改めて冒険庁の人混みを見やる。

 笑い声に怒声どせいが重なり、それを歓声がしてゆく。小難こむずかしい専門用語が飛び交い、略語りゃくご隠語いんご乱舞らんぶする。異様で異質な空間に、緋瑪は意を決して踏み出した。

 レンガづくりの巨大な冒険庁庁舎ちょうしゃは、人の出入りが激しい入口を開け放って緋瑪を迎えた。

 やっと緋瑪は庁舎内へ進んだが、すぐさま出てきた者達に追われるように取って返す。出てきた冒険者達は、小さなセキトなどお構いなしだ。


「急ごう、時間ないし! 今日だけで七つ、八つはレベル上げたいね」

「Aランクのクエを回せばすぐっしょ。むしろ問題は――」

「もう少し武器と防具がね。【エンシェントハング】って結局、何属性が効くのさ?」

「さー、何やっても効果がないってさ。昨日、フレが水特化みずとっか花魔はなま中心で全滅らったし」


 クエはクエスト、フレはフレンド……呆気あっけに取られて道をゆずる緋瑪に、エンデウィルが解説してくれた。それを聞きながら、慣れた様子で冒険へと旅立つプレイヤー達を見送る。即座にその一団の詳細情報を求めれば、緋瑪の視界に次々とデータが表示された。

 緋瑪が真っ先に確認するのは、レベルや職業よりもまず名前。魔術士マジシャンらしき少女も、戦士ファイターっぽい女性もヒメではなかった。


「因みにマスター、水特化の花魔というのは、水属性の魔法スキルだけを集中して習得した花の民の魔術士のことですよ……マスター? 大丈夫ですか? 時にもちつけ……もとい、落ち着いて下さい」

「あ、うん。その、苦手なの。人混みというか、こうにぎやかなのが」


 ひざに手を突き、エンデウィルを支えに地面を見詰める。そうして気持ちを落ち着かせると、再び緋瑪は冒険庁へと進んだ。他のプレイヤーとちがうたびに、身を強張こわばらせて退きながら……何とか高い天井の下、正面の大掲示板に到達する。

 それは壁一面を覆う巨大な木の板。掲示板の名の通り、さまざまな張り紙が場所を奪い合っている。その大きさや色は様々だが、どれもが冒険者達への仕事の依頼、クエストらしい。

 口々に言葉をわすベテランプレイヤーに混じって、緋瑪も言葉を失い見上げた。


「マスター、見惚みとれてる場合じゃないですですよ。ヒメさんを探さないと!」

「うん、ええと……」

「クエストに出発されたらアウトです。私の持ってる会話ログによれば、この時間に大掲示板前にいるのはほぼ確実ですから。片っ端から名前、確認してみてください」

「わ、わかった、やってみ――」


 目に映る誰彼だれかれ構わず、片っ端から名前を確認。

 ――する必要はなかった。

 あわてて大掲示板から視線をらし、緋瑪が首を巡らせ周囲を一望したその時……目の前をまぶしいあかがよぎる。気付けばすぐ隣で、腰に手を当て掲示板を見上げる横顔があった。

 その姿に緋瑪は絶句ぜっくした。


「マスター? どうですか、見つかりましたか?」


 それはまるで、鏡を見るような錯覚へと緋瑪を叩き込んだ。しかし、鮮やか過ぎる赤毛が、本物の黒髪と違うと主張する。絶妙な露出度ろしゅつどの服装も、これが現実ではいことを緋瑪へとげていた。


 目の前にいるのは間違いなく――


 三つ編みにった腰まで届く長髪に、紅色の鮮やかな瞳。そんな、目ばかりクリクリ大きいコンプレックスの童顔どうがん。小ぶりな顔を乗せるほっそりとした首筋や、すらりとしなやかな四肢は、どこかアニメ調のアレンジが感じられる。だが、あまりにも眼前のキャラクターは現実の緋瑪自身に酷似こくじしていた。

 目の前の面影が、色違いの自分へと綺麗に重なる。


「んー、今日も目新しいクエストはないな。んじゃま、いつもの……ん?」


 緋瑪の視線に、眼前の少女が振り返った。

 その名を確認するまでもなく、相対あいたいして目と目が合えば一目瞭然いちもくりょうぜんだった。彼女こそが間違いなく峰人のキャラクター、ヒメに違いない。まるで悪い冗談のように、見れば見る程にそっくりに思える。その頭髪や瞳、着衣までが赤を基調としているところも、緋瑪の名前を髣髴ほうふつとさせた。


「こんばんは、どうかしましたか?」

「え、あ、あっ、あの……その、ええと……」


 おどろきに言葉が出てこない。

 自分の名で峰人が、オンラインゲーム内でなにをやっているのか。その謎はけ、新たな謎を呼ぶ。峰人は仮想現実で、緋瑪になっていたのだ。緋瑪の格好で何をしているのか、それはまだわからないが。

 湧き上がる感情が制御不能となり、パニック寸前の頭がそれを処理しきれない。緋瑪は嫌悪けんおとも羞恥しゅうちとも知れぬ思いに、心の中で「なぜ」と「どうして」を繰り返す。


「そそそ、そっ、その……その格好っ!」


 辛うじてしぼり出した緋瑪の言葉に、眼前のヒメが自分の身体を見渡す。そのままクルリと、彼女はその場で一回転して見せた。赤い三つ編みがふわりと舞う。


「ああ、これ。自作のキャラデータなんですけど。そっちはデフォルトキャラですね、今時珍しいな……あ、いや、僕はいいと思いますけど。公式のデフォルトキャラって逆に新鮮だし」


 自分に似てるといえば似てる声のヒメは、口調から間違いなく、峰人の操るキャラクターだと緋瑪は感じた。

 なぜ、この事態を予想できなかったのだろう?

 もっとも、緋瑪にはこのゲームで……【石花幻想譚】でここまでのキャラクターメイキングができるとは思ってもみなかったが。

 緋瑪が普段は絶対にできない表情で、笑顔でヒメは喋り続ける。


「ええと、セキトさんはもしかして初めての方ですか?」

「は、はっ、はいぃ」

「やっぱり。セカンドキャラ以降として育てなおすなら、もっとがったパラメータになりますもんね」


 自分自身と話す、その奇妙な違和感は次第に緋瑪の中で薄れていった。

 確かに眼前のヒメは、見た目はそっくりそのまま緋瑪そのもの。しかし、その表情やしぐさ、なにより人当たりの良さはまるで別物だった。

 次第に剥離はくりしてゆき、その奥から峰人が見えてくる。


「あっ、あああ、あの……」

「はい」


 震える声の緋瑪に、眼前のヒメが微笑ほほえんだ。ある種の期待をこめられた眼差まなざしに見詰みつめられ、言葉にまる緋瑪。要領ようりょうを得ない調子で、言葉はつむげども声にならず。

 それでも何とか、喋ろうと口を開いた瞬間だった。

 右手のエンデウィルが声を上げた。


「マスター、こちらの方がお探しのヒメさんでしたか? ひょっとしてお知り合いで――」


 咄嗟とっさに緋瑪は、ほおを引きつらせて姿勢を正した。そのまま背にエンデウィルを隠し、精一杯の愛想笑あいそわらいで数歩後ずさり。不思議そうな顔のヒメから離れると、猛然もうぜんと大掲示板の隅へと走った。


「エッ、エンデウィル!」

「はい、マスター。なにか……あ、人違いでしたか?」

「いや、あの人が探してたヒメだけど……多分。でも」


 そう言って肩越しに、もう一度振り返って。その時始めて、緋瑪はきょとんとこちらを見詰める赤毛の少女を読み取った。キャラクターの名前は、確かにヒメだった。


「マスター、おめでとうございます! やっと出会えたんですね」

「あ、ありがと……うーん、どうしよう。こんなのって反則だよ、ありえない。なにそれ」

「何か複雑な事情がおありですか? 良かったらさらし……じゃない話してください」


 チラチラと背後のヒメを見ながら。大体のあらましを緋瑪はエンデウィルに語った。


「おk把握はあく……というか、事情はだいたいわかりました」

「わかった? こんなの、わたし困るじゃない。やだ、なに? なんなのもう」

「はあ、まあでもこれはその、表現的には非常に不器用というか遠回りというか」

「なに?」

「え、あ、うーん……気付きませんか、マスター」

「だからなに?」

「……気付かないならいいです。でもマスター、私の持つ会話ログでは、ヒメさんは特にゲーム内で奇行きこうに走るとかはないですよ。勿論もちろんその、ヒメたんハァハァ的なことも」

「ヒメたんハァハァ? なにそれ、ゲーム用語?」

「まあ、端的たんてきに言えば性的に不道徳なことは何もしてないですね。まあ、他者に不適切な接触を行えば、ハラスメントコールされてペナルティですけど。でも、自分になら……」


 一瞬で緋瑪は、耳まで真っ赤になるのを自覚した。どこまでもリアルな感覚の再現は、その火照ほてる頬の熱量さえも確かに感じる。

 何もしてない……されてたまるものかと心に叫ぶ緋瑪。


「じゃ、じゃあなにをして……あ、確か」

「そこです、マスター! 私に名案があります。幸いヒメさんは、私が今の状態になった時点でかなりの高レベルのキャラクターですから。そこでですね――」


 緋瑪はまた、峰人の日記の一節を思い出した。それを裏付ける会話ログをエンデウィルも振りかえりながら、提案をしようとしたその時。

 不意に背後から、ピョコリとヒメが顔を出した。両手を後で組んで、腰をかがめて緋瑪を覗きこんでくる。


「あの、セキトさん? ひょっとしてなにかお困りですか?」

「あ、いえ、その、別に」


 あわてて両手をブンブン振りながら、ビタリと大掲示板に背をける緋瑪。ヒメはすぐ目の前で「そうですか」と身を正す。すらりとした華奢きゃしゃな、それでいて起伏きふくの豊かな身体を見て、緋瑪は先程のエンデウィルの言葉を反芻はんすうした。


 ほどよい胸の膨らみは、インナーに収まり半袖はんそでのベストを羽織はおっている。その下は細くくびれた腹部が露になっており、スパッツに包まれた脚線美きゃくせんびみょうな肉感で引き締まっていた。中華風の長い腰布こしぬのには『緋』の一文字……その衣装は拳士モンクという職業の高レベルな防具だった。

 ほんとうだろうか、と緋瑪は猜疑心さいぎしんを向けてしまう。

 我ながら美少女にぎるから。


「あ、ありえない……わたし、そんなにスタイルよくないし」

「え? 何がですか? そうだ、もし勝手がわからないなら、よければ僕が」

「そ、それは、ちょっと」

「はは、そうですか。まあ初めては色々とわからない事も多いと思いますけど。あと少しでサービス終了ですが、セキトさんも楽しんでくださいね。じゃ」

「あ、いや、まっ! ……待って」


 去りかけたヒメを、辛うじて引き止める。振り返る形良い鼻先へと、緋瑪はエンデウィルを突き出した。

 先程エンデウィルが言いかけた、名案とやらに全てを賭けてみる。

 緋瑪は今思考が停止してしまったから。

 すでに目的は達成され、峰人が何をしているかはわかった。

 ヒメの名で、緋瑪の格好でゲームを遊んでいるだけ。主に、初心者の手伝いを中心に。

 だが、それに自分がどう対処すればいいのかがわからない。

 そもそも、今抱いてる感情が怒りなのかどうかも、緋瑪にはわからなかった。


「えと……これは。セキトさんは魔術士だから、確か初期装備しょきそうびの――」

「私はエンデウィル。拳士ヒメ……どうかあなたの力をお貸しください」


 ヒメが硬直した。

 口を半開きにして、しきりにまばたきを繰りかえす。


「杖がしゃべっ――え、いや、そんなアイテムあったかな。僕の知らない武器があるなんて」

終焉しゅうえんへ向かうこの世界は今、危機にひんしています。【ブライダリア】をあるべき未来へとつむぐため……どうか私を結実けつじつへと、【エンシェントハング】へとみちびいてください」


 エンデウィルは自分の持つ、膨大だが限られたログを駆使して、ありったけ飾った言葉で言い放った。

 緋瑪もヒメも、呆気に取られて言葉を失った。

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