2029/07/11/(水) - データをロードしますか? -
第5話「そして、いつもの朝がはじまる」
早朝、七時を回ったばかりの
そんな中、廊下を歩く
「あ……」
教室の戸をそろりと
誰もいないことを期待しての早朝登校だったが、一番いて欲しくない人物の背中が目に飛びこんできた。小柄な男子生徒が、床に
気付かれないよう即座に戸を閉める。緋瑪は
教室内の人物……
細心の注意を払って、音を立てぬよう
峰人は緋瑪に気付く様子も見せず、真剣な表情で教室内を這いまわっていた。やがて彼は立ち上がり、
ポケットの中の手に力をこめて決意を
黙って見てはいられない――緋瑪は自分を心の中で
「――あ、あっ、
「は、はひっ!」
「えっと、その……おはよう、今日は早いんだね。どしたの?」
「え、あ、うん。おは、よう」
峰人は緋瑪へと、
頭の中で組み立てた言葉が、なかなか声になって伝わらない。それでも緋瑪は懸命に喉から思いを絞り出した。
「いっ、伊勢谷くんも、早いね」
「あ、ああ、うん。……ちょっとね、落し物を探してるんだ」
峰人は困ったような苦笑でしきりに頭を
緋瑪は、峰人と――級友とまともに喋ったのは久しぶりだった。これだけの会話でさえ、彼女にはちょっとした大冒険である。自分を落ち着かせるよう、緋瑪はスカーフを結んだ制服の胸元を手で押さえた。
ただ、拾ったと言って差しだせばいい。ポケットの中に握り締めた【メモリング】を。
「あっ、あの……」
「う、うん。どっ、どしたの、朱崎さん」
「その、ええと」
「? ……顔、赤いよ」
鼻の奥が、熱い。
峰人は峰人で、首を
顔が
結果、【メモリング】を返さなければという思いだけが、不器用な行動となった。
「……んっ!」
ようやく震える右手をポケットから引っこ抜き、峰人へとぶっきらぼうに突き出す緋瑪。固く握った拳を鼻先に突き出され、峰人は身をのけぞらせた。
緋瑪はもう必死で、ゆっくりと手の平を上に拳を
「これは……ありがとうっ、朱崎さんっ!」
「ひっ! あ、あわわ」
突然手を握られ、その上にさらに手が重なる。
思わず緋瑪は、妙な声をあげてしまった。
しかし構わず、笑顔で感謝を
その時、久々に緋瑪は
「あ、あのっ……手」
「あ、ああっ!? ご、ごめんっ! つい
つつ、と
他者との会話をまともに出来ぬ緋瑪にとって、物理的な接触はもう未知の領域だった。極端に対話が苦手な彼女の、その緊張が
「だ、大丈夫? 保健室いこうか、最近暑いからのぼせたのかも」
「へ、へっ、平気だから……いいから」
なんとか場を
しかし、これでまずは一段落と、内心緋瑪は胸を
逃げるように会話を打ち切ろうとした瞬間、峰人が意外な言葉を緋瑪へ投げかけてきた。
「本当に助かったよ、朱崎さん。こっ、これで二度目だね……助けて貰うの」
「え?」
「うん、ほら……半年前。朱崎さんが転校してきた、冬の。あ、覚えてない?」
「……ごっ、ごめん。わかんない」
二度目? 前にも……助けた? 緋瑪の中で
思案に沈む緋瑪はしかし、残念そうに机に腰掛ける峰人から徐々に離れた。
だが、パンクしそうな緋瑪を峰人は尚も引き止める。
鼻血はまだ、止まらない。
「そっか、覚えてない、か。あ、これの中、朱崎さんは見た?」
チリン、と峰人の【ターミナル】に接続された【メモリング】が鳴った。中身を確認しているらしく、峰人は彼にだけ見える画面に視線を投じて問いかけてくる。
「みみ、みっ、見てない。あのっ、昨日の掃除っ! ……掃除当番だった、わたし」
もし正直に、中身を見たと告げたなら。今、緋瑪が
ただこうして話しているだけで、もう彼女の心のキャパシティは限界なのだから。
「伊勢谷くんの、机の下に、落ちて、た……」
それだけ言って、緋瑪は逃げた。
同時に、教室内はにわかに騒がしくなる。
気付けば他のクラスメイト達も、いくつかの集団に固まって次々と現れた。それを避けるように緋瑪は教室の後へ向う。遠ざかる彼女の後で、思わず手を伸べ立ち上がった峰人は、不意に長身の少年に肩を組まれていた。
「オッス、伊勢谷ぁ! 朝からゲームかぁ? 俺にもよこせよな!」
「あっ、
ゲンコツが峰人の脳天に落ちた。その音を背後に聞いて、緋瑪の足が止まる。
「おはようございます、だろ? なぁにタメ口きいてんだ? あぁ?」
振り向けばいつも通りの光景が、緋瑪の前で繰り広げられていた。ずっと、なんとかしたいと思いつつ……なにもできずに過ごしてきた。峰人は今日も、朝から乱暴者の加賀野に
それは緋瑪も同じで、なかなか具体的な行動には移せなかった。
結局緋瑪は今日も、自分の世界へと
とりあえず日課である生き物係としての仕事をするべく、緋瑪は小さなプラスチックの
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