第4話「ささやかな大冒険」

「待って下さい、マスター! 【ロード・ブライダリア】なんて別にわざわざ話さなくても」

「でもGMゲームマスターなんでしょ? GMってのが、このゲームの管理者、じゃなかったっけか」


 なかば悲鳴にも近い声を叫ぶエンデウィルをかついで、緋瑪ヒメは王城へと足を向ける。


「そんなことよりマスター、マスターの目的とかもですね! 王城は! あの!」

「どしたの? そんなにあわてて……ん? や、やだもう」


 わめくエンデウィルと緋瑪は、自然と言葉をわしていた。一人と一本の奇妙なやりとりに、周囲の視線が緋瑪に殺到さっとう。緋瑪はすぐに卒倒そっとう

 すぐさま緋瑪は広場を後にした。王城へと小走りに、はなやいだ【王都おうとテルアコン】の大通りへとまぎれこむ。周囲の景色は現実感がなく、レンガづくりの高層建築ビルディングが天をく。だが、仮想世界バーチャルリアリティならではの光景を楽しむ余裕はもちろんなかった。


「エ、エンデウィル、もっと小さな声で話して……恥ずかしいから」

「フヒヒ、サーセン」

「え?」

「あ、いえ、あせるあまりログのチョイスを間違えました。すみません、マスター」


 【王都テルアコン】のメインストリートは、真っ直ぐ王城へと続く。緋瑪は道程、おっかなびっくりはしを歩いた。


「ねえ、エンデウィル。あなたの事情は聞かせてもらったけど。わたしにもちょっと、やらなきゃいけないことがあるの。やらなきゃいけない、というか……ちょっと、ううん、かなり気になるというか」

「はい……マスターにもマスターの都合がありますよね」

「そうなの。わたし、人を探してる。だから――」


 つまるところ、エンデウィルはゲーム内の不具合、なのだ。そしてエンデウィルが固定装備として設定されてしまった自分の状態もまた、本来のゲームの仕様にそぐわない存在である。

 つまり緋瑪のキャラクター、セキトはバグっているのだ。

 であれば、最も適切な処置は明白だった。


「GMを通じて、運営チームに報告したらどうかな? ほら、ここに居るんでしょ?」


 巨大な門を守る衛兵えいへいに遮られて。緋瑪は足を止めた。【ブライダリア】をおさめる王にして、【石花幻想譚せっかげんそうたん】の運営をゲーム内から統括とうかつするGM……【ロード・ブライダリア】の居城きょじょうがそびえていた。


「ちょ、おまっ――あ、いえ、マスターそれは」

「ま、短い付き合いだったけど。エンデウィル、ちゃんとなおしてもらえるといいね」


 エンデウィルの言葉をさえぎって、緋瑪は衛兵に話しかけた。門の前に仁王立におうだちの大男は、人間ではなくゲーム内にデータとして存在するNPCノンプレイヤーキャラクター。こちらの問いかけに決まった言葉を返すだけの存在、言うなればコンピューターが演じる脇役わきやくだった。

 これなら自分でも、と思った緋瑪はしかし、鋭い視線で一睨ひとにらみされて言葉を飲みこんだ。


冒険者ぼうけんしゃよ、よくぞ参られた。王城に御用ごようですかな?」


 よくぞと言うものの、全く歓迎かんげいの意が感じられない。

 高圧的な声は、恐らく演出なのだろう。緋瑪は何度も胸中に呟いた。相手はデータ、相手はキャラクター……そうして自分を奮い立たせ口を開いた瞬間、頭上から衛兵の声が響く。


「現在、【ロード・ブライダリア】は【エンシェントハング】の第七次攻略戦へと出兵中しゅっぺいちゅうです」


 緋瑪の脳裏のうりを、瞬時に先程のオープニングムービーがよみがえる。【エンシェントハング】と戦う黄金の剣士……彼こそ【ロード・ブライダリア】だったのかと、緋瑪はとりあえず理解した。

 が、そもそもGMがモンスター退治に明け暮れてていいものだろうか?


「え、ええと、あの……」

「冒険者よ、よくぞ参られた。王城に御用ですかな?」


 現実世界がフラッシュバックした。

 ゲームのキャラクターに過ぎぬ眼前の衛兵に、苦手な他者との人間関係が重なる。


「その、わたし……」

「現在、【ロード・ブライダリア】は【エンシェントハング】の第七次攻略戦へと出兵中です」

「あっ、あのっ! ふ、不具合を……報告、しよ……」


 不意に衛兵の声色こわいろが切り替わった。平坦へいたんで事務的な声は、ゲームの登録時に緋瑪を導いたアナウンスと同じだ。


『【石花幻想譚】をプレイしていただき、まことにありがとうございます。不具合に関するお問い合わせは、ゲームを一度ログオフし、不具合報告フォームからメールにてお願いいたします』

「は、はい……どうも」


 設定された台詞せりふを繰り返すだけのキャラクターを前に、やっと会話を終えて肩を落す緋瑪。気付けばゲームだというのに、緋瑪は手に汗をかいていた。


「ふぅ、びっくりした……でも、管理者自らゲームに夢中だなんて」

「あ、あの、マスター」

「ん? 何?」

「GMには、ゲーム内のイベントを盛り上げるという仕事もあるんです。この【ブライダリア】でもっと勇敢ゆうかん屈強くっきょうなロード・ブライダリア……彼でも倒せない最強の敵エンシェントハングを、プレイヤーに倒してもらおう! という」

「なるほどね。まあいいや、わたしの用が済んだら不具合報告して、なおしてもらおうよ」

「マスター! ……その、マスターの用事というのは、人探しなんですよね?」


 取りあえず緋瑪は、じっと見下ろす衛兵から離れた。そのまま王城の城壁じょうへきによりかかり、溜息ためいきと共にひたいの汗をぬぐう。改めて自分の性格を再確認し、それがゲームのNPCでも同じなのかと落胆に沈んだ。

 しかし、そんな緋瑪が先程から、何故か不思議と普通に対話できる相手が存在した。それは今も、右手の中で言葉を選んでは投げかけてくる。


「私、マスターの人探しに協力できると思います。私はエンシェントハングから分離するまでの、全プレイヤーの会話記録……ログを持ってますので」

「ええと、つまり?」

「マスターがお探しのキャラクターが【ブライダリア】に……この【石花幻想譚】の中にいるなら、必ず誰かと会話をしている筈です。その記録を私は持っているんです」

「ああ、なるほど……」

「お名前はなんと仰るんですか?」

「……ヒ、ヒメ、だと思う。多分」


 改めて口に出して見て、緋瑪は複雑な心境にほお火照ほてった。

 このブライダリアのどこかに、自分の名前を使って峰人ミネトがいる。らしい。


「顔、赤いですよ? あ、マスターもしかしてですか? コレ」

「なっ、別に……何、コレって」

「いえ、済みません。このログはどうも、身体のない私では無意味な言葉みたいですね。小指ですよ、こ・ゆ・び」


 エンデウィルはニヤニヤと笑った。杖である彼女の先端で、はめこまれた石だけが時々光る。それをじっと見詰みつめながら、緋瑪は漠然ばくぜん思惟しいめぐらせた。

 峰人を見つけて、それからどうしよう……自分はなにがしたいのだろう? なんと言ってただすか。そもそも、まともに話すことができるだろうか?

 考えはまとまらず、緋瑪はエンデウィルを持ったまま、ズルズルと背中を城壁にこすけてかがみこんだ。


「マスター、お探しのヒメさんは石の民でしょうか? それとも花の民」

「ええと、何だっけそれ……」


 エンデウィルの声に、緋瑪はゲームの世界へと引き戻された。


「例えばマスターは……ええと、何でしたっけ。済みません、マスターのことは私の持ってるログにはないので」


 緋瑪が意識するだけで即座に、視界内にメインメニューが表示される。レベルや各種ステータスのあたいを読み飛ばし、セキトの名前の横にきざまれた文字を緋瑪は読んだ。


「確か、石の民だっけかな? うん、石の民だ。魂石ジュエルはルビーだって」

「このブライダリアには、二種類の人種が存在します。即ち、石の民と花の民。同じ名前のキャラクターの場合、魂石や魂花フラワーが必ず重複ちょうふくしないようになってるので、それがわかれば」


 それがわかれば苦労はしない。

 【石花幻想譚】では、特定のキャラクターを検索する機能は標準で実装されているから。名前と魂石、または魂花が解っているなら、今すぐにでも緋瑪は峰人を検索して見つけ出せる。


 緋瑪はぼんやりと、先程の衛兵を眺めながら。その直立不動の姿勢をひとみに映しつつ、記憶を掘り返した。

 こんなことなら、峰人の日記をコピーしておくべきだった……そんな考えが一瞬頭を過ぎり、慌てて緋瑪は否定する。ただでさえ今、少しばかり後ろめたさを感じているから。やはり人の日記をのぞき見るのは、められた物じゃない。

 しかし――


「日記と言えば、確か……エンデウィル、ログの内容ってどんなことがわかるの?」

「誰がどこで会話したか、その内容や発言した日時ですね」


 読んだ日記の一部を思い出し、緋瑪はそれに一縷いちるの望みをたくす。


「初心者に親切なヒメ、って特定できないかな?」

「みんな、初心者には親切だと思いますよ……特別な状況や余程のことがない限り、プレイヤーの皆さんは親切です。みんな、いい人ですから」


 やりすぎの人も居ますけど、と結んでエンデウィルが笑った。それはどこか、我が子を自慢する母親にも似ている。この世界のはじまりからずっと、数多のプレイヤーを見守ってきた彼女らしいと、緋瑪もわずかに頬をくずした。

 そして緋瑪の峰人探しは振り出しに戻った。


「困ったな、時間ないし」

「はい、時間がありません。それで、あの……マスターはやっぱり……」

「うん、後で運営チームに報告しようと思うけど。駄目かな? エンデウィルにとっても、それが一番だと思うんだけど。だってわたし、初心者だよ?」

「【エンシェントハング】に触れるだけでいいんです……ゲーム内からなら触れるだけで、私は【エンシェントハング】に再統合さいとうごうされるんですけども」


 それは難しいと、初心者の緋瑪でもすぐにわかった。


「運営チームを通す場合、恐らくゲームを止めての長期メンテナンスが必要になると思うんです。それは手続き上しかたがないですし、手順としては最も適切なんだと思います。でも……私は今、創造主の定めた未来へ向うこの世界を止めたくはないのです」

「でも、倒せないと知らずに【エンシェントハング】と戦ってる人達もいるんだし」

「はい……だから、苦しくて」


 それっきりエンデウィルは黙ってしまった。緋瑪もかける言葉が見つからない。

 物語の結末、データの集合体であるエンデウィルが、まるで人間のようにわがままを言う。自分でもわがままだと知るゆえか、声も出さずに黙ってエンデウィルは震えていた。


「……済みません、マスター。おかしいですよね、私はただのデータなのに」

「ん、まあ。でもデータだからかな? わたし、エンデウィルとは普通に喋ることができるし……それにやっぱり、居てくれたら嬉しいかな。べっ、便利なアイテム? だし」

「マスター、それって……」

「と、とりあえず! もう少し人探し、付き合って。わたしも取りあえずレベルをあげて、やってみるから……さわるだけでいんでしょ? その、【エンシェントハング】とかってのに」

「ツンデレキタコレ! あ、いや、すみません……喜びのあまり、不適切なログが誤爆ごばくしてしまいました。でも、嬉しいです!」


 エンデウィルの笑顔が、緋瑪にはまるで見えるように感じた。我ながらお人好しなことだと苦笑しつつ、エンデウィルを軽く大地に突いて立ち上がる。


「さて、そろそろ宿題を片付けて寝なきゃ。もうこんな時間だし」

「あ、それならお夜食にベコまん! 王都名物のベコまん食べましょう、マスター」

「……嫌よ、夜に食べると太るもの。って、ゲームの中なら関係ないか」


 現実世界と時間が同期しているので、ブライダリアも夜である。乳白色にゅうはくしょくの月明かりに照らされた【王都テルアコン】の街並みに初めて、緋瑪は目を細める。今までそんな余裕は持てなかったが、確かに今自分は異世界の異国にいる……そう実感できるだけの優美な光景が広がっていた


「じゃ、今日はログオフするけど。明日からその、本格的に」

「はい、じゃあまたお待ちしてま――あ、マスター! あっ、あの!」

「何?」

「さっきの話なんですけど……」

「ああ、大丈夫。運営チーム報告とかしないから。少なくともエンデウィルに黙ってしたりはしない。約束する。ふふ、ますます秘密のゲームになっちゃったな」

「そうじゃなくて、ヒメさんです! 初心者に優しいヒメさん! 過去ログの中に、毎日決められた時間に初心者を手助けしてるヒメさんが居るんですけど……」


 緋瑪の鼓動が高鳴った。同時に思い出される日記の一文――


たしか、『今日も初心者の手伝いを』とか書いてた。エンデウィル、それ何時なんじ?」

「毎日夜の七時、場所は冒険庁ぼうけんちょう大掲示板だいけいじばん前です!」


 現実とリンクした時刻の表示を念じれば、もう十時過ぎだ。くだんの表示も今は『サービス終了まであと六日むいか』のまま、夜空に光っている。


「うっ、こんな時間。エンデウィル、とりあえず明日……明日、その冒険庁? とかってのに行ってみる。付き合ってくれる?」

「はい、マスター! よかった、突然ログアウトされてキャラクターを削除されたりしたら、本当にどうしようかと」

「まあ、そんなに切々せつせつと言われると……困ってるみたいだし」


 なにより、こんなに喋ったのも久しぶりで、もしかしたら始めてかもしれないから。緋瑪は再会を約束して、明日の学校にそなえることにした。期末テストは終ったものの、宿題やら何やらで中学生もいそがしいから。

 おやすみなさいと微笑ほほえむエンデウィルの感触が手の内から消えるや、緋瑪は一条の光となってブライダリアの夜空に吸い込まれ……現実世界へと意識が舞い戻った。

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