第3話「ファースト・コンタクト」

 空一面の月明つきかりと、見渡す限りまばゆ街明まちあかり――【王都おうとテルアコン】、中央広場。

 緋瑪ヒメは気付けば、行き交う人々で混みあう広場の中心に立っていた。

 呆然ぼうぜんと佇む緋瑪の前を、誰もがせわしく通りすぎる。ここはもう、間違いなく【石花幻想譚せっかげんそうたん】の世界だった。しかし、仮想現実バーチャルリアリティという実感がないほどに、緋瑪の五感に世界の全てが押し寄せた。見る景色も聞こえる声と音も、確かに感じる。そよぐ風が肌にすずしく、運ばれてくるのは物珍しい食べ物の匂いだった。


 周囲をキョロキョロと見渡みわたせばば、大混雑だいこんざつにぎわっている。容姿ようし格好かっこうは様々だが、目的は初心者の緋瑪にも明らかだった。皆、【ブライダリア】で満喫まんきつしているのだ。ある者は世界の終焉しゅうえんしみながら語らい、ある者は最後の戦いへとおもむく。


「あと一人募集! 攻撃魔法使えて、Lvレベル60以上で」

「来週からどのゲームで遊ぶ? フレンドまるごと移動するっしょ? 安いソーシャルネットゲームねーかなー」

「明日からリアルで忙しいから、今日で最後なんだ。みんな、今までありがとね」

「王都名物ベコまん、ベコまんはいらんかねー! 一つ100フェル、安いよー」

「引退するんでアイテム売ります、見てってください!」

「誰か一緒にBランクで稼ぎに行きませんか? 当方はモノノフ、レベルは――」

 緋瑪はおろおろと立ちつくした。その小柄な身体が、屈強くっきょう鎧武者よろいむしゃに触れる。思わずよろめく感覚も、全て現実世界と一緒だった。辛うじて踏みとどまる緋瑪の耳に、か細い祈りのような声が響く。


「助けて、ください。私を――」

「だ、誰?」


 先程と同じ、消え入るような叫び。

 すぐ近くから声がした。緋瑪が辺りを見回せば、背後で一条の光が天へと走る。

 振り返ればそこには、ログインの光から歩み出た少女が立っていた。その姿は今の自分と同じローブ姿だが、心なしか女性キャラクターなせいか、たけが膝上までと短い。


「あーあ、いまさら新キャラ育てるのも面倒なんだけどな。ま、いっか……ん?」


 少女は振り向く緋瑪に気付いた。

 もしや先ほどの声は……そう思う緋瑪はしかし、突如とつじょ浴びせられるれしい言葉にビックリする。


「アンタも育てなおしするクチ? まー、あと六日むいかしかないけど最後は土日どにちだし。引篭ひきこもって突貫作業とっかんさぎょうで最終日に何とか……って感じだよね。ラスボスのアレ、魔法系で押せばイケるって話もあるけどさ。でもダルいよなあ、それも」


 言葉にまる緋瑪の前で、少女はしゃべり続ける。外見通りのかわいい声とは裏腹に、その言葉遣ことばづかいが違和感を感じさせた。彼女の言うラスボスのアレとは、オープニングムービーで暴れていた白銀しろがねドラゴンのことだろう。


「つーか、公式SNSで有名なプレイヤーも全員やられてんのよ。こりゃ、きっちり対策立てたパーティじゃないと勝てないね。アンタは? 前は何やってたのさ?」

「え、あ、えっと」

「? ……あー、無料ってことではじめた新規しんきさん? まあいいや」


 要領ようりょうを得ない緋瑪に肩をすくめて、少女は一歩進みてて声を張りあげる。


「レベル上げ希望、効率重視こうりつじゅうしで! 【エンシェントハング】攻略用の魔術士マジシャン育てます! お礼は別キャラの装備とお金ってことで!」


 冒険者達の何人かが足を止めた。その何割かが歩みよってくる。一度に大勢の人間の注目を集めてしまい、緋瑪はちぢこまって数歩後ずさった。血の気が引く感触までが再現されて、緋瑪は青ざめる。


「えっと、二人まとめて? 初期キャラ二人抱えんのはキツイなぁ」


 重々しい甲冑かっちゅうに埋まった大男が、強面こわもてかぶとの奥から少女と緋瑪を交互に見る。

 口ごもりうつむく緋瑪と違って、少女の言葉は明朗だった。


「あ、別口で。ってか、知り合いじゃないし。オレだけお願い」

「別キャラの装備って、職業は?」

戦士ファイターだけど。オタクは……重騎士アーマーナイト? かな? 武器や防具のストックだけでも、聞くだけ聞いてよ。結構レアなものもあるし。お金も余ってるから、要相談ようそうだんって感じで」

「わかったわかった。とりあえず話がてら、軽いクエストなら付き合ってやるよ」


 交渉成立、少女は不敵に笑ってこぶしで手を叩いた。もはや緋瑪に興味なしといった様子で、いかつい重騎士を連れて行ってしまった。

 呆気あっけに取られて見送りつつ、緋瑪は打ち切られた会話に胸をで下ろした。

 やはりゲームの中、仮想現実とはいえ相手は人間だから。勝手のわからぬ場所であることも手伝って、緋瑪はむしろ現実世界以上に他人と話す自信が持てない。

 そんな彼女に、先ほどの少女が振り返った。


「アンタも急いでどっかのパーティに混じれば? 時間ないっしょ、あと六日だし」

「えと、その」

「まあ、人のキャラや遊び方にケチつける気もないけどさ。せっかっく【エンシェントハング】の討伐とうばつねらうなら、少し図々ずうずうしいくらいが丁度ちょうどいいんじゃない? アンタもあれでしょ、無料なのをいいことにホイホイはじめちゃって、を狙ってるんじゃないの?」


 目を白黒させる緋瑪は、かろうじて相手の言葉をオウム返しに発する事ができた。


「ク、クリアボーナス?」

「っちゃー、マジで初心者なんだ。めんどくさ……ま、いっか。簡単に言えば、ラスボスを倒したプレイヤーは、このゲームにつぎこんだ時間や、稼いだ経験値、その他諸々……ゲーム内の財産を、現実世界で現金かネット通貨に還元かんげんして貰えるの。わかった?」


 辛うじて小さく頷く緋瑪。やれやれと少女は、隣の男に急かされ再び歩き出した。


「とりあえずアンタ、もう少し使ったほういいよ? なにがしたいんだか知らないけど」


 少女の姿は雑踏ざっとうへと消えていった。

 緋瑪は再び、騒がしい広場に取り残される。

 しかし、彼女は安堵の溜息を零した。

 危機は去った……見知らぬ人間との会話は、現実同様に酷く疲れる。

 あらためて落着おちつきを取り戻し、さてどうしようかと緋瑪は思案しあんした。とりあえずは邪魔にならぬよう、どこへともなく移動する。露店ろてんが並ぶ場所をけ、あらゆる方向からちがう人の波に身を縮めながら……中央にある時計塔とけいとうの下に腰掛こしかけた。

 膝を抱えてぼんやり往来おうらいながめつつ、勝手がわからないまま緋瑪はゲーム終了を……メインメニューを視界に表示し、ログオフの項目へと焦点しょうてんを当てた。

 瞬間、再び耳をつ声に、ハッと彼女は立ち上がる。


「先ほどの方みたいなプレイヤーさんもいますけど、気にしないでくださいね。悪気わるぎはないんです、ちょっといそがしそうでしたし。だから、元気出してください」


 周囲に人影はない。しかし声はすぐ側で響く……確かに聞こえるのは肉声。


「それより、あの、もう少し【ブライダリア】にいてもらえませんか? 私の話を聞いて……できれば、助けて欲しいんです。マスター」


 

 にわかには信じがたい事態に、思わず緋瑪は驚き手をはなそうとする。しかし、右手に吸い付くように全く離れようとはしない。

 簡素な長杖ロッドが今、少女の声で喋っていた。


「え、えっと……ゲ、ゲームだからかな」

おどろかせてすみません、マスター。実際にはこんな仕様は実装されてないのですが、どうやら不測の事態が発生したみたいですね。それで私も今、凄く困っているのです」


 杖がしゃべるたびに、杖の先端せんたんの石が光る。


「まず、驚かせてしまったことと、巻きこんでしまったことをおびします。私の名前はエンデウィル、


 エンデウィルと杖は名乗ったが、それよりも緋瑪が驚いたのは……ゲームのエンディングとは? 今、右手から離れないこの杖が? いったい何を言っているのか、もはや緋瑪には理解不能りかいふのうだった。

 その困惑こんわくが伝わったようで、エンデウィルは順を追って説明を始めた。


「正確には、【エンシェントハング】撃破後げきはごに解放されるエンディングのデータ……それが私。私はこの【ブライダリア】が生み出され、【石花幻想譚】として運営が開始された時よりずっとこの世界を見守ってきました。きたるべき日に備えて」

「ん、つまり……あなたはプレイヤーじゃ、人間じゃないの?」

「定義にもよりますが、【ユニバーサルネットワーク】の中にしか私という存在は観測かんそくできません。私にあるのは目的と、その達成に備える過程で得た知識、経験……強い欲求」

「ええと、ごめん……ちょっと意味がわからな――欲求?」

「目的を達成したいという、強いおもいです。目的自体は私に与えられたモノですが、その完遂かんすいを望む欲求が私にはあります」


 か細い声で頼りなげに、切々とエンデウィルは語る。その言葉の半分も理解出来なかったが、緋瑪は気付けば耳を傾けていた。


「私の目的は、【ブライダリア】の全プレイヤーへと創造主そうぞうしゅの意思を伝えること。それは創造主からたくされた、私の使命。なのですが……今、それが無理な状況へと私はおいやられてしまいました。

「む、無理なの? どうして?」

「本来、私は【エンシェントハング】と同一の存在なのです。しかしイベントの開始時に私だけが突如とつじょ【エンシェントハング】から切り離され、つい先程マスターのキャラクターデータに固定装備こていそうびとして……この杖に圧縮あっしゅくされてしまいました。エンディングのデータを失った【エンシェントハング】は現在、になっていると思います」


 緋瑪は腕組み首をかしげながら、エンデウィルの話を整理してみた。

 ――つまり、エンディングのデータが欠けてしまい、倒せないラスボスが暴れている。


「でも、ええと……エンデウィル?」

「はい」

「このゲームって、もうすぐ終るんでしょ? その、エンディングってそんなに大事?」


 緋瑪の素朴そぼくな疑問に、わずかにエンデウィルの語気が強まる。


「エンディングには、私には創造主の願いがこめられています。同時に、この世界を生きて、生き抜き、生きげる……プレイヤー達への未来も」

「願い……未来……」

「運営チームはまだ、この事態に気付いていません。このまま【エンシェントハング】が倒されない場合、運営期間の延長も視野に入れてます。でも、それでは根本的な解決にはなりません。そこで……」


 エンデウィルが恐縮きょうしゅくするのを、手の内に感じた。

 緋瑪はそっと彼女を地に突き立てる。杖の宝石が頭上から切実に懇願こんがんつぶやいた。


「助けて欲しいんです、マスターに。私を連れて、【エンシェントハング】を目指してください。この世界の、全てのプレイヤーのために……創造主の定めたエンディングのために」

「……というゲームのおはなし、ってことはないんだよね」

「私もなぜ、マスターの杖に圧縮されたのかは解りません。しかしこれは、本来の仕様しようではないんです。だから、その、こんなお願いするのも申し訳ないんですけど……マスターはこの世界に、楽しみに来てる訳で」


 エンデウィルの言葉に、緋瑪は思い出した。この世界に、【ブライダリア】に来た目的を。

 クラスメイトの真意を、こっそりと知るためだが……同時に今、気付けば緋瑪は素直に言葉を交わしていた。不思議とどもることも、挙動不審きょどうふしんになることもなく。

 緋瑪の前に今、困っている人がいる――エンデウィルが人と呼べるなら。

 こんな時いつも、緋瑪はおせっかいな気持ちになる。

 なかなか行動はできないが。


「ん、とりあえず。続き、話してみて」

「はい。すみません、突然のお話で。時間もないんですけど、無理強むりじいもできなくて。この世界は創造主が、娯楽ごらのためにつくられたので……私、その邪魔にはなりたくないんです」

「そう。まあ、私の目的はまた、ちょっと複雑で……あと、そのマスターっての、くすぐったいな。私は緋……セキト」

「申し訳ありません、マスター。私は【エンシェントハング】から切り離された瞬間までの、プレイヤーの会話記録ログにある言葉しか使えないんです。それで、マスターと」

「もっとこう、他に呼び方は――」

「ええと、御主人様ごしゅじんさま、お兄ちゃん、兄貴あにき旦那だんな大将たいしょう、先生……ダーリン、とかどうですか?」


 結局、しぶしぶ緋瑪は今後もエンデウィルがマスターと呼ぶことを承諾しょうだくした。


「まあ、いいか……あ、ちょっと待って、確か。それなら王城おうじょうに行けば【ロード・ブライダリア】って人が」

「え、えと、そそ、それは! ……そんな事よりマスター、レベル上げ! 冒険しま――」


 軽い気持ちではじめたゲームで、何やらスケールの大きな話に巻き込まれてしまったが。緋瑪はエンデウィルで肩をトントンと叩きながら、一肌脱ひとはだぬいでやろうと歩き出す。

 この手のゲームに不慣ふなれな緋瑪でも、適切な対応が一つだけ思いあたるのだった。

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