第4話 屋上の告白
――そしてそれは、ある日の放課後のことだった。
その日ユウは体調不良で欠席した。カイが心配して電話してもユウは出すらせず、一日ユウに会えなかったカイは機嫌を悪くすると共に、少し不穏な気配を感じていた。
だが放課後、ユウの見舞いに行こうと早々に帰宅しようとしたカイは、自身の下駄箱に1通の手紙を見つけた。『放課後、屋上で待ってる』。それだけ書かれたA4のペラペラの紙には名前すら書いてなかったが、カイにはすぐそれがユウの字であるとわかった。
そしてカイが屋上のドアを開けると、沈みつつある夕日を受けて――ユウは腰まであるフェンスから身を乗り出して下を眺めていた。
「そっちは校舎裏だろ。何もないはずだが、何を見てるんだ?」
あえて冗談めかしてカイは切り出す。ユウはゆっくりと振り返る。夕日が後光になりその表情はうまく見えない。
「……カイ君、いえ魔王。なんであなたは、私を……勇者を殺さなかったの?」
ユウの問いはまた前世のことだった。すっかり慣れっこのカイはやれやれと肩をすくめる。
「決まってるだろ、お前が好きだったからだよ」
「でもそれはしばらく暮らしてからのことだよね。魔王の力なら、生まれてすぐ、赤ん坊の頃でも私を始末できたはず……なんで、好きになっちゃうくらいまで生かしておいたの?」
問いを重ねてきたユウに、おや、とカイは思った。いつもならば少しでも「好き」と言えばユウは顔を真っ赤にして慌てふためくはずなのに、今日はやけに落ち着いている。それに声の調子も、人間の感情に疎い魔王には具体的にどうとはわからなかったが、普段と違うように感じた。
少し考えてから、カイは答えた。
「最初のことを言うなら……必要がなかったからだ。転生の禁術によりお前の力の全ては俺に移り、お前は記憶すらないただの赤ん坊だった。殺す必要はないし、殺すにしても記憶が戻った後にいたぶりながら殺す方がよい……そう考えたんだ。だけど、今はもうそんな気はさらさらないぞ」
ユウはまだ俺がお前を殺すなんて思ってるのか? カイは苦笑しながら言い、愛してる恋人にそんなことするはずないだろ、と続けた。それはパフォーマンスの混ざった気障なセリフだったが、彼の本心でもあった。
そう、とだけユウは言った。怒るわけでも否定するわけでもなく、ただただカイの言葉を聞いて受け止めたという印象――それはユウの態度とも勇者の態度とも違っていて、カイは違和感を禁じえない。
「ユウ、どうしたんだ? なんだか今日はおかしいぞ。そもそも体調が悪かったんじゃないのか、なんで学校に……」
「カイ君、もうひとつ聞かせて。なんで……カイ君は、私を好きになったの?」
カイの言葉にかぶせるようにユウが問いを続ける。ユウの声は落ち着いており激しい感情はない。だがそこには有無を言わせぬ圧のようなものもあり、カイは思わず言葉に詰まった。ユウはともかく勇者は、カイがユウを愛することを疑っていたはず。だが今の問いかけはカイの愛が本物であることを前提としたもの――いやあるいは理由を聞くことで本物かどうかを確かめるつもりなのか。いずれにせよ平時の勇者の感情に任せた否定とは違う言葉。カイはひとまずその問いに答えることを選んだ。
「なんで、か……」
なぜ愛するのか? それはカイにとっても自問が必要な問いだった。愛という感情は理屈で成り立つものではない、言葉よりも先に沸き上がるもの――それはカイが実体験で理解したことだ。だがここではあえて言葉にし、並べ立てる。真の意味でユウに、勇者に届けるために。
「……俺はかつて魔王として君臨していた頃から、どこかで愛を求めていたんだと思う。男女の愛に限らず、親子の愛、友情としての愛……つまり誰かから求められ、自身もまた誰かを求める、そういう感情。でも俺は愛そのものを知らなかった、知らないものを求めていたから、どこかで歪み、捻じれ、壊れて……悪になった。魔王になったんだ。だけど転生してこの世界で、ユウが俺に愛を教えてくれた。ただただ勇者の成れの果てと思い、見下し、嘲笑い、蔑んだユウ。だがそれでもユウは俺を慕い、頼った。俺みたいな悪を、ユウは求めてくれた……愛してくれた。そしてやっと気づいたんだ、俺が求めていたものの正体にな。その時に魔王としての俺は滅びた。不思議なことに、力を失ったはずの勇者が魔王をうち滅ぼしたんだよ。今の俺にとっての全てはユウ、お前なんだ。俺はお前を愛してるし、お前に愛されたいと思っている。これは、俺の本心だ」
カイは隠すことなく己の心中を明かした。さすがのカイでも少し照れ臭く感じるほどにユウへの想いを吐露した。思えばユウに対してこうも正直に気持ちを伝えるのは初めてのことだった。
そろそろ夕日にも目がなれ、ユウの表情が見える。ユウは少しだけ頬を赤くして笑いながら――かつ、なぜか悲しげな、複雑な表情をしていた。
「そっか。やっぱりカイ君は、本当に私のことを好きでいてくれてるんだね……八木ユウのことを……そっか……」
そう言ってユウは少し顔をうつむく。カイが何を言っても魔王だ魔王だと素直に受け止めなかったユウが初めてカイの想いを理解した、そのはずだが表情には影が差していた。
カイが何か口を開く前にユウはパッと顔を上げ、薄く笑った。
「カイ君が質問に答えてくれたから、今度は私が話すね」
ユウはそう言ってフェンスに腰かけた。また顔をうつむきがちにし、微笑を浮かべながらも眉には悲し気な色をにじませつつ、語り始めた。
「カイ君、私の名前……勇者だったころの俺の名前を知ってるか? うん……知ってるわけないよね、だってないんだもん。前世の俺は『勇者』、それだけの存在。女神の託宣を受けた子供である俺は生まれた時から勇者だった。もちろんそこに愛がなかったわけじゃないよ、両親は俺のことを息子として愛してくれたし、王様も勇者として俺を褒めて……国の人も師匠も、勇者の俺を認めてくれた。勇者でない俺なんて考えもしなかったし、実際、私は最初から最後まで勇者だった」
その言葉はユウと勇者の言葉が入り混じっていた。ユウ自身それに気付いていないのか、ユウはそのまま続ける。
「勇者の私は小さい頃からずっと訓練と教育の日々を送った……でもそれも辛くはあったけど嫌だとは思わなかった。だって俺は勇者だったから。世界を救う、選ばれた力の持ち主であり、みんなの希望……勇者の使命が、私の支えだった。使命を負った勇者としての責任感が俺にはあった。やがて俺は旅立ち、仲間を見つけ、旅の中でいくつも試練を乗り越え、その度に強くなり……勇者としての使命を果たすため、お前と戦った……」
魔王も初めて聞く勇者の過去。それは魔王を倒すためだけに生きた、けして地獄ではなくとも、どこか物悲しい男の青春だった。
ユウはまた顔を上げた。その表情の悲哀はより色濃くなっていた。
「カイ君は……俺に、勇者だった頃のことを忘れて、ユウとして生きろって言うんだよね。うん、私だってもう……勇者であることに意味がないってわかる。私もカイ君のことが好き、大好き。でも……心の奥で、勇者の俺が泣いているんだ……!」
ユウは胸元に手を置き、ぎゅっと握りしめた。その表情にもはや笑みはなく、悲哀がいっぱいに広がっていた。
「俺が勇者であることを捨てた時……そこに何が残る? ずっとずっと勇者として生きてきたのに。使命のために、使命を果たすためだけに生きてきたのに。目の前に魔王がいるのに、ずっと抱いてきた使命を果たせず、捨てなければならないなんて……!」
カイはユウに言葉を掛けようとした。だがそんな隙もなくユウの言葉はますます強く、早く、悲しくなっていく。
「わかってる、わかってるよ。もうカイ君は魔王じゃない、討つ意味がない。それに私にも力がない、女神の託宣も精霊の祝福も磨き上げた剣術も何もない……魔王を討てるわけがない。もう俺は勇者ではいられない……でも、ずっとずっと、それだけを支えにしてきたのに……今さら使命を捨てられるわけ、ない!」
ユウは悲痛を声に込め、カイへと吐き出した。それは勇者として強く生きた男が初めて見せる弱さ――あまりにも儚い感情。
カイは自身を恥じた。ユウの葛藤も知らず、ただただ恋人恋人と言い続ければやがて勇者と和解し、ユウを真の意味で愛せると考えていたことに心から恥じた。魔王たる己が人の心を理解してないということを、ユウの声と瞳に嫌というほど思い知らされた。
「ユウ……すまなかった。俺はただ、お前を……」
「わかってる」
カイの言葉をまたユウは遮る。今度は悲しみとはまた少し違う――より乾いた、諦めに近い感情のある声だった。
「わかってるよ、私がどうすればいいのか。勇者の使命を捨てるのは辛く苦しいこと、だけどそれも乗り越えて……ユウとしての自分を受け入れて、自分の想いに従えばいい。カイ君を愛したい気持ちに従えば……でもねカイ君。教えてあげる、愛する気持ちっていうのはね、すごく強いけど……すごく、脆いんだよ」
ユウはそう言って――微笑んだ。あまりにも悲しく、空しく。
「この体の中には2人の私がいる。勇者としての私、ユウとしての私……そのどっちも私なの。どちらかを完全に捨て去ることなんてできない。ユウの私はカイ君を愛したいと心から思ってるのに……勇者の私はまだ、魔王を憎んでいる。そしてその逆もそう、勇者の私が魔王を討とうと思っても……ユウの私の、カイ君を好きな気持ちが邪魔をする。どっちも私なの。どっちも、なくならないの……」
悲しい微笑みを浮かべるユウの頬を、涙が伝った。ひとたび流れ出した涙は止まることなく流れ続け、カイに言葉を失わせた。
そこにいるのはユウだった。カイが愛するユウだった。だが同時に、魔王を憎む勇者もまた確かにそこにいた。そして愛は、ユウがカイを愛する心は、僅か一片でも残る憎しみを、憎しみを抱く己自身を、許せなかった。
ユウはカイを愛したい。そう願い、想い、そして――愛せなかったのだ。
「もし、カイ君が……魔王が死んだとして、勇者の本懐がなされたとしても……ユウの私は、好きな人を失ったとしか思えない。どこにも行けない……どうにもならない……辛い。とっても、辛いんだ。自分の心が2つあって、今にもバラバラに引き千切れそうになる。それを抑えるのは本当に、辛い……せめて私の心が2つになったのを、魔王に責任を求めることができたらどれほどよかったかな……誰かを憎んで暴れる心を発散できたら、どんなに楽だったかな。でも違うの。転生に飛び込んだのは私の意思、それでいろんな事故が起きて、今の私ができたのも全部私の責任……私が、悪い……私が辛いのも、全部、私が……」
「……ユウ」
カイは一歩ユウへと近づき、ようやく声を発した。
「どうして言ってくれなかったんだ。そんなに悩んでたなら、せめて俺に教えてくれたら……」
「言えるわけない」
ユウの言葉にカイは怯んだ。愚かな魔王である自分が愛する女を苦しませた、その罪悪感が彼の足を凍てつかせた。それを一生悔やむことになるとも知らずに――カイはユウへそれ以上近づけなかった。
「勇者である俺ができるわけがない、憎い魔王に己の弱さを晒すなど……ユウの私ができるわけない、カイ君にそんなこと言ったら、大好きなカイ君にきっと責任を感じさせちゃう……パパにも、ママにも、友達にも、この世界の誰にだって言えるわけない。私が転生した勇者なんて、信じてもらえるわけ、ない……」
顔を覆い、涙で言葉をつかえさせるユウ。カイははっきりと理解した。ユウをここまで苦しめたもの、それはかつて彼を苦しめ魔王を生んだ感情。
孤独。
ユウは孤独だった。2つの心を持つ葛藤、憎悪と愛情、勇者とユウ、その間に挟まれ、苦しみ、もがきながらも、それを誰にも吐露できない孤独。感情は吐き出されることなくユウの中でくすぶり続け、えんえんと彼女を苦しめていく。勇者として祝福され、仲間に恵まれ生きてきた勇者にとってそれは恐らく人生で初めて味わう地獄だったのだろう。
魔王を憎むこともできず。カイを愛することもできず。誰にも理解されず、ただただ苦しみ続け。出口のない暗闇を彷徨い続けたユウが見つけたのは。
「カイ君。ユウは……勇者ほど、強くないんだよ」
ユウが呟く。さらに続ける。
「魔王。お前の勝ちだ……俺は、もう……」
勇者もまた最後に言った。カイは動かなかった、動けなかった。
ふーっ……っと、ユウは深く息をした。まるで、自分の心に区切りをつけるように。
「ねえ。なんでカイ君は、ただのカイ君じゃなかったのかな。なんで私は、ただのユウじゃなかったのかな……2人はただの高校生で、恋人で。そしたらきっと、幸せだったのにね……」
ユウは顔を上げて、カイを見た。そして。
「さようなら、カイ君……大好きだよ」
最期にユウはにこりと笑った。涙でぐしゃぐしゃの顔で、精一杯、微笑んだ。それはけして、幸福な表情ではなかった。
フェンスに腰かけたユウの体が、ゆっくりと後ろに傾く。
反射的にカイは駆け出していた。心より先に動いた体はユウとの距離を小さくしていく。5メートル、1メートル、50センチメートル――15センチメートル。だがそこまでだった。
伸ばした手はわずか15センチの空間を埋められず、遠ざかるユウの体に届かない。そして再びその距離が広がる――永遠に。
だがその時、カイの体から魔力が放たれる。魔王と勇者の力が混ざったそれは、カイの心を現すように際限なく迸り、ユウの体を包み込んだ。
カイはユウを魔力で引き上げ、屋上の上へ優しく下ろした。
もしもカイが魔王ではなかったら、最後の15センチを埋められず、ユウは落ちていただろう。だがカイが魔王だったからこそユウは自らの身を投げ出した――それはあまりにも悲しい皮肉だった。
放心状態のユウを、カイはしゃにむに抱きしめた。そして何度も何度も謝った。ごめん、お前の苦しみに気付いてやれなかった、俺のことばかり考えていた。俺が魔王だったから、俺が邪悪だったから、お前を苦しめてしまった、ごめんな、ごめんな……
ユウは何も言わなかった。ただただ空っぽの瞳で、空っぽの体でカイに抱かれていた。
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