第5話
ざあざあ降りの雨の日、ルトは、湿気と暑さで本に集中できずに、洞窟から外を眺めていた。
1年間の間に雨の多いこの季節は、湖の妖精であるルトにはあまり苦でないはずであったが、暑いのは苦手であった。
更に、湿気でムワッとした空気が、肌にまとわりついてくるような独特の感覚はルトが洞窟にきてから初めて味わうもので、ルトを不快にしていた。
不快な気持ちをごまかすように、ルトはぼーっとしていたのだった。
足元を何かが通った気がして、ルトははっとする。足元を見ても何もいない。ラウラとルトしか住んでいない洞窟だ、誰かいるわけがなかった。
ふと考える、そういえば、ラウラ以外の動物が洞窟の周りにいるのを見たことがない。
何か仕掛けでもあるのだろうか。
再び、思考の波に身を任せようとしたところ、今度は木の陰で鳴き声がした。
動物を見ないと思ったところだったので、気になったルトは、雨に濡れるのも構わずに木の裏へまわる。
そっと覗き込んでみると、ルトが両腕で抱え込めそうな大きさの白い狐がいた。振り向いた狐は、ルトに気がつくと慌てて逃げようとしたのだが、自分の尾を踏んでつんのめった。ドジなのだろうか?
どこかの鳥と姿を重ねたルトは、狐が逃げ出す前に自分の腕に抱きかかえた。ジタバタ暴れていた狐であったが、
「落ち着いて?獲って喰おうってわけじゃないわ。なんにもしない。大丈夫よ。」
ルトの言葉に、狐は静かになった。
とりあえず、ルトも狐もびしょ濡れだったので、洞窟に戻ることにした。
洞窟に戻って、狐を拭いていると、足に怪我をしていた。
《治って》足に滲んでいた血はまるでなかったかのように小さな白い足に戻った。最後に何かを治したのはラウラが落ちてきた時だったので、うまくできるか不安だったが、何も心配入らなかった。狐は怪我が治ったことに驚いているようであった。
「狐って何を食べるのかしら?これだけ本があれば、どこかに載っているでしょう。」
ルトは本を探すことにした。
その時、本を読み終わった、ヘトヘトなラウラが、飛んできた。
『え??
なんでこんなところに氷狐がいるのよ!
氷狐ってもっと北の土地にいるはずでしょう?
というか、ルト、それ魔物よ!!
成長するとすんんんんんっごく大きくなるんだから!
小さいうちに、自然に返してあげなさい!
大きくなってから噛みつかれたら困るわよ!悪いことは言わないわ!離してあげなさい!』
そう言ったラウラは、本棚の影に隠れるのだった。
ルトは、ラウラに言われてもそんな感じはしなかったし、何より、足を治してあげてから自分にくっついてくる狐が、殊更、可愛かった。
「この子が、ここにいるのもきっとなんか理由があるのよ。
この子はまだ小さいし、1人で北まで帰れるとは思えないわ。
もう少し大きくなるまで、
私が面倒見るし、怪我してもすぐに直せるわ。問題ない。
ラウラに迷惑かけないし、ラウラを食べないように躾もしっかりする。
だから、お願い、この子と一緒にいたいの!」
ルトがラウラに自分の我儘を言うことは初めてだった。ラウラは、初めての願い事を叶えてあげたいと思ったが、狐は肉食で、氷狐といえど例外ではない。特に、氷狐の好物は、鳥であった。ラウラにとって天敵である。
『しっかりと躾けしてよ?私は近寄れないから、ちゃんと自分で世話すること!わかった?』
ラウラは氷狐と目があった。目標に定められた気がしたラウラは悲鳴を上げて洞窟の奥の方へ逃げていった。
「変なラウラ。悲鳴を上げて逃げなくなっていいじゃないのよ。
ラウラはね?私に名前をくれた鳥なのよ。ここの主だから、仲良くね?
あなたにも名前がいるわ、、、、、、、、、ニュイブランシュなんてどう?他の国の言葉で、白夜って意味があって、白いあなたにはぴったり。ただ長いかしら?ブランって呼ぶわ!どう?」
ラウラは失念していた。名前が意味を持つ可能性について。
ブランが『キュイ』と返事をしたのと同時に、ブランは淡く光り出した。光の中から出てきたのは、先程までのブランよりも一回りは大きな白銀の二股の尾を持つ狐であった。
そこで初めて、名が大きな意味を持つものも多くいることを思い出し、やらかしてしまった自分に頭を抱えるのであった。ブランがブランであることは変わりないのだろうが、もう、ブランは氷狐と呼べる存在ではないだろう。
一つため息を付いたルトは、足に体を擦り付けてくるブランをなでてやるのだった。
ルトは、ラウラがくれた氷狐という情報を元にブランについて調べてみることにした。世話をすると言ったのはいいが、何を食べるのか知らなかったからだ。
ドンという音がして振り向くと、机の上に分厚い本がおいてあった。よく見れば、栞が挟まっている。
ルトは笑ってしまった。自分の考えが、ラウラにお見通しだったこと、嫌だと言いつつも、なんだかんだ協力してくれることが、なんだか微笑ましく思えたのだ。
ラウラの挟んでくれた栞を引けば、さっきまでのブランの姿が描かれていた。真っ白な狐には、ラウラの言っていた氷狐の文字が書いてあった。
氷狐が、魔物であり、氷の魔法が得意というのは、さっきラウラが言っていたとおりであった。他にもいろんな情報の乗っているこの本を読み進めていく。
ページをめくった先に、【氷狐は他の魔物同様に、空気中の魔力を吸収して生きているが、肉を食すこともあり、好物は小鳥である。】との表記を見て慌てた。
ラウラが嫌がったことに納得した。近づけないというのも仕方がない。きちんとブランを躾けしなくてはならないと確認したのだった。
「ブラン、あなたの好物は小鳥なの?でもね?さっきも言ったけど、ラウラは大切なのよ。食べないでね?」
ブランは返事をせずに、目をそらした。
ルトはしゃがんで、ブランを撫でながら、
「ラウラは私の大切な人(鳥)なのよ。わかってちょうだい。」
ブランは、撫でられる手から逃れ、そっぽを向いた。
ため息をついたルトは、ブランの頭をガシっと掴んで、自分の方を向かせると、しっかりと目を合わせ、
「ラウラは食べちゃダメ!襲うのもダメ!仲良くしなさい!」
はっきりした口調でブランに言い聞かせた。ブランはまるでしょうがないなとでも言うように『キュイ』と鳴くのだった。
ブランは後に、ルトの心の支えとなり、いつでも、ルトのそばを離れない大切な友人になる。そして、ルトに涼しさを提供することになるのだが、今はまだ誰も知らない話。
ルトはしばらく、苦手な暑い中、ラウラを追いかけ回すブランの対応に追われるのであった。
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