16

 蒸し暑い夜の公園のベンチで、耕輔は早和のことを語った。

 秋里は何かに耐えるように、黙って耕輔の言うことを聞いていた。

 だが、話が先日の不在配達に及んだとき、とうとう我慢しきれずに声を荒げた。

「ちょっと待って。連絡先を知らないって……どういうこと?」

 さきほどから秋里の表情は難しくなり、ところどころで首を傾げながら聞いているのを、耕輔はもしかしたら自分がとんでもないことを喋っているのではないかとヒヤヒヤしながら、たどたどしい言葉を重ねつつ、説明していた。


「つきあっているのよね?」

「いや、そ、そういわれるとそういう関係では……」

 秋里は身を乗り出して詰め寄る。

「好きなのよね?」

「うん、たぶん」

「たぶん?」

「す、好きです」

 絞り出すように言う。

「結婚したい、と思っているのよね」

 耕輔はその眼差しに気おされて、

「いや……そこまでは……どうだろうか?」

 と、またつい正直に言ってしまう。


 秋里の声はけっして高くなく、どちらかといえば低めの落ち着いた声だ。そしてその声で諭すように問いかけられると、声高の人が激昂するよりも張りつめるものがある。


「じゃ何? ちょっといいなと思っている程度の人ってこと?」

 そう言われれば、それが近い。いや、間違いなくそのとおりだ。

「す、すみません」

「呆れた……実家の干物なんていう所帯じみたものを贈るほどこなれた関係なのかと思っちゃったじゃない。普通思うわよ、絶対思う!」

 秋里は憤慨して、畳みかけるように後を継いだ。

「じゃ私は、その程度の人に負けたというわけなの?」

「いや、そ……ういうことではなく」

「なら、どういうことよ? 自分で言うのも何だけど、この十年越しのこの重たーい想いを、私は一体どうしたらいいのよ?」

「いや、君のその気持ちは……その、今まで全く頭に無かったというですかね、きょう初めて知ったわけで」

「つまり?」

「つ、つまり……」

「今まで意識して私のことを選択から外していたのではなく、私のことなんかまったく眼中に無かったということでいいのかしら?」

「いや、そういうことではなく……」

 秋里は暫く黙って考えを巡らせ、

「いいえ、耕輔さんが超奥手の鈍ーい恋愛脳しか持っていなくて、私のことを女としてこれっぽっちも見ていなくて、私の気持ちに全く気づくこともなくて、女としての好意もその逆も、ただ単純に無かっただけなのはわかりきっていたこと……だけど……」

 ぶつぶつと独り言のようにつぶやいた。

「それ、それです!」

 すかさず耕輔が打った相槌に、

「はぁ。あらためて呆れたわ。昔からあれほどアピールしていたのに……」

 秋里は大きなため息をつく。

「私はただの石ころだったのね」

「いや、そういうことではなく、人としての好意という点では……」

「そういうことでしょう!」

 ビシリと自分の膝を打つ秋里。

「は、はい! そ、そうかもしれません……」


 耕輔はぐうの音も出ない。

 やや荒げた声を、呼吸を大きくして鎮め、秋里は再び口を開いた。


「だったら」

「はい?」

「その早和さんにきちんと、好きですと言って」

「は、はい……」

「耕輔さんがどうにかなってくれないと、わたしの……わたしの気持ちがおさまらない」

「で、でも連絡先が……」

「大家さんに連絡先を聞いたらいいでしょっ!」

「あ……」

 その手があったか、と耕輔は自分の間抜けさに愕然とする。

「いい? 明日帰ったら、真っ先にそうしてちょうだい」

「は、はい、わかりました」

「じゃあ、約束」

 そう言うと秋里は耕輔に対して座る距離を詰めてくる。

 間の抜けた顔で耕輔は右の小指を突き出す。

「耕輔さんの莫迦」

 秋里はそれを両手で包みこむように制しておいて――かわりにすっと身を乗りだし耕輔の唇に、その柔らかな唇を重ねた。

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