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 祖父江秋里は耕輔の遠縁にあたる。


 亡き槇雄叔父の妻は名前を春子といい、祖父江はその旧姓である。春子には秋江という実妹がいて、その娘が秋里である。名前を『あきさと』と、名字のように間違えて読まれることが多いようだが、正しくは『あきり』という。耕輔とは二つ違いだから、蕪井姉弟より一つ上の二十六歳、ということになろう。


 春子は未だ健在で、槇雄が生前、市内に買った一戸建て住宅に今も住みつづけている。そして、しばらく前から秋江と秋里の親子はその家に同居している。


 秋江は昔、まだ子供だった秋里を連れてひそかに小田原に移り住んで来た。夫と何かあって離婚し、姉を頼って来たらしい。何があったのかは耕輔も知らされていない。ただこちらへ来たばかりの秋江はひどくふさぎ込んでいて、気うつの病を患っているようだった。当初、秋江は市内にアパートを借りて娘と共に暮らし始めた。『たがみ』の工場でしばらくパートタイマーとして働いていたが、他の従業員と反りが合わなかったらしくすぐに辞めてしまった。


 代わりに、ということでもないのだろうが、何年か経つと秋里が『たがみ』の工場に頻繁にアルバイトに来るようになった。当時秋里は学生でありながら、長期休みになると決まって工場に通ってきていた。耕輔もたまには小遣い稼ぎに工場で働くことがあったが、行けばつねに秋里と顔を合わせた。何が良くてこんな生臭いところに入り浸るのだろう、と耕輔は不思議に思った事がある。学校の部活動にもほそぼそと参加してはいたようだが、どちらかと言えばアルバイトのほうを優先していた。若いのに仕事を厭わずよく働くので、母親とは対照的に皆に好かれた。本来は明るい性格なのかもしれないが、生い立ちのせいか物腰は大人しくてどこか影をおびているところがあった。


 槇雄叔父はそんな親子を陰ながら援助もしていたようで、自分が体調を壊してからは秋江と秋里を自宅に引き取って家族同然に暮らしていた。死期を悟って自分なきあと残された者同士が争うことなく身を寄せ合って共に暮らしてゆけるように、と配慮したのかもしれない。

 もしそうなら叔父の遺志は今のところ守られている。正直、秋江のことを悪く言う者は少なくなかったので、叔父の死後に秋江があの家に入り込んだとしたら間違いなく何処かで角が立っていたろう。

 槇雄叔父は秋江の味方だった。槇雄が秋江のことを「あの人は不憫な人だから」と繰り返し言っていたのを耕輔も耳にしたことがある。叔父夫婦の間には子供が無かったこともあリ、秋里のことも我が子同然のように可愛がっていたようだ。

 秋江も今では気を取り直し、市内のちいさな会社で事務員としてつつがなく働いているという。

 ただ、今も『たがみ』に顔を見せることは滅多にない。


「こんにちは、久しぶり」

 耕輔が声をかけると秋里は俯きかげんで、

「ご無沙汰しています」

 と小さく言った。

 消えてしまいそうな話し方は当時から変わっていなかった。

「そうだ、耕輔が帰って来たことだし、今晩、皆で回転寿司でも行くか」

 と、航が提案すると、嫂の香菜絵もいいわね、と賛成した。

「秋里も行くよな?」

 航が念を押すように訊く。

「わ、私は……」秋里は一瞬躊躇したが、耕輔の方をわずかに見て、意を決したように「い、行きます!」と言った。


 その晩、一家全員で近所の回転寿司に行った。次兄の拓朗一家も合流し、総勢十二名にまで膨らんだ。秋里と春子が秋江を熱心に誘ったらしいが、やはり姿を現さなかった。叔父様の法事には必ず出席します、皆様によろしくと言っておりました、と秋里は申し訳なさそうに皆の前で頭を下げた。


 寿司屋で秋里は耕輔の隣に座り、ビールを酌したり注文をとってやったりと、甲斐甲斐しく耕輔の世話を焼いた。嫂たちはそんな秋里を見てニヤニヤと笑っていたが、耕輔は知らぬふりをして、差し出されるビールをあ、どうも、などと受けつづけた。

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