10
耕輔はクーラーボックスを担いで電車を乗り継ぎ、この日のために予約注文してあった氷を取りに向かった。
氷屋から戻ると早和はすでに帰宅していて、本番の花火開始に向け、準備に余念が無い。しかし耕輔がかき氷の準備を始めると目ざとく気づいて、案の定飛び上がらんばかりに喜んだ。
本当は花火見物の支度がすっかり整ってからと思っていたが、早和が今すぐ食べたい、というので予定を繰り上げてかき氷で一休みすることになった。氷は昼間忙しく働いて喉が渇いている時の方が美味いに決まっている。
「えーと、僕どれにしようかなあ。姉貴は宇治抹茶金時だよね?」
と、取りそろえたシロップの種類を見て善次郎は迷った。
和風ブームという早和はやはり和風な味を選ぶものかと思っていたら、
「わたしメロン味がいい」
それには耕輔もやや意外な気がしたが、
「宇治抹茶金時は浴衣で花火見ながらでしょ」
と言われて納得をした。
耕輔はライム味を選択した。
善次郎は迷いに迷い、しばらく考え込んだ後にグレープ味を選択した。
「やだ、何これふわっふわ。本物のメロンの味がする! おいしーい」
「チョット姉貴、そんなにかき込んだら腹壊すよ。高級な蜜なんだからもっと味わって食わないと……」
「かき氷っていうくらいなんだから、かき込んでいいのよ。ああ、頭キンキン来た」
「ホラ言わんっこっちゃない。かき氷のカキは食うときの作法じゃなくて、氷を掻いて削るからだよ。ですよねえ、耕輔さん」
と、善次郎は耕輔に話を振ってくるが、生真面目な耕輔には確証が持てないままそうでしょうと言いきれない。したがって、
「さあ」
「さあ、って……」
善次郎は項垂れた。
「だいたい氷食べたら頭がキンキンしてなんぼってもんよ。そこがいいんじゃないの」
と早和は、頭をとんとんたたいている。
「無茶苦茶言うなあ。耕輔さんも何とか言ってやってくださいよ」
「早和さん、もうそのくらいにしておきませんか。僕のせいで早和さんが体調を崩すなんてことになったら気になっておちおち里帰りもできません」
「わかった。じゃあ、やめる」
「耕輔さんの言葉はえらい素直に聞くじゃないか」
と、善次郎は却って不服そうだ。
そこへ耕輔の携帯電話が鳴った。
「ああ、砂木さん。どうされました? え? 出勤?」
電話の内容は、先日納品したWEBシステム一式に変更が出たから修正してほしいというものだった。
「お仕事?」
早和が不安そうな顔をする。
「先日納めたシステムにちょっと変更が必要になったんだそうで。何、小一時間もあれば終わります。ネットでできますから問題ないです」
「よかった……」
早和はほっとした顔を見せた。
今回ばかりはノートパソコンの熱がどうだの言ってはいられない。いったん自宅に引っ込んでシステムの変更作業に没頭した。
結局作業には二時間かかってしまい、なんとか片付けて再び外に出て行くと、
「お仕事、終わったの?」
「はい。お待たせしました」
早和は新調したという浴衣に着替え、髪も結い上げている。
これ見よとばかりに袖を擡げて小首を傾げる早和に、
「とてもよくお似合いですよ」
と褒め言葉をかけると、早和はとても嬉しそうに笑った。
「そろそろ始まるわよ」
「はい、こっちもお待たせ~」
善次郎が皿に焼きたてのお好み焼きを乗せて家の中から顔を出した。
香ばしい匂いが漂ってくる。
「うー、美味しそう。善、ビールは?」
「井戸のところにあるから、自分で持ってきてよ。僕、次の焼かないと」
「僕がとってきましょう」
耕輔は善次郎から受け取ったお好み焼きを早和に手渡して、人数分のビールを井戸の盥の中から持ってきた。
「乾杯しましょ。ほら善、あんたも来て」
そうこうしているうちに前方で光の花がパッと開いた。続いてドーンという音が遅れて聞こえる。
「始まりましたね」
「ピッタリじゃない」
三人で縁台に並んで腰掛け、ビールを空けて、
「じゃ、とりあえずカンパーイ!」
色とりどりの光の花が眼前で開き、弾けるのを見ながら、耕輔たちは夏の夜を楽しんだ。
「あたしはね、和風の絵が描きたいの。印度の神様も良いけどね、もっともっと日本の伝統というか、そういうのが描きたいの!」
早和は宇治抹茶金時を片手にいま自分が抱えている思いを主張する。
「だったらクライアントにそういう絵を描いてもっていけばいいじゃないか」
善次郎が窘めるように言うが、
「だって、今のクライアントさんにはそういう需要、ないの知ってるもの」
「じゃあ、他社に持ち込むとか?」
「それでうまく行けばいいんだけどね」
「フリーランスは難しいですよね」
「そう、耕輔さん。よく言ってくれた! 善はそこんところが全く解ってないのよ」
と、すでにほろ酔いの早和は声高に弟を非難する。
耕輔も、客先の自分に対する需要がある日突然なくなるかもしれないという危機感は常日頃から持ちづづけている。イラストレータという特殊な職業の収入については耕輔は詳しくないが、おそらく耕輔よりも厳しいのだろうと想像できる。今だって生活はほぼ弟の善次郎に頼っていると思われる。
「僕もいつまでこんな中途半端を続けていられるか解りません。どこかで妥協しないとならないかもしれませんね」
「耕輔さんは、今のお仕事、続けていくつもりではないの?」
「さあ。軌道に乗れば会社にしてもいいとは思ってますが、自分の知識だけでこの先やっていかれるかという不安もあります。僕の業界は常に新しい技術が出て来ますしね」
「親は結婚しろ結婚しろってうるさいし」
「け、結婚ですか……」
話しがいきなり飛んだと思ったら、早和の目はすでにとろんとしている。
「わたしまだ二十五よ。早いと思わない?」
と、早和が高野豆腐を箸でつまんで耕輔の鼻先に突きつけ、衝撃的なことを告げたので、耕輔は驚嘆した。
「えっ、えっ!?」
「ん?」
早和が不思議そうに耕輔の顔を覗き込む。
耕輔は困ったように、善次郎に顔を向ける。
善次郎はニコニコとして、
「姉貴はまだ二十五ですよ?」
とこともなげに言う。
「そ、それって善くんと同じ歳じゃ……」
以前、善次郎の年齢は直接本人から聞いた。その時の感じからして、耕輔は勝手に早和の年齢を自分より一つ二つ上だと思いこんでいたのだが。
「二卵性双生児なんです。言いませんでしたっけー?」
と善次郎は含みのある笑い顔を向ける。
「そ、そんなん初耳ですよ! そうですか、二十五歳……」
そう言ってしげしげと早和を見ると、
「あ、なんかわたし見てなんか思ってる。おばんくさいとか思ってる」
三白眼でじろりと耕輔を睨みつける。
「お、思ってませんよ!」
「本当に?」
「ほ、本当です」
「うー」
「……似てませんね」
「二卵性ですからね。僕はどちらかというと親父似で姉貴は母親似なんです。母もそりゃあ美人ですよ。ちなみに僕ぁシスコンでなくマザコンてやつです」
「自分からそんなこと言う?」
と早和は弟を叱責する。
「あはは。ついでにもう一つ、耕輔さんに教えといてあげます」
「な、なんです?」
まさか早和の年齢以上に衝撃的なことではあるまいか、と耕輔は固唾を呑んだ。
「親父の名前もコウスケってんですよ。字は違いますけどね。健康のコウに介助のスケ。健康なのに介助が要るんですよ。ふふふ。親父も苦みばしったいい男ですよ。まあその先は言わずとも察しておくんなさい……」
「お、おくんなさいって善くん、それはどういう……」
「ち、ちょっと善何言ってんのよっ! ファ、ファザコンとかじゃないからわたし!」
「耕輔さんがうちの入婿になったら蕪井コウスケが二人になっちゃいますね。あっはっは」
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