7
外でハンバーガーを食べてきたというのに、なぜか無性に腹が減っていた。
耕輔は、炊飯ジャーにわずか残っていた、固くなりかけの昨日の白飯を茶碗に盛り、生卵を入れて食べた。相変わらず油蝉が騒がしく鳴いているのをどこか平穏な気持ちで聞きながら、飯を一気に掻き込んだ。ここ数日でやっとまともな食事を味わった気がしていた。
たとえ偶然が生んだアクシデントだったにせよ、おかげでまた早和とふつうに接することができそうな兆しが見えたのは良いことだったのだと思う。
惜しむらくは何一つ自分から事態の解決のために働いていないことであるが、たとえまた同じようなことがあっても、もう二度とこんなふうに意味もなく外出するのは止そう、と固く心に誓った。そんなことをしたところで何の解決にもならない。
それと同時に早和の安心したような笑顔を思い出し、心の底でチリチリと疼くような甘美な感触を覚えたのは、否定できないことであった。
日は沈んでも気温は一向に下がらない。暗くなって尚、表ではつくつく法師とみんみん蝉が派手な合唱を繰り広げていた。体中が汗でベタベタするのをどうにかしようとして風呂場で水を浴びると少しは涼しくなったが、いくらか暑気に当たったものか体も頭もなんだか怠くて動けなくなってしまった。
蚊帳だけどうにか吊って、もう寝てしまおうと準備をした時に、善次郎がまた困ったような顔をして現れた。
「今度は何を言ったんですよもう」
もう、という語尾に若干の非難含みがある。
「もう、じゃありませんよ。僕だってもう善くんの言うことは聞きませんよ。これ以上振り回されるのは真っ平御免だ」
「ありゃ、こっちもだ」と、善次郎は目玉をくりくり動かした。
「こっちも、とは?」
「うちの姫は今日もまた偉いおかんむりで」
「えっ、やっぱり怒ってるんですか?」
「怒っているというか、えらい鼻息です。敵の大将討ち取ったり、みたいな」
「ああ……」
「心当たりがありますか」
「討ち取られました」
「そですか……」
耕輔がことの経緯を話して聞かせると、善次郎はウンウンと頷いて聞きながら最後に一言、
「そういうことならまあ、概ね良い方向に転換したんじゃないすかね。言うこと言ってスッキリしたというか」
「そうなんですかね?」
「そういうことにしときましょう」
「しかし、早和さんの真意は一体どこにあるのか……」
「そりゃ、姉貴の言葉通りなんじゃないすかね」
「言葉通りとは?」
「耕輔さんがパンツ一丁だろうが、汗臭かろうが姉貴は嫌じゃないってことです」
「またそんな焚き付けるようなことを言う。善くんが勝手にそう解釈しているだけでしょう。こないだのことだって……」
考えてみれば先日の『自重してください』の一言を早和が曲解して落ち込んでいるなどと勝手な解釈をしたのは善次郎であって真相は藪の中だ。耕輔が妙な行動をするに至ったのは善次郎のその勝手な解釈が原因なのである。早和自身がそう言ったわけではない。耕輔には、早和はもう少し違うことで落ち込んでいたように思えてならないのである。
「何を仰る兎さん。これは僕の憶測なんかじゃなくて客観的な事実です。耕輔さんだってしかと聞いたじゃないですか。姉貴の寝言」
「うむむ」
「あれを毎日聞くほうだって、悶々としますぜ、旦那」
「誰が旦那ですか」
「えっへっへ」と揉み手をする。
「……妙な小芝居を」
あの寝言をどう解釈したものか、それだけはいまだに答えが出せない耕輔であった。
「まだ続いてるんですか。その……」
「ああ寝言? あれ、言われてみれば確かにここ何日かはないですね」
善次郎はポリポリと左の二の腕を掻いた。同じ場所を先程から頻りに掻いているので蚊にでも喰われたのではないかと、黙って痒み止めを渡すと、どうもすいませんと受け取って腕に塗りたくり、フーフーと息を吹きかけた。
「はー。スースーするー」
弛緩しきった善次郎の小憎らしい顔を見て、二度とこの男の言うことなんぞに耳を傾けまいと誓う耕輔であった。
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