第6話 具なしの味噌汁
キヨミの湯の二階に上がると、清と汐実が暮らす部屋があった。濡れたドレスから清から借りた服を着ている曖は、炬燵で体を温めていた。
「はい、どうぞ。おいしい味噌汁よ。味噌汁は毎日しーちゃんが作ってるの」
「ありがとうございます」
熱々の味噌汁を啜った。おいしい。あの言い草だと、あの人が作るこの味噌汁にはだいぶこだわりがあるのだろう。そのこだわりがあるからこそこの味噌汁は芯まで温まる。
曖は実家のあるS町から電車で二十分かけ、K町にあるキャバクラ”Jerry”に通っていた。両親には、夜仕事が多く稼げるからといった理由で、午後から居酒屋でバイトしていると言っている。学校には通っていない。曖もただ稼げるから、という目的のためにキャバクラで殿方に接待を行っていた。午前一時頃に仕事を終え、始発の時間になるまで友人である咲の家に泊まっていた。
キヨミの湯には出勤前、週に二、三回ほど通っていた。キヨミの湯を初めて知ったのは、咲からの誘いであった。K町には変わった銭湯があり、そこの湯に浸かると魂が抜けるように気持ちいいと聞き、入浴したところその通りであった。その抜けるような心地よさが癖になり、頻繁に通っていた。曖のバッグにはかさばるほどの化粧道具と簡易な容器に入れた、愛用の入浴道具が入っていた。巷の入浴客には、“夕方になると美人が入浴に来る”と噂が立っており、曖の変身前の姿を見るためにキヨミの湯に来客する者も少なからずいた。Jerryの客が通っていることもあり、キヨミの湯の客が一部Jerryにも通っていることもあってか、曖はそこそこ人気の嬢であった。
「そろそろしーちゃん来ると思うから、落ち着いて話してみて。あの子は用心深いけど、無下に扱うような子じゃないから」清は湯呑に入ったお茶を飲み干し、自身の部屋に戻った。
なぜ、さっきあのような提案をしたのか?と、清に尋ねようとしたが、聞くことはしなかった。引き戸を開けたのが清だとするならば、何かを察しているのかもしれない。あえて言わないことをわざわざ聞くのは野暮だ。掛け時計を見ると、時刻はたった今、午前三時を過ぎたころだった。階段からゆっくりとした足音が聞こえた。
「味噌汁」
「え、ああ、ごちそうさま。美味しかった」
「座ってて」立ち上がろうとした曖に汐実は一言声をかけ、曖の使用した食器を洗い始めた。
「あ、ありがとう」
「いちいちお礼言わなくていい。おばあちゃんみたい」
そう言われた曖は少しムッとした。「あの、良いことしてもらったらお礼は言いたいの。そのお味噌汁、あなたが作ったんでしょ?」
「俺が作ったのは具なしの味噌汁。これは豆腐とわかめが入った具入りの味噌汁。具が入ったらそれは俺の味噌汁じゃないよ」
この人は少し面倒くさそうだ。でも味噌汁はおいしかった。
「このお味噌汁はお出汁から取ってるんでしょ?」つい、キャバ嬢としての接客スキルが出てしまう。いつものように何の気なしでそう言ってしまった。すると汐実はそれにまんまと反応してしまった。
「分かるの?」汐実が台所から曖が座っている居間を振り向いた。
「おばあちゃんが言ってたんじゃないの?」すぐさま台所に目線を戻し、食器の水気をタオルで拭き、棚に戻した。
「実家もお味噌汁は出汁から取るのよ。手間はかかるけどその分美味しくなるのよね」インスタントの味噌汁も手間いらずですぐ飲めるが、やはり一から作った味噌汁が格別だ。
「で、君の悩みは」汐実がお茶を置いた。
「ありがとう」曖はそう言った後すぐに汐実の顔を見た。しまった。また面倒なことを言われる。そう言われる前に今日の衝撃的な出来事を話してしまおう。
曖は汐実に、ごく自然と、あの時に目の当たりにした惨状を話し始めた。
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