再会

 うつむいたままの僕を、マスターは何も言わず待ち続けた。しばらくすると、足音が少しだけ遠のいてピアノの音が聞こえる。ふと顔を上げた僕をピアノへと促す。

「この喫茶店はね、みんなで音楽を楽しめるようにと作ったんだよ」

なんだか今なら素直に弾ける気がした。

 いつものようにクラシックを弾きながら、手をピアノになじませていく。一度だけゆっくりと深呼吸をすると、彼女がせがんだあの曲を弾き始めた。しばらくするとバイオリンの音が聞こえてきて、危うく手を止めそうになる。手を止めないように視線を鍵盤から上げると、マスターが隣で弾いてくれていた。曲が終わった時には、店内にいたお客さんから拍手が上がった。

「唯ちゃんが気に入ったのは、この曲だったか」

「クラシックしかやってないって言ったら、これだけでいいから弾いて欲しいと言われたんです」

二人で笑いあっていると、店の扉の開く音と賑やかな声が聞こえた。

「あれ?お前こんなとこで何してんの?」

「それは僕のセリフっていうか……出合頭にそれは失礼だろ」

マスターはその様子を見守るかのように、カウンターへと戻っていった。

「音原くん、ここはジャンルの括りなんてないから好きに楽しんでいいよ」

「あ、はい」

せっかくだから、当時咲良に聞かせてやった曲を弾いてみる。ピアノソロのクラシック、弾きなれた曲。

「なんだ、やればできるじゃない」

そう言った桃井はバイオリンをケースから出すと、音を合わせてきた。あの当時「いっしょに音楽をやろう」という咲良を避けるかのようにソロ曲ばかり選んできた。気持ち次第で曲のそんな指定はどうにでもなるだなんて、知らなかった。

「なあ音原、楽譜渡したらすぐ弾ける?」

満面の笑みで楽譜を漁りながら準備をする友人の姿に、なんだか楽しくなってくる。

「すぐはきついんじゃないかな」

苦笑いを浮かべる僕に、マスターからのアドバイス。

「コード追うくらいでもいいんだよ。ジャズはそこまで明確なきまりはないからね」

「まあ、そのくらいなら」

どさっと紙の束を出す高木と、文句を言う桃井。

「この光景、咲良に見せたいな」

そう呟く僕に、ふてくされた咲良の声が聞こえた気がした。

 みんなで何曲か楽しんでいると、常連であろうお客さんも混ざってきてセッションは広がっていた。音楽が楽しいなんてことは随分久しぶりで、こんな感覚忘れかけていたな、なんて悠長に考えた。きっと最初に僕と咲良が出会った時、母が教えてくれた音楽はこんな風に楽しいものだった。

 日が傾いてきた頃、僕は一つお願いをした。

「あのさ、この後少し、散歩に付き合ってよ」

咲良に会いに行きたいと思った。今なら会える気がした。


 みんなで学校の前の桜並木を歩いてみた。あの日の桜を見上げていると、聞きなれた声が聞こえた気がして見渡した。

「だから言ったでしょ?音楽はね、楽しんだもん勝ちなんだよ」

それは咲良の声だった。

「ああ、そうだな。遅くなってごめん」

そう呟く僕に、彼女が微笑んだような気がした。

 もう二度と会えないような気がしたけど、いつでも会えるような気もした。

 きっと忘れることはできないけど、それでいいんだと思った。


「ほら、置いてくよ?」

彼女が繋いでくれた友人たちが笑うこの空間を抱きしめて、彼女がいない未来を生きて行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花の音がきこえる 葉月蒼依 @littlearis_yu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ