はじまりの音
桜はもう満開を迎え、ここ数日の雨によって散りはじめているような頃、桜の木の下には以前会ったあの人とは違う子が立っていた。
「ねえ、あなた音原くんでしょう?」
僕の名前を呼ぶこの人のことは見たことがあるような気がした。
「私のことは、覚えてないかな。まあ、覚えてなくていいんだけど。」
「ごめん、見覚えはある気がするんだけど。」
そう言うと「上等なんじゃない?」なんていいながら苦笑いをされた。
「まあ改めて名乗っとく。私は桃井琴音、唯の幼馴染で……」
そこまで言ってからまずいという顔をして口をつぐんだ。
「……ごめん。」
「いや、大丈夫。」
そこまで気にされると、逆に困る。そう言うと「そっか」と呟いてから、また話を始めた。
「いつも君、ここにいるから。唯かなって思って。」
「咲良はもういないだろ」
「この学校さ、唯が目指してた高校なんだよ。私は普通に公立に行くつもりだったんだけど、唯の、唯があんなに行きたがった学校が知りたくて。」
反応に困る僕から視線を桜に向けると、話を続ける。
「唯さ、この学校の桜並木が好きなんだって。「高校に入ったら、毎日桜並木を登校するんだよ!」なんて言ってた。桜が咲くのは春だけだよって言ったらね、あの子なんて言ったと思う?「咲いてる時の桜だけが綺麗なわけじゃないんだよ」って、そう言うの。」
僕もつられるように桜を見上げる。
「あの子体が弱くてね、スポーツも好きなのに出来なかった。バイオリンだけが支えだった。でもね、君のピアノ聴いてから、彼女変わったの。」
「僕の?」
特にいつも賞をとるような上手なピアノではなかったし、何かを与えるほどのものがあるとは思えない。
「そう、君の。君のピアノの音はいつもさみしそうだって言ってた。あの音を、明るい音にしてあげたいんだって。」
自分から楽しくて弾いていたわけでもないピアノが、きっと明るい音を奏でるわけがなかったのだと思う。
「そりゃあおせっかいなこって。」
「そう、とってもおせっかい。でもね、唯は本気だったんだよね。」
それから会うたびに、僕の様子を話していたのだという。「今日は少し心を開いてくれた気がする」とか「今日はなんだか機嫌が悪そうだった」とか、そういうこと。
「私は去年、入学式の日、ここで唯に会った気がしたの。」
その言葉に僕は、なぜだかすごく動揺した。
「だから君も、会ったんじゃないかと思ったんだ。勘違いかもしれないけど」
僕の記憶の彼女を絞り出す。もともと人の顔を覚えるのが得意じゃない僕だから、いつも聞いてた声はなんとか思い出せる程度で。でもなんだか、この人にはあの日のことを話さなければならない気がした。話をしようとして言葉を探していると、先に声をかけられた。
「もし嫌じゃないのなら、私のところでピアノを弾いてくれない?」
「え?」
それは唐突の誘いだった。
「今答えなくてもいいよ。放課後、2Cの教室で集まってる。音楽愛好会ってことで登録はしてるけど、今三人しかメンバー居なくて。」
迷っている僕を尻目に言葉を続ける。
「無理強いするつもりはないし、嫌なんだったら来なくてもいいよ。ただ、音楽が少しでも君の答えになるなら来て欲しい。言葉にできなくても、多分、音楽に乗せてくれれば聞こえるよ。私にも、唯にも。」
少しだけ、時間が欲しい。かろうじでそう答えると、彼女は「そろそろ遅刻しちゃうしね、行こうか。」そう言って歩き始める。なんだかそれは、桜の下のあの人と少し重なって見えた。
そのまま授業には出たものの、上の空のまま半日が過ぎた。お昼になっても食事をとらずにいると、友人に声をかけられる。いつも通りを装っているが「心配してます」と顔に書いてあるみたいだ。
「飯は?」
「食欲ないしいいや。」
いつもなら言わないような発言だった。全て穏便に済ませたくて、誰かの誘いを断ったり自分から主張することはなくなっていた。なんだか食欲はおろか、状況やら何やらと考える気力すら起こらなかった。
「お前マジで大丈夫か?今日おかしいぞ。」
「そうか?」
悟られたくなくて、何もないフリをする。
「ここのところずっとおかしいけどね。」
切り替えがうまくいってないことには、気づいていた。見ないフリや考えないフリをしていても、結局頭から彼女のことや朝のことが離れないでいた。「なんかあったら言えよ?」そう言う友人に短い返事を返すと、イヤホンをして音楽をかけた。音量は大きめにして周りの声が聞こえないくらいに、あとは机に突っ伏して何も聞かないフリをした。
そのまま午後の授業中はずっと眠っていたらしい。起きた時にはもう、空が少し薄暗くなっていた。
夢の中で懐かしい声を聞いた気がした。奏弥くんは変わらないね、なんだかいつも悲しそう。どうして楽しまないの?間違ったことしてないのに、楽しまないなんて損だと思わない?
「音楽は楽しんだモン勝ちなんだよ」
なんども聞いたフレーズだった。無意識のうちに口に出せるくらいには染みついてしまっていた。帰らなければとイヤホンを一旦外し、帰り支度をしようと頭を起こすと、隣の教室から音楽が聞こえてきた。そういえば2Cにいると言っていたっけな。そんなことを考えながら耳を傾ける。少しちぐはぐなジャズの曲にリードが足りないなとか、ベースが勝ちすぎだとか声に出さずにツッコミをいれる。
「三人でやってるんだっけ」
そんなことをつぶやいて、帰り支度を進める。教室を出ると、隣の教室のドアは開いていた。そりゃあしっかり聞こえるはずだと息をつくと、話し声が聞こえてきた。
「そういや桃井、何で今日キーボード出してきたんだ?」
「え?」
「珍しく耳でチューニングしてるし」
「確かに普段「レッスンの時にしっかりチューニングしてるしずれてないはず」なんて言ってチューニングしないよね」
「うるさいわね、気分よ」
そう言って一人、バイオリンを奏で始めた。
彼女は本気で僕が来るのを待っていたようだった。もう誰かの為にピアノを弾くのはやめるつもりだったのに、彼女の音は何かを待つように、そしてどこか物足りないというように音を奏でていた。
ピアノは弾かない、断わりをいれるだけだ。そう言い訳をしながら足はその音の元へ向かっていた。
「来ると思ってた」
そう言う彼女と、他の二人の顔を見渡す。二人とも見知った顔だった。
「え?お前ら知り合いなの?」
一人が困惑をあらわにすると、もう一人が声を発した。
「確か中学一緒だったと思うけど。他は……」
そこまで言うと口をつぐんだ。彼はきっと何か知っているんだろう。
「僕はもう音楽はやらないよ。って、言いに来たんだ。」
珍しい自己主張。二人とも表情に出さないようにしているものの、何か言いたげな様子は隠せていなかった。
「じゃあ最後でいいから。一曲やっていかない?」
「え、だから今」
「いいじゃない」
半ば押し切られるように、キーボードのところへ連れて行かれる。今だけは逃さないと言わんばかりの気迫に、諦めて椅子に腰掛ける。
「教室だからやりづらいかもしれないけど、許してね。」
提示された曲は、彼女の、咲良のために練習した曲だった。リードの甘い部分、音の足りない部分を気にしながら、音を重ねてやる。そうして、最後のセッションは終わった。
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