第2話 感謝の代わりに花束を
定年を迎えるにあたって、決めていたことがある。仕事仕事で家族すらも顧みることのなかった私のせめてものケジメとして、感謝のしるしに何か贈ろうと。
例えば何があるだろうか。妻は確か甘いものが好きだったような記憶がある。娘もきっと好きだろうか……。ならばケーキなどはどうだろう?いや、たまには料理でもしてみるべきだろうか。家事を手伝うといい、という話も聞いたことがあるが、慣れない私がやった所で邪魔なだけではないだろうか? そんなことを考えていると、一つのポスターを目にした。
「感謝の代わりに花束を」
日頃の感謝の気持ちを込めた花束を贈るというものらしい。確かベランダにはいくつか鉢植えを置いていたし、グリーンなんちゃらと言って庭でも家の中にも植物があったような気がする。妻は花が好きなのだろうか?そんなことを考えながら、ポスターのあった花屋へと引き込まれていった。
「いらっしゃいませ」
そう言うのは娘と年の変わらないであろう女性だった。
「定年退職をしたのだが、妻へのプレゼントに悩んでいる」
そう伝えると店員の女性は「少々お待ち下さい」と言って、足早に店の奥へと向かった。一輪の花を持って帰ってきた女性が持つ花に見覚えがあるような気がするものの、花には無知な私にはそれが何という花なのかは分からなかった。
「これはポピーという花なのですが、沢山の色があって見た目にも華やかですから花束には映えますし、何よりポピーの花言葉は「感謝」なんですよ。」
なるほど花言葉というのは考えたこともなかった。もし妻が花が好きだったとしたなら、花言葉も知っているのだろうか?
「赤いポピーは感謝を、黄色のポピーは成功を、この色はオリエンタルポピーと言って優しい愛を意味するんです。」
「この白いものは……」
「白のポピーの花言葉は忘却なので、プレゼントにはあまりオススメしていませんが……」
同じ花でもいろによって花言葉が違う上に、ものによっては逆の意味を取ることすらあるらしい。
「それじゃあ、白以外のこの花で花束を作って貰えるだろうか?」
「かしこまりました」
そう言って女性が作った花束は、小さくて優しい、それなのに鮮やかに笑顔が咲くような花束だった。笑顔が咲く、というのはこういう事なのかと、私はこの年になって初めて知った。
「これは……妻に似ているな。」
そう言って笑う私に、女性は「きっと奥様も喜ばれます」そう微笑んだ。
帰宅して花束を差し出す私に、妻は心底驚いた顔をした。
「私は今日で定年だろう」
そう言うと、妻はポピーの花に似た笑顔を咲かせてこう言った。
「世界中探しても、こんなに優しく綺麗なポピーは見つからないでしょうね。」
感謝の言葉を伝えることは、口下手な私にはとても難しいことのような気がしていたが、花というものは言葉よりも気持ちを語るらしい。
「今まで沢山世話をかけた。ありがとう。」
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