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「さて、佐倉の頼みを引き受けたのはいいわけだけど……」
翌日、いつものように椅子に逆向きに座った藤が、ちょうど真後ろにある自分の机の上を陣取って紙パックのレモンティーを啜っていた。
「改めてリスト見返してみたらさ、お前と同じくらいの身長で憂い気な表情のヤツってピンと来ないんだよね。いや、それでも候補は数人いるけれどさ」
大きなため息を吐きながら、藤はそんな事を呟いた。
「その『リスト』ってのは何なんだ」
「企業秘密」
言いながら藤は頬杖をついて窓の外を見た。
「とりあえず昼休みに一通り当たってみるからさ、頼むぜ『物差し』係」
「分かった」
そして昼休み、2人で学校中を歩き回った。
下級生から上級生の教室。部活の自主練現場。図書館など――候補は全部で五人だったが、藤はそれぞれにいつもの愛想笑いを浮かべながらそれとなく理由をつけて、自分とのツーショット写真をスマホで撮影していった。
それから連絡を取って放課後、自分達は誰もいなくなった教室で落ち合った。
「――違う。この人でもない」
藤のスマホを覗き込みながら、佐倉女史は首を横に振る。栗色のウェーブの髪が一緒に揺れて、桃のような香りがふわりと辺りに漂った。
「うーん、そっか。アテが外れたなぁ」
藤は参ったような表情で、スマホをポケットへとしまった。
自分は何をしたという訳でもないのに、申し訳ない気分でいたたまれなくなる。
「悪いね。忙しい時に無駄手間を取らせちゃって」
「ううん。お願いしたの、あたしだから」
彼女は口でこそそう言うが、表情はやはりどこか残念そうに陰って見えた。
「可能性ありそうなのって、これで全員だったの?」
「残念ながら。候補から外したけれど、同じくらいの身長ってヤツらなら他にもいるけど……海道みたいなゴリラばっかりだぜ?」
「失敬な!」
ナチュラルに蔑まれて、流石に憤って藤の頭を小突いた。
「あはは、仲良いんだね、2人は」
そんな様子を見て、佐倉女史は小さく噴き出したような笑みを浮かべて見せた。
「もともと曖昧な記憶が頼りだったし……見つからなくっても仕方ないかなとは思ってたんだよね。もしかしたら身長も、意識していたのと全然違ったのかも」
「とりあえず今後は『海道と同じくらい』だけじゃなくって、プラマイ10センチ……いや、15センチくらいまでは対象を広げて当たってみるよ」
「ありがとう。でも、あんまり無理しないでよ? 海道君からも、その、何か頼み事があったんでしょ?」
言いながら、佐倉女史はおずおずと自分の顔を覗き込んだ。
「あー、こっちはほぼ終わってるんだ。後はコイツ次第――って、痛ってぇ!」
余計な事を口にしたので、もう一度頭を小突いてやった。
「ちなみに誰なの? 海道君のお目当ての相手って」
佐倉女史が瞳を輝かせながら自分の方へと詰め寄った。
古今東西、色恋沙汰の話が好きなのは女性の常なのか。桃の香りがより強く香ってきて、自分は思わずおじ気づいたように後ずさる。
そうして開いた間に、彼女は一歩、さらに一歩と足を踏み出してきた。
「合唱部3年の東條だよ。歌声に惚れたんだと」
「え~、あの東條先輩!?」
「藤、貴様ぁ!」
代わりにあっけらかんとして答えた藤に、自分は言葉にならない雄たけびを返す事しかできなかった。顔がポッポと上気して、首のうしろがジンジンと熱くなってくる。
「ひゅぅ。あの難攻不落の城に挑むとは、やるねぇ、海道君」
「それは、その……」
意地悪な笑みを向けてくる佐倉女史に、返す言葉はない。
「でも、海道君、眼鏡取れば意外とイケてるような気もするよね」
「それは俺も思うんだけどさ。こいつ、ド近眼だからダメなんだ。コンタクトも嫌うし」
「目に直接何かを入れるなんて、そんな恐ろしい事できるわけがない!」
「え~、でもあたしもコンタクトだよ?」
そう言って、佐倉女史は下瞼を人差し指で引っ張って見せた。
「でも、東條先輩の事、本気なら急いだほう良いかもね。年が明けて3年生が自由登校になったら、先輩もうイタリアに行くって話だし」
「そ、それは本当か!?」
ようやくしっかりとした言葉が口から出て、同時に佐倉女史の両肩をがっちりと手で掴んていた。小さくて華奢な彼女の肩が、驚きでビクリと揺れる。
「た、たぶん。合唱部の友達にそう聞いたからさ……海道君、痛いよ」
「あ、ああ、すまない」
言われて慌てて手を放し、佐倉女史に頭を下げた。
しかしながら、年明けに居なくなってしまうというのは大問題だ。
これからの夏本番はインターハイで忙しいし、それが終われば秋の新人大会だ。つまるところ、年末まで空手漬けで時間がない。父や祖父がそんな時間を許してはくれない。
しかし、年末に想いを伝えたとしよう。そしたらどうだ。もしも仮に、万が一にも、何かの手違いがあって、色よい返事が貰えてしまった場合――
「――愛を育む時間がないではないか!」
思わず、声に出して叫んでいた。
両手を天に掲げて、身体をわなわなと震わせながら叫んだその姿を、他の2人は口をあんぐりあげて見つめていた。
が、藤はすぐにふんと鼻を鳴らすと、ニヒルな笑みを浮かべながら自分の肩をポンと叩いて見せた。
「じゃあ、やる事は1つ……だろ?」
そのどこか物言わせぬ迫力に、自分は思わず頷いてしまっていたのだった。
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