五章 掬い上げる者、救う者

 無断欠席は御法度というのが朝代北高校のルールである。

 無断遅刻でさえ強く注意される。朝のホームルームのチャイムまでに教室に滑り込めなかった場合は、どんなに言い訳をしても職員室に遅刻届を書きに行かなければならない。

 欠席する場合は必ず職員室に連絡を入れること。その手順を踏まなければ内申点に響くとあって、生徒は皆この重大さをよくわかっている。

 よって、無断欠席をした生徒は、よっぽどのズボラか、とてつもない事情を抱えているものと見做される。

 砌と同じクラスの聖は、今日欠席した砌が連絡をよこさないことに大いに狼狽していた。

 放課後、体育館に集まった女子卓球部の面々にそのことを伝えると、誰もが苦い顔をした。

「あいつ、本気でやばかったっすよ」

「だよね……司が声をかけられなかったくらいだもん」

「――とりあえず」

 司は厳しい顔で言う。

「外周行くぞ」

 外周中、先頭を走る司になんとか追い付き、聖は問いかける。

「安倍さん、砌……ほっといていいんですか?」

「ウチは去る者は追わない。来たくなくなったなら、来なくていい」

「でも……」

 そこで司がペースを上げる。

「安倍さん! きっと砌には何か色々――その! ごちゃごちゃとした理由が!」

 さらにペースを上げる司に、聖は歯を食いしばってついていく。

「あたしも知らない闇とか! ダークサイドとか! ややこしい何かが!」

 校門前100メートルは完全に全力疾走だった。

 互いに肩で息をしながら体育館前に辿り着き、聖がもう言葉を発せないと見ると、司は半分独り言のように口を開いた。

「そうだよ。砌には何かある。あんなプレースタイルになった人間が何も抱えてないはずはなかったんだ。なのに、それを考えずに団体戦のメンバーにした私は駄目だな」

「聖ちゃん、砌ちゃんと連絡はつかない?」

 体育館前に全員が戻ってくると、桜が聖に訊ねた。

「いや、さっき気付いたんですけど、あたし砌の連絡先教えてもらってない……」

「って、もしかしてこの中の誰も……?」

 皆が頷く。

 砌は常に真面目だが、それゆえ親しい関係を築かせない壁を作っている。一番親しくしていた聖にさえ、メールやアプリでのやり取りという関係にまで持っていかせない決定的な何かが砌にはあった。

「うわははははは! 知りたい? 知りたい? 砌の連絡先をさ!」

 調子が二つか三つ吹っ飛んだような明るい声が体育館の入口から響いた。

 ひょろりと背が高く、一見して男と見間違う精悍な顔つきをしている。ただし満面の笑みの連続で冷たさと緊張感はまるでない。

秋鹿あきしかァ!? なんでお前が朝北にいんだよ!」

「うわははははは! 敵情視察だよ! 刺し殺すほうじゃないぞ!」

朝工ちょうこうの秋鹿――だったっけ」

 司が訊くと、ぴんと手を挙げる。

「おいっす! 朝代工業二年の秋鹿御影ただいま参上っと! よろしくね安倍ちゃん」

「おいこら! 司さんにタメ口とはいい度胸だな!」

「いやー、だってあたし体育会系のノリ嫌いなんだもん。先輩とか後輩とか馬鹿らしくってさー。それで今まで渡世してきてますからなー」

 なおも食い下がろうとする潮を司は苦笑しながら止める。

 実際、御影には相手との壁を一瞬で取っ払ってしまう不思議な魅力があった。それは裏を返せば相手からなめ切られるような状態に自分を追い込んでいるということなのだが、御影はそれ以上に壁を感じさせない力を持っている。

「それで、砌のことを知ってるの?」

「知ってるも何も、同じ中学だったからね。砌のあれやこれやも知ってるんだよねー」

「じゃ、じゃあ、砌がスマッシュを打てない理由も知ってるんですか?」

 聖の言葉に眉を吊り上げ、ぴしゃりと言い放つ。

「敬語!」

「はい?」

「私に敬語は禁止! 敬語で話されるとそれだけで鳥肌が立つの。本当にやめてね」

「は、はあ……」

「ちなみに砌がスマッシュを打てない理由は知らない」

「知らねえのかよ!」

 潮に突っ込まれると御影は高らかに笑う。

「だって、あたしが引退したあとのことだもん。そりゃ知らないわ」

 でも――と御影は悪戯っぽく笑う。

「連絡先なら知ってるよ。教えてほしい?」

「本当に何しに来たんだよお前……」

「だから敵情視察だって」

「朝工って部員が足らなくて団体戦に出たことなかったんじゃないの?」

 紫が首を傾げると、御影は唇を尖らせて否定する。

「今年一年生が二人入ったから団体戦出られるようになったの!」

 それはさておき――と実際に手で何かを持って横に置くジェスチャーをして、御影はにやりと笑う。

「砌が心配なんでしょ? 連絡取れるのはこの中じゃあたしだけだよね。さあどうする?」

「教えてください!」

「敬語!」

「教えて!」

「よしよし。じゃあせっかくだし、誰かあたしと試合しない? タダで教えるっていうのも悪いしさー」

 体育館に入ってラケットを出し、聖は御影と台に向かう。

「秋鹿さんって私知らないんですけど、強いんですか?」

 桜が訊くと、司が苦笑する。

「強い弱いで計れる選手じゃないな。とにかく目立つから、プレーを見てれば知らなくても思い出すよ」

「目立つ? 瀬名高の三枝さんのような?」

「あれとはまた違うな。プレー自体が目立つんだ」

 練習のラリーを終えてラケットの交換をすると、じゃんけんでサーブ権を御影が取った。

 御影は聖のバック側に横回転のサーブを放つ。聖はそれを回り込んでドライブで返す。

 フォア側に来たドライブを、御影はさらに強いドライブで打ち抜く。三球目攻撃は成功。だが、相手は聖。即座にバックハンドドライブを叩き込み、御影を追い付かせない。

 1‐0。

 その後暫くは、聖のペースで試合が続いた。御影は決して弱いわけではないのだろうが、聖には遠く及ばない――それがこれまでのラリーを見てきた者達の総意だろう。

 6‐2。

「やっぱ強いなー。じゃあ、本気出すとしますかね!」

 御影は聖のフォア側に台の外へと逃げるサーブを放つ。聖は飛びついてドライブ。その瞬間、御影は台から大きく離れた。

 豪快な、だが間延びした打球音が響く。

 御影は聖のドライブを、思い切り高く打ち上げた。

 冗談なのではないかと思えるほどの高さだ。打球の頂点は体育館の天井に触れるギリギリの高さ。当然、それがバウンドすれば、その跳ね方はあっという間に聖の身長すら超える。

「目立ち――ますね」

 桜は大会で度々見かけた、これと同じ打球を確かに思い出していた。選手のほうは念頭になかったが、この高い打球は厭でも記憶に残る。

 一瞬パニックになった聖だったが、落ち着いて打球が再び落ちてくるところを狙ってスマッシュを放つ。

 だが、御影はその打球も先程と同じく高々と打ち上げた。

「そう、御影は県内男女合わせて唯一のロビングマンだ」

 ロビング――高い球を打つという行為は卓球において、有効な一打として働くことは少ない。

 ロブが必殺の一打となる場合もあるテニスと違い、卓球ではコート――打球が落ちる場所は全て狭い台上である。打球がプレイヤーを追い越すということはあり得ない。

 つまりロビングを上げるということは、すなわちスマッシュが飛んでくるということに相違ない。違うパターンは、打球をネット際に落とされてロビングを上げた側が追い付けないという場合である。

 そんなリスクばかり持つロビングを、主な打法にして戦うのがロビングマンである。

 その数は凄まじく少ない。まずいないと言っていい。そもそも戦型として認めている者がいない場合すらある。

 なので戦型は、オールラウンド型とされる場合もある。攻守に秀で、ロビングで繋ぐ。だが御影の場合は、純粋なロビングマンと呼んでよかった。

 聖のスマッシュの連打をものともせず、御影は全てをロビングで返していく。

 聖は次で決めるために、足を踏ん張り打球を待ち構える。だがその打球は、バウンドした瞬間大きく右に曲がった。

 御影は手首を捻り、打ち上げる瞬間に打球に横回転を加えていた。

 6‐3。

 聖は御影が全くふざけているわけではないことは重々承知していた。これが御影の全力。だがどこか、遊んでいるような緊張感のなさがある。

 聖のスマッシュを下から前に掬い上げるようなスイングで打ち上げる。

 打球の落下点は、ネット際ギリギリ、センターラインの真上。

 そしてバウンドすると、今度は御影のコートのほうに思い切り戻っていった。ロビングを上げた時に強烈な下回転をかけていたのだ。

 聖は御影側のコートまで踏み込んでそのロビングを真下に叩き付ける。

 だが御影はその打球を、スマッシュで聖の反対側のコートに打ち返した。当然、御影のコートまで来ていた聖に追い付けるはずがなく、御影の得点になる。

 まるでコントのようなプレーだが、御影は計算して実行に移し、実際に得点している。

「ロビングに自在に回転をかける技術。それを寸分違わず狙ったところに落とせるコントロール。確かに強いか弱いかで言われたら強い選手だ」

 それでも――司は小さく笑う。

「プレースタイルは、どこまでも博打でしかない。オールラウンド型にもならず、ロビングだけを極めていれば、そりゃそうなる。勝てたらラッキー程度の博打じゃ、聖には勝てない」

 11‐7。聖の勝利だ。

「あー楽しかったー! やっぱり強い奴と試合すんのは愉快だわー」

 高笑いしながら聖の肩を叩く御影は、負けたことに何の感慨もないようだった。

「よし、じゃああんた」

「進藤聖です」

「敬語!」

「聖!」

 それは敬語をやめたことになるのかと司が苦笑する。

「聖、じゃあ砌の家に行くよ」

「え?」

「いやー、実はどんだけ連絡しても返事がないんだわー。既読にすらなってない」

「それってやばいんじゃ……」

「まあ死んではいないでしょ。でも連絡しても意味ないから、優しいあたしは住所を教えてあげるというわけなのだ。負けたら連絡先教えるって約束だったしね」

「そんな約束はしてないような……」

「とにかくそんなわけでこの子借りてくよー。じゃあ次は決勝で会おう! だ!」

 高笑いを残し、御影は聖を引っ張って体育館を出ていった。

 電車で砂州駅に向かう。

「あの、秋鹿さん――」

「御影ちゃん」

「み、御影ちゃん、砌、大丈夫で――だよね?」

「さあ。そもそもあいつ、高校で部活する気なかったんでしょ?」

 聖は言葉に詰まる。砌を無理矢理卓球部に入れたのは聖だ。

「で、それを引き込んだのが聖ってとこでしょ?」

 聖は思わず目を剥いた。

「砌から聞いたの?」

「いんや。あいつ基本的に連絡よこさないし。あの面子の中に一年生が一人だけいたし、『神童』の顔はあたしも知ってて、例の大番狂わせの話も聞いてたから、まあこいつだろうと」

 いい加減に見えて、その実瞬時に人間関係を把握している。御影はくつくつと笑う。

「まあ、体育会系のノリ嫌いで通すのにも苦労が付き纏うんだよね。だから人を見る目だけは自信あるよー」

「じゃあ、あたしを連れてきたのは――」

 そこで電車は砂州駅に着いた。

 急行が停まらないだけあって、駅前はそれほど活気がない。道路の向こう側に弁当屋があるくらいで商店は目立たない。

 駅に接する通りも狭く、暫く歩くと小規模なスーパーマーケットが一つあっただけで、あとはシャッターが下りた店舗か民家だった。

 御影はさらに細い通りに入り、田んぼと、田んぼを埋め立てたのであろう月極駐車場に挟まれた一軒の住宅の前に立った。

 最近建てられた、よくある無個性な二階建てだ。表札には「鵜野森」と書かれている。

 ドアノブに手をかけ、鍵が閉まっていることを確かめた御影は、にやりと笑って庭に回る。

 戻ってきた御影の指先でかちゃかちゃと音を立てて回っているのは、もしや――。

「鍵盗ったの!?」

「失敬だなー。取ってきたの。隠し場所は教えてもらってあるから、問題ナッシング」

 手早く鍵を開けた御影は、そこで踵を返した。

「砌の両親は共働きだから、今家には砌一人。気兼ねなく話し合ったらいいんじゃない? じゃ、あたし帰るから。砌によろしくねー」

「ええ!? 御影ちゃんが砌を説得してくれるんじゃないの?」

「んなわけないじゃん。案内しただけだよ」

 御影は聖の言葉を最後まで聞かず、手をひらひらと振って早々に帰っていってしまった。

「今の砌を救うのは、私の役目じゃないからね」

 去り際に聞こえたその言葉に聖ははっとして、意を決して家の中に踏み込んだ。

「帰れ」

 恐ろしく倦み疲れたような顔をした部屋着姿の砌が、玄関で待ち構えていた。

 聖は完全に面食らった。砌は自分の部屋に引きこもっていて、そこに聖が乗り込み、第一声は聖が上げるとばかり思っていたからである。

「み、砌――」

「玄関先であんだけ騒げば厭でも気付く。ただでさえ頭痛いっていうのに……」

「え? 頭痛?」

「そう。ちょっと風邪ひいたみたい。朝起きたらもう両親家出てて、学校の連絡先が見つからなくて探し回ってたら余計酷くなったから、明日きちんと先生に事情を話そうと思ってたの」

「よ、よかった……じゃあ明日からは部活も――」

「部活はやめる」

 聖は絶句する。

「そういうわけだから。帰れ」

 聖に返答する暇すら与えず奥に引っ込んでいこうとする砌。

 聖は瞬時に靴を脱ぎながら玄関を駆け上がり、砌の背中に思い切り飛び蹴りを叩き込んだ。

 頭から床に倒れ込んだ砌はわけがわからないまま胸倉を取られ、無理矢理廊下で仰向けにされる。

「何を――」

「誰のせいでッ! あたしが朝北に来たとッ! 思ってる!」

 音を立てて砌の頭を床に叩き付け、聖は馬乗りの状態でぐっと奥歯を噛む。

「話すつもりはなかったけど、こうなったらぶっちゃける。厭でも聞かせてやる!」


 聖は中学で、一人だけ別の世界にいた。

 市内の卓球クラブに小学生の頃から所属し、カデットの部で全国に進むこともあった聖は、中学を選ぶことをしなかった。

 どうせこれからもクラブには所属するつもりだったし、家から時間をかけて通学するよりは、学区内の中学に進めばいい。

 そう考えて瀬名中学に通い、大会に出るために卓球部に入った聖は――絶望した。

 やる気のある生徒は、誰もいなかった。遊び十割か、部活動に所属しなければならないという決まりを守る建前で入部したような生徒ばかり。

 最初は部活でも練習できると高をくくっていた聖は、早々に見切りをつけた。幸い、士気はゼロなので部活動は最低限の時間で終わる。部活を終えると聖はクラブに向かい、そこで練習に打ち込んだ。

 卓球は個人技であるので、それで大会では結果を残してきた。

 ただ、団体戦は別だ。

 聖の出る試合では確実に1勝が取れる。だが、それだけだ。あとの2勝はどうやっても無理だった。

 最終的に、聖は団体戦での勝利を知らないまま三年を過ごした。いや、仮令勝てていたとしても、喜ぶことはなかっただろう。チームというものが全く無意味だった。

 三年生最後の市民大会で、聖は砌に負けた。

 これを嬉々として受け止める者達がいた。同じ学校の部員達である。

 ほとんど負け知らずだった聖が2回戦で負けたことがよっぽど愉快だったらしい。しかも負けた相手がその次の3回戦であっさりと負けたということが面白さを加速させる。中学の三年間で最も愉快な出来事として、部員達は聖を煽った。

 そうか、その程度なんだな――聖は逆に笑ってくる者達に蔑みの目を向け、呆れ果てた。

 砌は強い。それは聖にとっては紛れもない事実だった。

 あんな相手に負けたのだと笑われようと、それは笑っている連中が全く本質を見ていないということに相違ない。砌の強さもわからず、単に聖がヘマをしたのだと笑っている者達は全く滑稽だった。

 ただ、その出来事は聖の絶望を確固たるものとした。

 卓球にチームなどない。個人技が前提であり、団体戦は単なるおまけ。

 ならば強いチームを選ぶなどということは全くの無駄。聖はチームに属さずとも自分の力だけで強くなれる。

 そして、聖は進学校である朝代北高校に進んだ。

 合格発表の日、自分の番号があったことに安堵して帰ろうと駅に向かう途中、体育館から一人の生徒が出てきた。

「え? 『神童』?」

 条件反射でむっとして言い返そうとすると、その相手の顔を見て固まった。

「片来中の安倍さん?」

 小学生から中学の大会に出ていた聖は、片来中学に「優勝請負人」がいた最後の世代のエースを当然知っていた。

「いやー驚いた。てっきり瀬名高か先生のとこに推薦でいったのかと思ってたよ。合格発表どうだった?」

「受かってました――けど」

「それはおめでとう! じゃあウチに大型新人登場か!」

 いや――と聖は下を向く。

「卓球部には、名前だけ入れさせてもらえばいいです。練習は別でやるつもりなんで」

 司は快活に笑った。

「なに勘違いしてるか知らないが、朝北ウチの部長は私だ。卓球部に入るんなら、当然練習にも加わってもらう。それが」

 チームだからな――司の言葉に、聖は険のある目顔で答える。

「ラケットとシューズは持ってるか?」

 小さく頷く。このあとクラブに向かうつもりだったので、鞄に入っていた。

「よし、じゃあ私と試合をやろう。合格祝いだ」

 全く意味がわからなかったが、全国レベルの選手と試合ができるのは素直に楽しみだった。

 体育館に入り、女子卓球部のスペースに向かうと、三人が肩で息をしていた。

「部員って、これだけなんですか?」

「ああ。ウチは練習死ぬほどきついからね。ほら! 水分補給だけは欠かすなよ! この子と試合したらすぐに練習再開するからな!」

「って、司さん! こいつ、『神童』じゃ!」

 あとの二人は首を傾げている。

「そう。朝北に来たんだって。うかうかしてると団体戦出られないよ」

「団体戦、出る気ないです」

 聖がそう言いながらジャージに着替えていると、司は笑いながらそうだと提案した。

「私が勝ったら、今日の練習を最後まで見学していくっていうのはどう?」

「別にいいですけど……」

 ラケットを持って台に向かい、練習のラリーを開始する。

 試合の結果、2‐3で聖は負けた。

 凄まじい試合だった。そうそう味わえることのない激しいせめぎ合いだった。

「安倍さん! すごかったです! あんな重いドライブ初めてです! 腕がもう上がりませんよ!」

 喜色満面で司に熱っぽく言葉を浴びせ続ける。

 聖はあまり負けを知らない。特に地区や県内の大会ではほとんど負けたことがない。

 中学では、部内の人間は聖を悪意のある特別視をしてきた。当然、その中の誰にも聖は負けたことがない。

 それ故、自分より強い相手のほうが信頼できるという結論に聖は至った。自分を負かした相手には、無条件で心を許してしまう。そんなある意味では歪んだ特性を、聖は司にも発揮した。

 司は最初は面食らったが、何はともあれ部活を最後まで見学していくという約束を守ってくれるのなら文句はなかった。

 聖は言われた通り、じっと練習を見学する。

 遊んでいる部員がいない。歓談している部員がいない。何もしていない部員がいない。

 それは軽い衝撃を聖に与えた。卓球部というもの自体が忌まわしいと思ってきた聖にとって、目の前で繰り広げられる光景は信じがたいものだった。

 何より驚いたのは、目の前の部員達が聖の見てきた中学の部員達よりも打ち解けていることだった。

 練習をせずに無駄口を叩き続けるよりも、練習と称してピン球とラケットでお遊戯に興じるよりも、もっとずっと強い、信頼を築いている。

 本気で、死に物狂いで練習に打ち込んでいるだけなのに。

 気付いた時には、聖もラケットを取り、練習に加わっていた。

 それから正式に入学する前まで、聖は朝代北の卓球部に入り浸った。早く、一刻も早く、自分が信じることのできるチームかどうかを確かめたかった。その気持ちを覚えた時点でもう、聖の心は決まっていた。


 勿論、今の聖にそんな経緯を順序立てて砌に伝えることなどできない。

 感情ばかりが先走り、前後はひっくり返る、肝心なところを端折る、そのくせ話していないところを前提に話を進める。

 それでも、思いだけを込めて溢れた聖の言葉は、確かに砌に届いていた。

「入学式の日、砌を見て、あたしがどんな気持ちだったかわかるか? わからないよ。あたしがわからない。でも、気付いたら声をかけてた」

「進藤」

「なに! 帰れって言うなら――」

「いや、重いし苦しい。ちゃんと話はするから、どいて」

 聖は飛び跳ねるようにして砌の身体の上から下りた。話している間ずっと、砌の上に馬乗りだった。

「ご、ごめん――」

「いいよ。追い返そうとした私も悪い。じゃあ上がって――って、もう上がってるか」

 リビングに通され、机に向かい合って座る。

「私は進藤とは逆だな。中学の時はずっと団体戦メインで考えてた。二年の時、数合わせで出してもらった団体戦で、強い相手に勝って。それでチームも勝って、びっくりされた。個人戦の負けは自分の負けだけど、団体戦の負けはチームの負けに繋がる。そう思うと、団体戦の時は負けられないっていう思いが強くなって。普段よりも力が出せた気がする」

 三年の中体連――。

「地区予選で、2勝2敗で、5試合目。私に回ってきてさ。負けたらチームの負けで、中学三年間が終わる。気合い入ったよ。入りすぎたかな。最後、チャンスボールをスマッシュミスして、負けた」

 それからだ。

「以降、スマッシュが全く打てなくなった。練習でも、試合でも、とにかく、スマッシュがどうやっても打てない。それまでもスマッシュ苦手だったしドライブも打てなかったんだけど、練習で高い球上げてもらえれば一応は入ったのに、今はどんな球だろうとスマッシュができない」

 砌の苦手は、これを契機にイップスと化した。

「最後の試合、私の凡ミス以下のミスで負けたあと、泣いてた奴までいてさ。三年の締めくくりがあんなじゃ、そりゃ泣きたくもなるよ。引退前最後の練習の頃にはもう、私が絶対にスマッシュが打てなくなってることが判明してたから、引退の時の最後の挨拶で高校では部活に入らないって宣言した。私がいたら、チームに迷惑がかかるだけだから」

 砌はじっと聖を見つめ、小さく溜め息を吐いた。

「なのになぁ、結局卓球部に入っちゃった。でも、やっぱり間違いだった。昨日の練習試合で厭というほど迷惑をかけたし、私は部にいないほうがいい」

「それは、砌が部を辞める理由にはならない」

 聖は至って冷静に、そう言った。

「だって、砌が部に入った理由は、部に入らないっていう決意より強かったんでしょ?」

「進藤――」

 砌が卓球部に入った理由。それは目の前にいる。

「あたしはここにいる。朝代北高校卓球部一年。それが今の進藤聖」

 砌は認められたことがなかった。わけのわからない戦型で、試合に勝ってもそれは全てまぐれ扱い。

 弱い。どうしよもうなく弱い。砌はそう自分に言い聞かせてきたし、周囲からもそう思われていた。勝利は偶然でしかなく、敗北は当然。それでも全力を尽くす自分は愚直ではなく愚鈍なのだと思っていた。

 だが、聖は砌を強いと言ってくれた。砌にしてみれば迷惑この上ないことは確かだ。自分の信条を崩す誘惑と同義なのだから。

 それでも、一人、砌のことを強いと思ってくれている人がいる。そう思えることは、自らのこれまでを否定してしまうことになっても、とても魅惑的だった。

 強くなくてもいい。弱いままでもいい。ただ、彼女の中で、砌が強いのだと認められているなら。

「明日、体調が戻ったら部活来いよ。御影ちゃんと試合して、思いついたことがあるんだ」

 聖は笑顔でそう言い、砌の家を出た。

 去り際に見たのは、砌のぎこちない、だが柔らかな笑顔だった。

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