最終章

第30話「危機」

 翌日の学校。

 授業中だが、陽菜は昨日の出来事を延々反芻するばかり。

(昨日は何だか一日がすごく長かったな。デートが決まった時には、もう恋人だったはずだけど、やっぱり昨日のことがあって本当の関係が築けた気がする。やっぱりご両親へのあいさつには伺わないといけないよね? 二股のことなんて説明すれば……。で、でも、それを乗り越えないと……)

 そこまで考えたところで、昨夜話した両親の許可が必要になる事柄に意識が向く。

(そ、そういえば、夜には物凄く過激な話を……!! 謹んで襲うって……!?)

 改めて思い返すと恥ずかしくて仕方ない。

(べ、別のこと考えよう。蓮さんから借りた小説のこととか。まあ、どれもちゃんと読めてないけど……。ん……? そういえば、わたし、ネット小説はたまに読んでたっけ。蓮さんが読むのと全然違う、アブノーマルな内容だけど。……そういう趣味の小説しか読めないわたしって……)

 結局、過激な話に結びついてしまった。


 昼休み前の授業中。

(授業中何回あのこと考えたんだろう……。もうすぐ、中庭に行って三人で昼食だけど……、ちゃんと二人の顔見られるかな……)

 まさか自分が『襲う』などという単語を口にする日がくるとは思わなかっただけに、印象も強く残っている。そんなことを考えていたのだが――。

(――ッ!?)

 気分が急変した。背筋に途轍もない悪寒が走ったのだ。

(な、何? 何か窓の方から……)

 見れば、空にどす黒い渦のようなものが発生している。そして蓮もそれを見つめていた。

 他の生徒も徐々に黒い渦の存在に気付いていき、教室がざわつき始めた。

「何だあれ? 雲じゃないよな? でも雨みたいに何か降ってるような……」

「だんだん大きくなってない?」

 明らかに異常だと感じ、ほとんどの生徒が席を立って外を眺め始める。教師もそれを止めようとはしない。

(この……普通じゃない感覚……、超能力……? 誰かが能力であれを作ってる?)

 超能力発動の前兆も、視覚でも聴覚でも触覚でもない、特殊な感覚で捉えていた。

 しかし、似たようなものは別にあったことを思い出す。

(……脚に怪我する直前……、わたしが立ち止まった理由……、空を見上げて……)

 遥かに薄かったが、渦に近い色で不快感を覚える、もやのようなものを目にしていた。

 何が何だか分からず立ち尽くしていると、教室の扉が音を立てて開いた。

「先生!!」

 教室に入ってきた教師はただならぬ様子だ。

「なんだ、どうした!?」

「あ、あの黒い渦から見たこともない生物が降ってきて……人を襲ってるんです!!」

「なっ!?」

 説明はさらに続く。

 その生物自体も全身が黒で覆われており、姿はクモに似ているが全長が大人の腰辺りまである。それらが無数に徘徊していることに加え、もう一体、二足歩行し市庁舎と同じぐらいの巨体を持つ個体がいて町を破壊しているという。

 そして、その怪物ともいうべき存在は、殴ろうが銃で撃とうが傷一つ付かなかった。

 その上、人間が傷を受けた場合はたとえ浅くても、毒でも注ぎ込まれたかのようにもがき苦しみ死んでいく。

 怪物は次々に人を喰らっていく一方、逆に町の住人や警察はその怪物を一体も排除できない。

 町全体が破壊し尽されるのは時間の問題だ。

「お前ら! 校内から一歩も出るな! 囲まれてる、出たら奴らの餌食になるぞ!」

 陽菜も窓から町の様子を見渡す。

 無数の怪物、逃げ惑う人々、肉が裂け流れ出す血。

「ぐ……ああああああああああッ!!」

苦しみによる絶叫。この世のものとは思えないほどの激痛を受けているに違いない。

(何これ……、どんどん人が襲われて……食い止めることもできない……。それじゃあ……、みんな死ぬの……?)

 不意に脳裏をよぎる、昨日考えていたこと。

『今、わたしは『幸せ』なんだ。人生悪いことばかりじゃないって本当だったんだ』

『何年間もずっと辛いことばかりだったけど、それでもお釣りがくる』

『今のわたしより幸せな人は一人もいない……!!』

 人生は悪いことばかりでもないが、良いことの方が少ない。一度良いことが起こっても長く続くことは少ない。

 そして昨日の時点では、良いことが圧倒的に勝っていた。ここ数日だけで、これまで数年分の辛さを帳消しにして余りある幸福を得ていた。

(確かに、昨日は……、一生かかっても手に入らないと思ってたぐらいの幸せをもらえたけど……、でも……だからって……!)

 蓮と琉聖の二人に出会ってから、迷惑しかかけていないにも関わらず、自分ばかり良くしてもらって、本当に申し訳ない、ずっとそう思っていた。それどころか許されないこともしてしまったはずだ。それでも二人には好きだと言ってもらえた。

(罰……? 今まで辛かったのなんて自業自得で……、蓮さんと過ごす時間も、先輩と過ごす時間も、一番楽しんでたのはわたしで……、その癖楽ばかりして……、わたしは結局何も努力してない……! わたし一人が得してることは何も変わらない……!!)

 昨日は遂に想いが通じ合った。これからは全ての力を懸けて二人を幸せにすると誓った。自分も相手の為に行動して、本物の恋人として幸せに生きていく、そう思うと希望に満たされていた。

(嫌だ、嫌だ、嫌だ!! 死にたくない、死にたくない!! 今までの何倍辛くてもいい、二人から何もしてもらえなくていい、わたしが一方的に尽くすだけでいい、三人一緒に生きてさえいられれば何でもいい!!)

 かつてないほどに心が荒れ狂う。今までは、どんなに取り乱しても、どんなに落ち込んでも、どこか大人しい心だった。虚ろだったせいかもしれない。

 涙がボロボロとこぼれ出す。

 自分の悲しみを主張する為に、涙は流さないと決めていた。流していいのは、相手にもらった喜びを表す為の涙だけ。

 これまではどうにかこらえ続けてきた。

 しかし、今、手にしている幸せを失うことだけは耐えられない。幸せが大き過ぎる。

「雨宮! どこに行く!」

(……!? 蓮さん……!?)

 蓮は教室から出て行こうとしている。

「今、黒い塊が降ってきてる場所には僕の家が! 今日は休診で両親がいるんです!」

「お前が行って何ができる!?」

 教師の制止を振り切って蓮は教室を飛び出す。

「蓮さん!!」

 一人で行かせる訳にはいかない。幸せにすると誓った、死なせるなどもってのほかだ。

「水無月!? 何でお前まで!?」

 教室を後にし、蓮を追う。

(蓮さん……蓮さん……!!)

 二人の為に生きると決めた。もし、死が避けられないなら、二人の為に死ななければならない。恋人二人に対して命が一つでは足りなかった。



 三年生の教室。こちらも混乱状態になっていた。

 そんな中に一人、落ち着き払って町を見下ろしている生徒がいる。

「始まったのか。強者と弱者への審判が」

 誰に伝えるともなく口にした言葉は、平静を失った他の生徒には聞こえていない。

「さて、いつ出るか……」

 その時、眼下を駆け抜けていく二つの人影を見つけ、眉をひそめる。

「あれは……」

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